63.ル・シュテル領の査察-①
ル・シュテルの直通電話が鳴った。
ここマルソーでは、ル・シュテルの居城に重要な施設からの無線電話網が構築されていた。勿論日本資本が入ったホテルには当然無線電話が備えてある。何れ電力が安定供給された暁にはすべて携帯電話網に置き換わる予定だが、今の所スタンドアローンのシステムしか設置出来ない。
「もしもし、ル・シュテル伯爵ですか?
私、ホテル ザ・ジャパンの総支配人の飯塚と申します。」
「おお、総支配人。どうしましたか?」
「私共のホテルにガルディシア陸軍のクレメンスという方を筆頭に100名程宿泊なさっております。1週間宿泊予定だそうで、一応伯爵様の小耳に挟んで頂こうかと思いまして。」
「ああ、助かります。今度寄らさせて貰いますね。」
「いつもご利用ありがとうございます。それでは…」
意外と遅かったな、と思いつつル・シュテルは別の電話に電話をする。
「もしもし、ル・シュテルです。新しい世には…」
「新しい酒を。…どうしたんですか?」
「エウルレンの宿にガルディシア陸軍が中隊規模で宿泊したそうです。連泊1週間という事で、もしかするとそちらに入るかもしれません。重要な物は早急にコンテナに移動すべきかと。」
「情報感謝します。上に確認します。以上。」
ふーむ、やはり私は嫌われているなぁ、とル・シュテルは思う。そういう選択を今まで行ってきたのだから仕方が無い。これは言わばそのせめてもの罪滅ぼしになれば良いと思っている。だが、電話越しでも悪意をぶつけられるのは少々厳しい。こういう時は何か気分転換でもするのが良いだろう。
「さて。お客さんも来る事だし、城の掃除でもするか…!」
ル・シュテルは、敢えてニッポンからの物を見せびらかすような配置に一晩かけて内装を変えていった。
そして第二レイヤーは…
直ぐに第一レイヤーのメンバーに確認を取った。
現在、第二レイヤーは製造の始まっていない工場周辺の建物に居て、監視と保護をしている。万が一今の時点で踏み込まれても、単に機械があるだけで、製造された物は一つも無い。その為、ガルディシア陸軍が踏み込んできたとしても、下手に応戦して"ここには何か重要な物がある"事を自らバラすのではなく、工場を見たければ勝手に見せれば良い、という判断になった。そして、予め面の割れていない第二レイヤー要員を工場に配置し、もしもに備えた。そしてその工場は日本から金属を仕入れて、単純なボルトの類を製造する工場、というのが表向きの看板だ。配置された要員もそのように教育してある。あとはガルディシア陸軍が直接工場の中を立ち入った場合に危険な物が置いてないかを、翌朝にチェックするだけだった。勿論、万が一用の自爆用爆薬のチェックも同時に行う予定だった。
翌日…
クレメンスは未だかつて経験した事の無いキツイ目覚めだった。
昨晩は全く期待していなかった食事は、2階の食堂に集まれと言われて行くと、それは宮殿の食事もかくやと言うような見た事も無い新鮮な魚料理の数々だった。ここは港から近いとはいえ、それなりに内陸だ。何故に新鮮な魚が手に入るのだ?と疑問に思っていると、このホテルでは小規模ながら冷蔵・冷凍装置があるという。一応、ガルディシアに対する冷凍・冷蔵技術のデモンストレーションという意味合いもかねている事から、その種のシステムには助成金が出ており、それを利用して通常よりも値の張るシステムを入れ込んでいた。それらを利用しての、新鮮な魚料理だと言う。そして呑んだ事も無い酒を出されて酔っぱらってしまい、部屋に帰ってベットにそのまま潜り込んで寝ていたのだった。目覚めの後は、シャワーに入るとお湯が当たり前の様に出て、そのシャワーを浴びる程に段々覚醒してゆく。このキツさはニホンシュとかいう酒のせいか…気を付けないとな。口当たりの良さも相まって、あれは知らぬうちに足腰に来る。
それにしてもこのホテルとやら随分と食事も豪勢だったが、朝飯も付いてくるのか。と、指定された食事処に行くと、沢山の料理が山の様に並んでいて、宿泊した部屋のナンバーを受け付けが聞いてきた。部屋番号を告げると、朝食を取る為のルールを説明された。なんと、好きな物を好きなだけ皿から持って行って良いらしい。指定の皿が渡され、その皿の上に盛り付け、足りなかったら再度取りに行っても良いのだ。なんだ、ここは…?食の天国とはこういう場所に違いない。やはり、沢山の料理は知らないモノばかりだが、見た目で適当に旨そうな物ばかりを大量に皿の上に乗せた。あたりを見渡すと、部下たちが皿を片手に燥ぎまくって色々な料理を皿の上に乗せていた。各テーブルには皆が座って、やれこれは旨いだの、やれこれは外れだのと品評会を開いている。我々は査察に来たのであって、物見遊山でここに居る訳ではない、と心秘かにイライラしつつ、実際に料理を目の当たりにするとウキウキしているのを自覚し、微妙な顔つきになってしまう。
それにしても士官と兵を分けずに一緒のホテルに泊まったのは失敗だった。重要な話も出来ない。つい、全員泊まれるという事に驚いてしまい、そのままにしてしまったが、後でホテルと相談して、せめて階なりなんなりを分ける必要があるかもしれん。一応、本日中はここエウルレンの街中を見て回り、明日に街道を通ってル・シュテルの居城を含むマルソーの港を査察する。そういう流れで考えているが…どこか作戦会議が出来る場所は無いか?
「すまんが、この人数が集まれる所をどこか存知ないか?」
「108名ですね。当ホテルの宴会場も時間で貸しておりますので、こちらでご用意出来ますよ。全員座れる椅子と会議用のテーブルをご用意すれば宜しいですね。ただ、ご案内出来る時間は9時半以降になりますが宜しかったでしょうか?」
「おお、そうなのか。それは助かる。
9時半以降だな?いや、それで良い。どこに行けば良い?」
「その時間にフロントにお越しいただければご案内いたします。」
何から何まで至れり尽くせりだな、このホテルという所は。
実の所、クレメンスはこの街、というよりホテルが気に入ってきた。そして部隊の他の連中も、このホテルのバイキング形式というのがとても気に入っていた。このホテルに1週間連泊する事に、指揮官のクレメンスに対して非常に感謝さえしていた。
そして9時半になりクレメンスがロビーに行くと、フロントから一人の男が出てきて、会議場のご予約のお客様ですね、と聞き、そうだと答えると、会議場にご案内しますという。このホテルのシステムと連絡の確実さは、我が軍でも見習うべきレベルだな、と思っていると、宴会場を称する大きな会議室に案内された。そこでは既に椅子とテーブルが設置されており、直ぐにでも会議を始める事が出来る。クレメンスは先程の感想を更に強く思いつつ、全員をこの会議室に呼んで、ル・シュテル領査察に関する今後の予定を皆の前で話し始めた。