67.ル・シュテル領の査察-⑤
これまでニッポンの情報は海軍からしか来ていなかった。しかも海軍に仕込んだ情報局の協力者からだけだ。つまりは、あの北ロドリア海海戦に参加した物からの情報故に、実際に見た者達からの情報だ。そして帝都からの情報はほとんど表には出て来なかった。デールの上陸作戦以降、ようやく帝都から流れてきた情報は、西方の新興国家ニッポンと友好的国交を結ぶ、という決定が皇帝の勅命で通達された事だけだ。そもそもニッポンの情報を知らなければ、突然現れた新興国家とやらを"友好的外交"という聞きなれない言葉を使う事に違和感を感じる筈だ。普通に今までのガルディシアがこれまで取って来た政策から考えれば、そんな国は占領して支配下に置けば良い。支配し、その国の国民を捕虜として炭鉱送りにするだけで良いのだ。だが、その判断をしないという事は、友好的な外交をする事によって得られる事が敵対的外交をするよりも利益があるという事…もしくはそんな事を帝国が実行出来ない程に彼我の戦力差がある場合。恐らく、様々な情報と、自分で見た情報を考えるにニッポンは後者だろう。以前聞いた、帝国の戦艦を一撃で沈める事が可能な兵器をニッポンは持っているという件、あれは真実だ。という事は…我々ガルディシアが辺境の村を攻撃するような気軽さで、ニッポンは我々を攻撃する事が可能だろう。
さて、ここで問題だ。
俺は皇太子殿下の命令で、ここル・シュテルの居城に行こうとしている。殿下の命令の裏は、ル・シュテルとニッポンの協力に関する利権があるなら奪ってこい、という事だ。査察とかこつけてル・シュテルに難癖をつけ、何なら反逆の疑いありと罪を着せて牢屋にぶち込み、ニッポンとの交渉を皇太子殿下が握る、そういう事だ。だが、ル・シュテルとニッポンの関係が思いの外強力な物であったら?予想もし得ない信頼関係にあるとしたら?
ル・シュテルを強欲の輩、と皇太子殿下は評した。だが、そのル・シュテルが行っている事は、無償で土地を提供し、ニッポンの技術移転による住宅と道路の改善を、指定地域とはいえ無償で提供している。それにより周辺人口が増大し、一大商圏がエウルレンに構築されようとしている。そして俺達が命令とは言え、そのル・シュテルを害する事をやった場合、ここに集まるエウグスト人達はほぼ全員敵に回るだろう。それは大した問題ではない?…大きな問題だ。そいつらが日本の武器で武装して襲ってきたら?考えたくないが可能性は高いだろう。つまり、俺達がここでル・シュテルに対して何等かの良くない事をする事によって、最悪国を滅ぼしかねない引き金を引く可能性があるって事だ。
だが、ル・シュテルを放置した場合は…
恐らく、このバラディア大陸の中でエウレルンは最も発展した都市となるだろう。そしてマルソーの港は、ニッポンとの交易によって、もっとも発達した港となるだろう。発展した都市には人と金が集まる。ル・シュテルはニッポンの後ろ盾と技術によって、迂闊に手を出せない存在に育つに違いない。俺がニッポンの立場ならそうする。何ならル・シュテルに最新式の武器を供与しても良い。そうなればバラディアはニッポンの経済的な植民地に…
クレメンスの逡巡は永遠に続くかに思えたが、遂にル・シュテルの城に着いてしまった事により中断した。門では守衛から、やはり人数は20名までと言われたが、今回は小隊長4名と自分だけで行く事とし、昨日と同じく執事が出て来て、昨日とは別の部屋に案内された。そこは小さめのホールのような場所でテーブルと席が用意され、皆は席に座った。そしてル・シュテルが現れた。
「クレメンス准将、本日もご公務お疲れ様です。どのような事にも私共は協力致しますので、遠慮なく仰って下さい。」
「うむ、伯爵。その言葉大変助かる…
つかぬ事を伺う。ここにニッポンの武器はあるか?」
「いえ、御座いません。」
「そうか。由し…ロタール大尉。グリュンスゾート中隊を率いてエウグストに戻れ。皇太子殿下には俺からも報告するが、先に殿下に伝えてくれ。"ル・シュテルに叛意無し"と。また、エウルレンの現状報告は貴様等の見たまま報告せよ。俺は、伯爵に話がある。数日後に戻る。」
「はっ、了解いたしました。ホテルの引き上げは本日で宜しいでしょうか?」
「…本日はあのホテルに宿泊し、明日に出発せよ。以降は半日だが休養扱いだ。この金で喰うなり呑むなり抱くなり好きにして来い。但し、暴れるなよ。」
「感謝であります。では失礼します。」
クレメンスは懐から金貨の袋を取り出すとロタール大尉に渡した。ロタールは嬉々として他の小隊長と共に部屋を出ていった。このやり取りを見ていたル・シュテルは、意地悪そうな顔をしてクレメンスに尋ねた。
「あらあら、これは査察は終わったという認識でよろしいですかね?クレメンス准将?」
「私がここに残ったのも、ガルディシアの未来を考えての事だよ、伯爵。」
「それは査察を何等かの理由で打ち切った真の理由には聞こえませんが。その辺りがお伺いしてもよろしいのでしょうかね、クレメンス准将?」
「まぁ…有り体に言うと、君と敵対する意思は無い。というよりかは私は君と敵対すると最終的に民衆の敵となる未来しか見えない。それ故に君と敵対出来ない、といった方が正解だろう。」
「ははは、クレメンス准将。貴方は今の時点でエウグスト人やダルヴォート人の敵ですよ。ご存知でしょうが。あ、これは悪意とかでは無く事実ですので、お気になさらず。」
「ああ、そうだろう。そこらは当然であろうし別に気にもしていないよ。民衆の敵とはつまり、ニッポンの敵という意味だよ。そして、君が言った"私共は協力する"事について、逆に私からも提案したいのだ。私はどんな事でも協力する用意があるのだよ、伯爵。」
ル・シュテルは昨晩にクレメンスの心を折った確信があった。そして今日その追い打ちをかけて仕上げるつもりだった。勿論精神的な意味で。こういう査察は、ガルディシアの内部構造を考えるときっと何度も繰り返される事だろうと思う。言わば、帝国の権力構造は軍が突出して高いが、その軍も陸軍と海軍は相反し合っている。陸軍は戦争の花形だった。しかしガルディシアを統一した今、陸軍の出番より海軍の出番の方が高い事が予想される。それを意味するのが近年の海軍への予算偏重だ。その為、陸軍はあらゆる機会に介入しようとしてくる。今回もそれだ。そして陸軍の介入する機会を嫌って海軍は秘密主義に傾く。平たく言うと一枚岩では無いが故に、同様の理由や行動をそれぞれが謳って、同じ事を別々に行っている。つまり、今回の査察が終わっても、どこか別の部署が同じ事をするだろう、とル・シュテルは思っていた。その為、来る奴の精神を折り、反撃出来ないようにニッポンの後ろ盾を強調する。少し賢い奴なら以降は手を出さなくなる筈だった。
だが、これは薬が効きすぎたかもしれない。
この准将の態度は、普通に考えて裏切りだ。
もしかして別の何か裏があるのかもしれない。
ル・シュテルは改めて慎重に対応を始めた。