61.光の海で眠り、闇の地は惑う
現在、俺たちはゆったりとしたクルーズを楽しんでいた。
海風が心地よい。
青い空、白い雲、どこまでも続く海。
目の前には山と積まれたフルーツ。
横にはキレイなわき水がこんこんとわき、喉を潤す。
「気持ちいいですね、ギア様」
黒い髪を肩まで切ってしまったナギは、わき水のたまった池に足をつけて、目を閉じて笑う。
三年間、錆に閉じ込められていた彼女は、何もかもを楽しそうに行う。
食べること、眠ること、話すこと、歩くこと、笑うこと。
その全てが楽しそうだ。
今も、冷たい水の温度と感触を楽しんでいるようだ。
「そうだな」
なぜ、故郷を離れようと思ったのか聞いた。
そうしたら、もっと違うところに行って、いろんなことをしたい、だそうだ。
それに、三年前と比べて大人になったダヴィドたちに慣れない、らしい。
あの年頃の三年間は、結構成長するからな。
「クキュルルルル《もうそろそろ半分過ぎましたよー》」
上から聞こえた声に返事をする。
そう、今乗っているのはアペシュである。
島ほどの大きさの亀である。
魔界出身の大王亀の子供で、こちらの世界の海を調査するために送り込まれた。
タリッサが起こした海中爆発の時に、海に流された俺とリヴィが漂着した島の正体がアペシュだったのだ。
そのアペシュが、俺達と別れたあと大陸南回り航路付近をゆったり泳いでいたが、俺達の気配が大陸の反対側のギリア方面に移ったことを察して、移動を始めたのだそうだ。
そして、ギリアで俺達も困っていた。
帰路について、だ。
青い三又の矛ブルマーレの海を召喚する能力を使って、ギリアへ移動した俺達には帰る手段が無かった。
ブルマーレは壊れたために、召喚能力も失われた。
ギリアに長距離航行できる船はなく。
タリッサの魔法の船は、途中で魔力を補給しなければならない。
かといって、陸路を使うとリオニアスまで数ヶ月かかる。
一番、現実的なのは魔法の船と陸路の併用だが、それでも一月は見なければならない。
そこへ、アペシュが現れたのだ。
俺達のために、と果物と魚介類を大量に携えて。
アペシュに乗ったこともあるダヴィドは、感激のあまり、アペシュをギリアの神獣、というか守り神として祀ると言い出した。
気持ちはわかるが、いいのか?
まさに渡りに船。
俺達はアペシュにリオニアスまで連れていってもらうことにした。
それから二日。
道のりは半分に達した。
「しかし、ギリア、リオニアス間が四日か。信じられへん速さや」
同じく、足を水につけていたタリッサが過ぎ去っていく雲を見ながらそう言った。
ゆるやかな時間が過ぎているように見えるが、アペシュは全速力で航行している。
普通の船に見付かると厄介なので、重力変化による迷彩までしている。
俺達がゆったりしている間、アペシュが頑張っていてくれるのは悪い気がする。
まあ、アペシュは気にしないで下さい、と言ってくれたが。
「うぉらぁ!」
と雄叫びをあげながら、亀魔獣と戦っているのはバルカーである。
期間限定の成長促進効果が付与されているバルカーは、戦えば戦うほど成長する。
堅くて強い亀魔獣はちょうどよい相手だ。
ポーザとリヴィは魔法の訓練をしている。
年若のポーザの方が先生である。
そして、俺は航行中の絶対安静を言いつけられていた。
この旅の間中、俺は戦い続け、いくつかの戦いで限界まで戦った。
その傷は思いのほか深く、完全に治療するまでには時間がかかる、とあの医者が診断した。
寝てればなおる、と俺は言ったのだが、じゃあ動かず寝ててくださいと言い返される。
その結果、心配したリヴィたちに行動禁止を言い渡されたのだった。
なので、アペシュの背中広場のわき水の近くに、プールサイドチェアというか、サマーベッドというか、そういう休める椅子を用意してもらい、ずっと寝ていた。
本当は体の怪我より、魂の怪我の方がひどいんですよ、と医者は言っていた。
既存の魔法を書き換えたり、魔道具を自身で組み直したり、オリハルコンを組み込んだり、その新しい魔道具をテストもせずに使ったりという無理無茶無謀をした結果、かなりの負担がかかっていたらしい。
まあ、無茶だったとは今にして思う。
そう思いながら、俺の目は閉じられ、再び眠りについた。
魔界。
魔王軍宰相府。
宰相代行の職についていたボルルームは、汗を拭きながら魔鏡に映し出された地図を見ている。
魔界の地図である。
勇者に倒された先代魔王が魔界統一を成した時に作成されたもので、魔王軍の最高機密の一つである。
十七のブロックに区分けされたその地図を、彼は見ていた。
ボルルームの側には暗黒騎士隊長(臨時)のイラロッジが立っている。
このイラロッジは、副隊長として二番隊に所属していた。
隊長のギアの指揮のもと、数々の戦いに参加した猛者であり、かつある程度の兵法も使えると聞く。
ギアがいなくなった後、魔界で暗黒騎士を統率しているが、自分の隊長はギアだけである、ということで隊長(臨時)という立場である。
「やはり、始まっていましたか」
とイラロッジが呟く。
「ええ。まさか、魔界ではなく人間界で始まっていたとは」
「はい。魔王陛下が渡界された影響でしょうね」
「魔王継承戦争……」
魔王がいなくなったあと、必ず起こる次代の魔王を決める戦い。
それが、魔王継承戦争だ。
魔界に生きる各種族からそれぞれ一名が選出され、戦いあう。
最後に立っていた者が勝利者となり、次の魔王になる。
これは魔界の摂理が決める戦いであり、止めることはできない。
その戦いは、魔王軍の監視下にある魔界ではなく、人間界で始まってしまっていた。
そのため、対応は遅れている。
ボルルームも先代の宰相から、この戦いのことは聞いてはいた。
古参の文官で憶えているものもいた。
実を言うと魔人族は、この戦いへの参加に躊躇している。
なぜなら、魔人族の強者はほとんど勇者に倒されてしまったからだ。
魔王陛下、次の魔王になるべく設置された魔人の強者である四天王、それに騎士魔将バルドルバ。
唯一可能性があるのが、二番隊隊長だったギアなのだが、彼は人間との混血であるため、魔人族の代表に選ばれるか未知数なところがある。
仮に、魔人の代表が選ばれ負けてしまった時に、魔王軍は新たな魔王に従うことにしている。
仮にも人間界侵攻に一定の成果を残した魔王軍としてのノウハウは、どこの種族も欲しいだろう。
ただ、血に飢えた凶戦士のような者が魔王になった場合はどうするか。
血で血を洗う大戦争に発展する可能性もある。
その時に、ボルルームらは魔王軍としてそれに参加するのか?
そこまで考えながらいるうちに、ついに始まってしまったのだ。
今、地図を映している魔鏡はどの継承者がいくつの継承者を倒し、領土を獲得しているか色でわかるようになっている。
先代の魔王陛下が作成した魔道具の一つだ。
これを見ると、魔人族の継承者は獣人族と海魔族の継承者を倒し、魔人族とあわせて三つの領土を得ている。
他にもいくつか、二つないし三つ領土を得ている継承者がいる。
一体誰が魔人族の継承者かわからない。
そして、一部の戦いが人間界で行われていることとあいまって、今回の継承戦争は混沌とした様子を見せ始めていた。
「イラロッジ卿、人間界に送れるような人材はおりますか?」
「宰相代行、それは人間界の調査と隊長への接触が目的でありましょうか?」
「その通りだ。人間界に残ったギア殿はおそらく始まりつつある継承戦争の情報を持っているだろう。できるだけ顔見知りの騎士を送ってほしい」
「かしこまりました。二番隊にいた者で見繕います」
「頼む」
「では」
とイラロッジは騎士の詰め所に向かう。
残ったボルルームは色分けされた地図を見る。
「一体、どうなるのか。……私たちはどうすればいい?ギア……君は……どこにいる?」
変わりつつある魔界の光景に、ボルルームは友人の顔を思い浮かべた。
 




