40.ガルディシア秘密警察の誕生
宰相ファルケンホルストの執務室には宰相本人とレオポルドが居た。
「どうした。君が私の元に来るとは珍しいな、レオポルド君。」
「閣下、どうしても閣下ではないとご相談出来ない事があります。」
「私ではないと出来ない事?はて、私にはそんな力は無いと思うがね?」
「いえ、貴方は帝国議会を束ねる宰相閣下です。是非聞いて頂きたいのです。」
「なんだろうね。一応聞いておこうか。手短にね。」
レオポルドは帝国の取り巻く環境と、国内軍の状況、反帝国分子の存在、そして情報局の窮状を宰相に訴えた。つまり反帝国分子が帝国内に存在している可能性が日々高まっているが、急遽組織された警察軍ではこのような政府転覆を狙う危険な組織を摘発するには捜査能力が足りない事、そしてそれに加えて大量の海軍からの転職者を受け入れた警察軍は新規の警官に対する教育で手一杯な事、こういう組織に対抗するには多少違法な事も行えるような超法規的組織が必要な事、そしてエステリア王国への攪乱工作を行った結果、人員が半分に減ってしまった情報局の事、このような任務を行うには情報局が最も有効だが、組織として人数が少な過ぎて出来る事が少ない事、等である。
「うーむ、君が言わんとした事は私も理解している。だが、陛下は君の言う窮状への対処として警察軍の増強を指示したのだろう?」
「その通りです。ですが陛下は現場をご存知ありません。正規の剣や銃による戦いとは別に、情報局が行う事は潜入や破壊工作や虚偽情報の流布等を今迄敵国内で行ってきました。ですが、これからは国内においても未だ敵が居る事を認識して、対抗せねばなりません、閣下。」
「ちなみに君はその国内の敵とやらにある程度の何かを掴んでいるのかね?」
「いえ、確たる証拠は掴んではおりませんが…」
「それでは現状は難しいのではないかな?ちなみに君の話を聞いていると、どうも情報局の拡大よりも新しい何かの組織を求めているように思えるのだがね。」
「流石に慧眼に御座います閣下。私が考える器は全ての情報局を統合し、警察組織とは別の構造の組織を考えております。」
「ふむ…それは情報局の拡大と何が違うのかな?」
「私が考えるそれは"秘密警察"と称します。これは警察軍と同等の権力と能力を持ち、尚且つ超法規的に動ける集団です。更に情報局としての能力を持たせ、反乱組織への潜入工作等も併せて行えるようにします。」
「どうも違いがよく分からないのだが…」
ファルケンホルストは、レオポルドの目論見をある程度見透かしていた。組織的な意味で危機的状況にあるのは情報局だ。レティシアが引き起こした大きなしくじり、そして情報局には補充されない人員という現実。レオポルドもまた実際には追い詰められていたのである。そこでレオポルドとしては組織の拡大を名称を変えて実行しようとしているのだ。恐らく陛下もそれを理解した上で、警察軍の拡大を指示したに違いない。うかうかこの男の口車に乗るとこっちが火傷しかねない。だが、情報局自体とは繋がりは持っていたい上に、敵対するには厄介な奴だ。期待を持たせつつも距離を置いた方が良いだろう。
「閣下、もっと詳しく説明も可能ですが、閣下のお時間が無い事も承知しております。私の構想は現段階では無理かもしれませんが、後程改めてご説明させていただきます。その際はお時間を頂けますでしょうか?」
「ん?ああ、構わんよ。次は事前に連絡をくれたまえよ、レオポルド君。」
「ありがとうございます、では。」
レオポルドもまた良い感触が得られない事に、これ以上押しても無理な事を感じていた為から直ぐにファルケンホルストの部屋を辞去した。こうしてレオポルドの秘かな野望は潰えたかのように見えたのだが、とある事件によりこのレオポルドの野望は達成されるのだった。
レティシアによるグリュンスゾートの惨劇から数日後の事だった。
エウグスト市の酒場でエウグスト人が呑んていると、そこにガルディシアの軍人数人が呑みに来た。最初は離れて座っていた彼らだったが、エウグスト人からするとグリュンスゾートの惨劇は、敵であるガルディシア人同士の内輪揉めによる同士討ちだ。惨劇という名前が付くのも可笑しい話で、馬鹿が馬鹿やって馬鹿な死に方をした、程度にしか思っていない。だが、ガルディシア側からすると、狂女とも称される程に恐ろしいレティシア大尉がどういう恨みか不満か分からぬうちに彼女しか分からない理屈をもって突然に虐殺した、としか思えない事態だった。しかもレティシア大尉はお咎めなしであったのに、大隊の連中は営倉入りと早々に処罰を喰らわされた。エウルレン前面で第二軍は壊滅し、皇太子の不興を買って残置されたグリュンスゾート大隊であったが、或る意味第二軍最後の生き残り扱いであったこの大隊をレヴェンデールの狂女が仕上げでめちゃくちゃにした。そして大隊は営倉に送られ、エウグレンに居る兵は本当に少数の第二軍の生き残りと、各軍集団から抽出して派遣された部隊のみだ。この時点で第二軍は呪われた軍という噂が兵士の間では広がった。そんな軍に配備された時点で、貧乏くじを引いた者という扱いになっていたのだ。
そんなガルディシアの軍人に対して、迂闊にも店に居たエウグスト人達はちょっかいを掛けたのだ。そして悪い事に、このエウグスト人達は解放戦線の末端だった。最初は押さえていたガルディシアの軍人も、話がグリュンスゾート大隊を侮辱するような話に展開した結果、抑えきれなくなった軍人側はエウグスト人に殴り掛かったのだ。まだ武器を使わないだけ多少は冷静だったのかもしれない。だが煽ったエウグスト人は炭鉱上がりの解放戦線末端だ。大人しく殴られる訳も無く軍人達に殴りかかるも、軍人に反撃を喰らって動けなくなった。圧倒的多数のエウグスト人を前に、軍人達はそのまま去ろうとしたのだが、殴られて伸びているエウグスト人の仲間はそれを許さなかった。
そして軍人達は身の危険を感じ始め、最初は言葉での応酬は最終的に軍人の抜刀へとエスカレートした。そしてエウグスト人達にも武器があった。解放戦線側の通達でちょうど前日から解禁されていた54式拳銃が懐にあったのだ。何せ目の前の軍人達は抜刀しているのだ。これを撃つ事に躊躇は無かった。全弾8発をぶち込んだ。撃った解放戦線の連中は慌てて店から逃げ、軍は警察軍と協力して彼らを追ったが、遂に捕まらなかった。この時、組織としては何等かのスケープゴートを差し出す事で組織の表面化を避ける事が出来たのかもしれない。だが解放戦線はその組織力を背景に彼らを全力で逃がした。何故ならばその酒場で目撃者が多数おり、しかも見慣れない銃で一人が全員を射殺した、という事実から警察軍は執拗に調査を続行したのである。この拳銃が見つかる事を恐れた解放戦線は徹底的に彼らを隠したのだ。
皇帝は捕まらない事に業を煮やしてレオポルドに解決を命じた。
レオポルドは当然の如く、自らの計画を開陳したのだった。