33.クレメンス准将は謹慎中
ガルディシア帝国陸軍第二軍所属のグリュンスゾート大隊は独立銃騎兵大隊である。この銃騎兵大隊は機動打撃力と情報収集を目的に構成され、その大部分は騎兵銃を持つ騎兵で構成されている。戦線のあらゆる場所に出没し、神出鬼没の動きで敵を攪乱する。この活動は潜入工作、威力偵察、陽動機動等、ありとあらゆる事が可能な戦場の救世主と言われていた。
クレメンスのエウレルン査察に向かったグリュンスゾート第二中隊の一部は、エウグスト市に戻るなり"未来が見たいか?エウレルンに行け"だの"これからの都市は全て皆ああなるのだ"だの、"ニッポンのとの敵対は絶対にしてはならない"だのと吹聴して回った。恐らくエウルレンのホテルで体験した事や、ル・シュテル伯爵の城で見た日本のホームシアターの映像が影響していたのは確実なのだが、何せ見た物が強烈過ぎた。実際に見て、体験してしまった者はもう戻れない。いわばエウグスト、いやガルディシア帝国その物が酷く時代遅れに見えてしまうのだ。事ある毎に、"ああ、これがエウルレンなら…"等と回りに言って回れば当然世間でも話題になってくるのは必然だ。
反ガルディシアとまでは行かない迄も、エウルレンを持ち上げガルディシアを下げる発言を取り締まるべき軍情報部が放置していたのも問題だ。これはクレメンス准将が監督して然るべき問題なのだが、エウレルン市防衛戦直前に第二軍司令ドラクスル大将によって更迭された彼は、そのままエウグスト総督府から自宅への蟄居となった。情報部の大半はエウレルン市防衛戦時に自衛隊によって殲滅され、エウグストの情報部の活動自体が麻痺した状況にあり、しかもトップが蟄居中なのだ。
そしてこの状況の中で、レティシアはクレメンス准将の自宅を訪ねた。
「クレメンス准将、居られるか?」
「はい、どちら様でしょうか?」
微妙に窶れた女中がドアを開け、レティシアに誰何した。
「私は帝都ザムセン情報局レティシア特殊作戦団所属のレティシア大尉だ。クレメンス准将にお会いしたいのだが、居られるだろうか?」
「ほぉ、これはレヴェンデールの。これはまた随分と遠い所を。どうぞ入られよ。」
「うむ、感謝します。部下5名も同行しているのですが良いでしょうか?」
「部屋を用意しましょう。マリア、奥の部屋を用意しなさい。あと、何か飲み物を。」
「はい、畏まりました。皆さまどうぞこちらに。」
女中がそのままレティシアの一行を奥に案内してゆく。
クレメンス准将の家は比較的質素だった。大きいが華美な調度品は無い。例えて言うなら必要に迫られた最低限の物のみが存在するような家だった。レティシアはその方が好みだったので、クレメンスに対する第一印象は比較的良かった。そして案内された奥の部屋には大きなテーブルがあり、勧められるままにそれぞれ席に着いた。
「さて。皆さん遠い所から如何いたしました?私はご覧の通り、皇太子殿下の不興を買いまして謹慎中なのですよ。それ故に最近の世情に少々疎くなりまして、特殊作戦団の皆様が来るような用件が思い当たらないのですが?」
「ああ、それは聞いています。ですが結果的にクレメンス准将が正しかったが故に、皇太子殿下もまた帝都で蟄居中ではあります。しかし私共がここに来た理由はこの件ではありません。」
「ふむ、すると私の謹慎はまだまだ続きそうですな。」
「いや近々解除されると思いますよ。我々は別の作戦行動中ではあるのですが、たまたま耳にした噂がありまして。グリュンスゾート大隊の一部に、不穏な発言が広がり、尚且つそれを諫める、或いは取り締まるべき情報部が全く機能していない状況にある、と。一応真偽の確認のため、准将を訪れたのです。現在、エウグスト市で活動中の情報局員は何名程ですか?」
「活動中、ね…5名かな。他は皆、エウルレンで死んだよ。」
「5名、ですか…そして准将も自宅で謹慎中、と。それでは取り締まるも何も無いですな。」
「左様。だが、彼らが言う事もまた正しいと思っているのだがね。その現実を無視した結果が、エウレルン前面での壊滅だ。願わくば、帝国はこの現状を真摯に受け止めて欲しい所なのだが…」
「それを判断するのは我々ではありません。然し乍ら、現状を良しとも出来ません。我々が介入し、グリュンスゾート大隊の規律を正します。ついては准将の許可を頂きたい。」
「君達が?というか君が?…ちょっと待ってくれ。何をする積もりだ?」
「正すべきを正します。軍規に基づいて。」
「死人は出ないだろうね?」
「今、我々は大変に人手不足です。殺すのは簡単なのですが補充が難しいので、その辺りは留意します。いずれにせよ、規律を乱す輩の対応次第ですね。」
「はぁ、そうなのか。ちなみに君の現状の任務は話せる範囲で知る事は可能か?」
「一切機密です。話せません。」
「そうか…だろうね。分かった、任せるよ。私には何も力が無いからね。」
「ありがとうございます。それでは。」
レティシア一行は出されたお茶も飲まずに大隊本部に向かった。
クレメンスは直ぐに無線機を出し、ル・シュテル伯爵に連絡をして、現在レティシア特殊作戦団が動いている旨を連絡した。
「伯爵!私だ、クレメンスだ。今、私の自宅にレティシア特殊作戦団が来たぞ。作戦内容は全く話さなかったが、彼女らが動くという事は何か殲滅任務を負っている筈だ。」
「ああ、准将、久しぶりです。まだ謹慎中なのですか?それはそうと、レティシア特殊作戦団は、まずエウレルンに来て、エウグスト解放戦線を探って行きましたよ。恐らく潜入任務でしょう。何も成果が得られなかったので、エウルレンを出て北の方に向かった所までは監視してましたが…エウグストに行ったんですか?」
「そうだ、たった今来た。それに関しても問題があってな。エウレルン視察に行ったグリュンスゾートの連中が、ここエウグストで色々噂話を吹聴して回ってる。ああ、それは勝手にあいつらがやっているんだ。俺の指示じゃない。といっても話す内容は、ガルディシアにとっちゃ良い事じゃない。どうやらそれを聞きつけて、俺の所に確認しに来たんだ。」
「ふむ…私に出来る事はありますか?」
「万が一、大隊に何かの被害が及ぶ様なら助けて欲しい。あれは俺が手塩に掛けて育てた大隊だ。そしてその噂を吹聴して回っている連中を中核に、君の計画を補助する部隊とする予定だったのだ。」
「そうですか。ではグリュンスゾート大隊は、こちら側の判断で宜しいのですか?」
「私が謹慎中だから実際には動けてはいないのだが、解除されればその様に動く予定だったのだ。だが、その前に実際に伯爵の城であの映画を見た連中はすっかり感化されていてな。俺が何も言わなくても、吹聴して回っているのだ。部隊内でもそのように動いているので、恐らく相当シンパは増えている筈だ。」
「ふむ、あれだけ名高いグリュンスゾート大隊が味方につけば、しかもガルディシア側ですからね。今直ぐには答えられませんが、ニッポンと相談します。それと、レティシアの部隊と接触した後にどうなったか詳細を教えて下さい。」
「勿論だ。これから向かっているようなので、少々時間はかかるだろうが必ず連絡する。」
「では、また後程。」
「頼む、伯爵。ではまた。」
そしてレティシアの一行は、グリュンスゾート大隊本部に到着した。