73.ザムセンからの撤退
ザムセン街道を守るD集団はゆっくりと後退を始めた。
D集団と対峙していた第二歩兵師団の師団長ヒァツィント少将は、この後退をいち早く察知し、それが我が軍の圧力から来る物ではなく計画的な後退である事を看破した。だがこれは戦線の整理か。それとも罠か。この後退はどこに意図があるのかが分からない。
「ヒァツィント少将、敵が後退を始めてますな。」
「うむ、だが意図が分からん。防衛線の中央付近に圧力をかけて様子を見るか。砲兵連隊を呼べ。」
「了解しました。まずは中央部分の敵防衛ラインですね。」
「そうだ。それと騎兵師団を用意しろ。砲撃で穴が開いたら騎兵で突入だ。」
「なるほど…了解しました。」
D集団はこの敵第二歩兵師団の動きにも拘らず迅速に後退した。元々D集団の中核はエウグスト陸軍所属だった者達を集めた部隊である。その為、撤退は整然と行われ第一軍の砲兵連隊が中央部分に砲撃を開始しようとした時には、既にD集団の中央部分は防衛線の端となっていた事から、それ程に被害を受ける事は無かった。そして騎兵師団の突進が行われた時には防衛線の縮小が完遂した後だった。これを見たヒァツィント少将は、この後退の意図をザムセンからの撤退と確信した。
「ランツベルグ中将に伝令を送れ!敵はザムセンを撤退しようとしている。第三歩兵師団にて敵防衛線の根本を締め上げ、敵の後退阻害を具申する。第二歩兵師団はこれより敵防衛戦を迂回しつつ包囲に入る。以上だ、行け!」
D集団が構築した防衛線は正面から見ると1本の線を作っていたが、横からみると突出部となる。つまり防衛線の縮小は、この突出部分を如何にして小さくして少ない正面を作るかに掛かっていた。逆に攻める第一軍はこの突出部分の根本を締め上げれば、その先の防衛線は孤立する。その為、突出部分の根本に対して第三歩兵師団が圧力をかけるように、ヒァツィント少将は要請をした。更にこの突出部分を半包囲する様に第二歩兵師団が進出させた。そしてD集団は突出部分を可能な限り迅速に縮小しようとしていたのだ。ザムセンでの攻防は後退するD集団とそれを阻止しようとする第二、第三歩兵師団による時間との戦いの様相を呈してきた。
そしてゲルトベルグ城では、B集団のエンメルス達がフリーとなった事で前面に展開していた第14連隊への圧力が増大していた。明らかに敵の数が増えた事にファーヴィグ大佐はレティシア大尉の失敗を悟っていた。更に、城正面から捕縛されたレティシア大尉とジーヴェルト軍曹が敵兵に連れて行かれる所を目撃した兵が報告に来てこれを裏付けた。
「大佐!敵の新たな増援がこちらを包囲しようとしています!」
「レティシア大尉はしくじったという事だ。我々がここで徹底抗戦する意味は失われた。急ぎ後退する。敵は左右に展開しつつある。一斉射の後に真っ直ぐ後退するぞ。」
第14連隊の後退はそのまま成功するかに思えたが撤退して北上中のD集団と遭遇戦に陥り、再度の乱戦となった。撤退路に敵兵は居ないと思っていたD集団は敵兵との遭遇にパニックに陥りかけたが、事前にベールから城近くの敵集団が居た事を再度確認した上で、この遭遇した敵は城から後退中の部隊である確認が取れた為、直ぐに立ち直ったD集団は人数で押して第14連隊を殲滅した。後々この件については指揮命令系統及び情報共有の面で重大な欠陥があるものと判断し、解放戦線の組織改革に繋がったのである。しかし第14連隊の壊滅により、B、C集団とD集団との連結が行われ、ザムセンでの撤収条件が揃ったのである。後は如何にしてザムセンから被害無く後退出来るかどうか、となった。
D集団の殿はモーリス大尉が勤めていた。彼は迫りくる第三歩兵師団の圧力をまともに受けていたが、新たに第二歩兵師団が圧力を加えてくる状況に対応する為に、街道の突出部分を完全に撤収させ戦線を再び1本の線にした。だがモーリスが守る地点は街道上で守り難い地形であり、唯一の利点は街道の幅にお互いの兵力数が制限される事だ。今の場合は、相手の方が戦力が多い分D集団の方が利点が大きい。この利点を利用して後退し続けていた。だが、モーリスもこの状況での後退の連続は限界があった。
『ここで砲兵をぶっこまれたら一気に部隊は潰走状態になる。なんとか援護してくれ。』
『エンメルスだ、今そっちに向かっている。あと500m後退しろ。』
街道をD集団はジリジリと後退し続け、500mが永遠にも思える距離だったが何とか後退し切った。D集団の後退に誘い込まれた第二歩兵師団はB集団が潜む街道脇の森からの挟撃を受け、大被害を被った。この街道に潜む敵への追撃は夜の闇も手伝って第二歩兵師団は前進を躊躇した。これを見越したかのようにB集団もまた後退しつつ、後退の距離を稼いだ所でトラップを仕掛けていった。
ザムセンから転回場まではゆるやかに曲がった道となり、転回場を過ぎてから一度大きく曲がる角があった。このゆるやかに曲がった道で森の中に潜むエンメルス率いるB集団が敵集団の先頭をトラップにかけて動けなくなくし、その後に後方の部隊を狙い撃ち、先頭集団が後退出来ない状況にした。先頭集団が後退出来ない状況でD集団が逆襲を掛けた後に離脱を繰り返した結果、第二歩兵師団は次第に前進速度が鈍り、遂に停止した時には前方部隊の損耗率が35%に達していた。そして夜は未だ明けず暗いままの街道に騎兵は投入出来ない。ガルディシア第一軍の追撃は、歩兵師団の地道な前進に頼るだけなのだ。第一軍の手札が切れたように思えた。




