97.復讐者、誕生
夜。
闇が支配する領域。
外から見えぬように隠された蝋燭の灯り。
そのわずかな灯りが照らし出すのは、二つの影。
一つは鬼。
大柄で、太い。
その引き締まった筋肉から、それは脂肪ではなく力の厚みだということがうかがえる。
赤銅の肌と額から生える二本の角が、彼が人ではなく鬼、それも魔界の妖鬼と呼ばれる種族であることの証明だ。
もう一人は鎧武者。
無骨な全身鎧に、ぼろぼろの外套。
鎧もどの部位も傷だらけだ。
彼が持っているのは鋼鉄の剣だ。
それを肩に担いでいる。
剣の柄を両手で持ち、高く構える。
分厚い鉄の板と形容するのがふさわしい剣を、彼は振り下おろした。
防いだ大鉈ごと、妖鬼は斬られた。
「ば、かな?人間に、この妖鬼の継承者ギランキールが斬られるなどと!?」
「魔王軍の者は全て潰す。奪われた分だけ、我は奪う」
無骨なフルフェイスの兜の中からくぐもった声。
その感情の見えない眼差しに最期の気力を奪われたか。
妖鬼はどうっと倒れ、そして動かなくなった。
「精霊と虫、そして鬼。これで三つ。残すは魚人、獣人、竜、死人、そして暗黒騎士」
ずるずると鉄の板めいた剣を引きずりながら、彼はその場から離れていく。
ギランキールの亡骸は放置される。
ここは、大陸の町も村もない山奥の辺境。
魔王軍の残党が隠れ住んでいるだけの場所だった。
妖鬼将ガラルディンに率いられた勇猛なる妖鬼族は、ここに全滅したのだ。
誰も訪れない場所。
妖鬼と、そして同じように逃れてきた残党たちの亡骸は、誰にも看取られることなく打ち捨てられた。
かつて、大陸にニブラス王国なる国が存在した。
精強無比なるニブラス騎士団を持ち、大陸の北の強国としてリオニアと競いあっていた。
そのニブラスの騎士たちの敗北は、王城ニブラシアが一夜にして崩壊し、そこに魔王城ネガパレスが出現した時に始まった。
王族、貴族、騎士団長らが城の崩壊に巻き込まれて亡くなり、残った騎士たちはネガパレスを囲むことしかできなかった。
そこへ、ネガパレスから出現した暗黒騎士が襲いかかった。
名のある騎士たちが次々と討ち取られていく。
ただ一人残ったニブラスの王子を守る護衛の騎士たちを残して、その名高き騎士団は全て倒れた。
彼は、その護衛の一人である。
王子を安全な場所に移してから、彼は騎士団を離れた。
その身に宿るのは復讐。
奪われたものはもはや取り戻すことはできない。
なれば、奪われた分だけ奪うしかない。
魔王軍への復讐者はこうして誕生した。
魔王軍が各地へ侵攻する間、彼は抵抗する諸国の軍や冒険者たちと協力し、ある時は食い止め、ある時は敗北し落ち延びていった。
やがて、数年の戦いの後。
魔王軍は去っていった。
勇者たちが魔王を倒したという噂が流れたのは、それから一月もたたないころだったろうか。
魔王軍は去った。
その時、彼の心に去来したのは安堵ではなかった。
行き場を失くして、凝縮していく憎悪だ。
これはどうしたらいい?
逃げ損ねた残党を狩るのではまったく足りない。
しかし、彼が復讐の刃を向けるべき相手は魔王軍だった。
人間や、獣相手ではその復讐心は満足しなくなった。
振るう剣は常に魔王軍を探し求めている。
その刃を振るう中で、変化を感じたのは精霊を狩った時だったのを覚えている。
はるか昔、この世界には神の助力を得る神聖魔法、魔力を基に発動する魔導、そして精霊の力を借りる精霊魔法があったという。
しかし、神々とともに精霊もまた地上を去り、その力は失われた。
だが、精霊は帰還した。
恐るべき魔王の手先として。
暗黒の精霊や、憤怒や悲哀を司る負の感情の精霊などが魔王軍の一軍団として人間に襲いかかってきたのだ。
魔王軍の撤退のあとも一部の精霊は残っていた。
彼はそれを倒したのだ。
物理攻撃が効かない精霊たちに人間の兵士らは苦戦していたが、ニブラスの魔導剣術を修めた彼にとって、精霊などただの当てやすい的に過ぎなかった。
その内の一体、よくわからない混ぜ物のような精霊を彼は斬り殺した。
その瞬間。
頭の中が冴え渡るような奇妙な感覚を彼は覚えた。
魔王の継承者。
その文言が、頭の中に刻まれた。
それが意味するところも理解できた。
いくつかいる魔界の生き物、その種族の中で次の魔王を選ぶ戦いが繰り広げられているのだ。
そして、あの精霊はその参加者だったのだ。
それを殺したことで、彼は人間ながら参加資格を得たのだ。
彼は嫌悪感を抱くとともに、チャンスを得たと感じた。
彼が、魔王軍に憎悪を抱く者が魔王になったら、それは最高に痛快ではないか。
そうなったら。
全ての魔王軍に参加していたものをくびり殺そう。
奪われたものを、奪うのだ。
奪われた命には、命であがなわせる。
彼が復讐に加えて、さらに生きる目的を得た瞬間だった。
それから、彼は継承者を探し求めた。
意外にも次の継承者はすぐに見つかった。
テルエナという国がある。
さほど大きな国ではないが、商業都市マルツフェルから南海の諸国への流通路の中継地点であるため、賑わっていた国である。
そして、そこもまた魔王軍の侵攻目標になっていた。
担当したのは虫翅軍団。
虫魔将フュリファイに率いられた魔の虫の軍団であった。
“藍水”タリッサ・メルキドーレも加わった勇者一行とテルエナの軍隊による大反抗作戦“ビーナスの誕生”によって虫翅軍団は壊滅的打撃を受け、虫魔将も撤退した。
さらに魔王が倒された時に、フュリファイもまた倒れたために残された魔虫たちは森に潜み、次の行動まで待機を余儀なくされたのだった。
その虫巣を彼は偶然発見した。
予感めいたものを感じて、テルエナを訪れた彼は生き物の気配が無い森に引き寄せられるように近付いた。
森に一歩足を踏み入れた時、キィィィンと高温が鳴った。
警戒、もしくは侵入を報せる音と気づいた時には魔虫が彼の周りを囲んでいた。
並の者なら、そこで絶望して諦めるだろう。
しかし、彼は復讐のみに生きるために豪胆だった。
命知らずと言い換えてもいい。
相手の攻撃のことなどまるで考えずに剣を肩に担ぐ。
憤怒の精霊をその鉄板のような剣にまとわせ、豪腕一閃、振り抜いた。
粘液を吹き出しながら虫どもが斬られ、地に落ちていく。
反撃もできないほど連続で繰り出される攻撃は、嵐に似ていた。
森の奥から現れた蝶の翅を持つ人型の魔物が出た瞬間も、彼はまったく剣速を緩めることなく、斬って捨てた。
そして、どうやらその翅人間が虫の継承者だったようだ。
再び感じる冴え渡る何か。
そのころには魔虫もほとんど斬り殺され、生きている個体もピクピクとけいれんしている状態だった。
軍団規模なら、不死に次ぐ魔王軍第二位の大群を誇った虫翅軍団はこうして、壊滅したのだった。
精霊、虫、鬼。
三体の継承者を倒した彼の足取りは自然と北へ向かっていた。
目的地はない。
だが、頭の中の冴え渡る何かは北へ向かえと伝えている。
そこには、隣国であったリオニアと魔王軍の支配から解放された、しかしいまだ廃墟と変わらない故郷ニブラスがあるはずだった。
その手前、リオニアスに彼の仇敵ともいえる暗黒騎士がいることは、その人物が魔人の継承者であることははたして偶然なのだろうか。
しかし、彼はまだそのことを知らない。
二人が邂逅するまで、あとわずか。




