43.彼の深い渇望をわたしは少しだけわかる気がした、そんな夜
「クルルルウェ『おひさしぶりです。暗黒騎士隊二番隊隊長のギアさん』」
『ひさしぶりだな、アペシュ』
実を言うとこの巨大亀、知り合いである。
名はアペシュ。
魔界大王亀という種族で、大きいものだと大陸ほどにまで成長するという。
彼らの神話では世界を支えているのは亀だというものもあると聞く。
海魔軍団の所属だったが、魔王軍の海上拠点構築の任務を受けて人間界の海上を島に化けて移動しているのだ。
その辞令を下したのは(なぜか)俺だったので、アペシュも俺のことを覚えていたようだ。
このくらいの大きさの島なら、まだ大王亀種では子供らしい。
出会った時で二メートル四方ほどの大きさだったから、俺からすれば成長著しいとしか思えないが。
「クルウェ、クル『どうしたんですか?この島はまだ魔王軍の目標の位置にはいませんよ』」
『実はな』
と、俺は魔王軍の敗北をアペシュに伝えた。
「クルルルルル!?『ええ、本当ですか!?』」
再び、島というかアペシュの体が震動し、大地が震える。
『伝えるのが遅れてすまない』
「クルルルゥ『それはいいんです。私の任務はなかなか仲間に会えませんから』」
『すまないついでなんだが、この島の亀の魔獣を倒してしまった。もし、アペシュの親族だったら謝る』
「クルクルクル『あの亀魔獣は島の警備用の使い魔です。いくらでも精製できますから大丈夫ですよ』」
『ならいいんだが』
「クルルルルゥルルェ『ところで、魔王軍が敗北したということは私の任務はどうなるんでしょう?』」
『希望者は魔界へ帰還できる。ここに残る者は魔王軍として人間に敵対することなく、人間界に順応しなければならない』
「クルークルルクルル『わかりました。ではわたしは残ります』」
『俺が言うのもなんだが、いいのか?』
「クルルルゥルルゥエ『いいんです。あっちに、戻ってもこのくらいの体の縄張りを見つけるのは難しいですから。こっちならこうやって、穏やかな海を歩き続けられますから』」
『そうか。ならこっちを楽しんでくれれば嬉しい』
「クルー『わかりました』クルルルウェルルル『そういえばここから帰るあてはあるんですか?』」
『正直に言うとないんだよ』
「クルルン『では近くの陸地まで運びますよ』」
『本当か、助かる』
「クルークルルン『おまかせください!』」
「なんか、ギアさん。亀さんと話してませんか?」
「奇遇だな、俺もそんな風に見えるんだが」
ズウゥンとアペシュが動き出した。
『ところで、俺と同じ匂いの奴は来なかったか?』
「クルルルェ『わたしのせいで海流が変わってましたので何人か、近くの島に流れてるみたいですね……あ、でも』」
『でも?』
「クルウウゥ『その島、けっこう強い魔物がいて……』」
『すまない、アペシュ。その島へ向かってくれるか?』
「クルー!『わかりました!』」
「絶対お話してますよ」
「してるよな。一体何者なんだ」
「話せば長くなります」
「そうか」
「おい、お前ら。この島と話がついた。先に俺の仲間、バルカーとポーザを助けに行くぞ」
「やっぱり、お話してた」
「ちょっと待ってくれ、ギア殿。俺の仲間の方はどうだ?」
「ええと、確か魔法使いの女性と重装の男だな?」
アペシュに聞くと、転移してきたのは一人だけだったらしい。
そして、転移魔法のパターンが海魔軍団のものに似ていたらしい。
むしろ、海魔軍団に似ていたから、元所属のアペシュに転移されたのかもしれない。
「ということは、元の場所にいる可能性が高いな」
「ダンジョンの奥だったか?三人パーティで一人でも抜けると厳しいな」
「ああ。だが二人とも大丈夫だろう。あそこは敵がいない」
「敵がいないダンジョン?珍しいですね」
ダンジョンとは地下室、地下監獄を意味する言葉で転じて地下迷宮となり、さらに広い意味で普通の人が入らない危険な地域、建物を指すようになった。
多くの場合、魔物が住み着き、そして財宝や道具が眠っているとされる。
その点を見れば、その敵がいないダンジョンというのが珍しいというのがわかる。
「じゃあ、すまないが俺たちの方を優先させてもらうぞ」
「俺もできるだけの手助けをしよう……その前に」
「なんだ?」
「この島は、亀の卵の件で怒っていないか?」
ひどく真面目な顔をしていたダヴィドに、俺は思わず笑ってしまった。
巡航形態になったアペシュは、早めの船並みのスピードで動き始めた。
島で一番高い広場はアペシュの背中だが、三人はここで待機していた。
さっきまでの困窮が嘘みたいに、食べ物がたくさんあった。
甲羅に生やした木々になった果実や、航行中に捕まえた魚介類をアペシュが提供してくれたからだ。
「わたしリンゴ好きですよ、アペシュさん」
「クルルルゥ」
リヴィとアペシュはなぜか仲良くなっていた。
「俺は焼いた魚も好きだが、貝を殻ごと焼いたものも大好物だ」
ダヴィドが好みの料理を口走り、作り始めた。
滑かな詠唱で“火球”を放ち、薪に火をつける。
器用な手付きで枝を削り串を作り、魚を指して焚き火の周りに並べる。
さらに焚き火の上に貝を置く。
パチパチと焚き火が燃え、魚からは脂がジュージュー滴り落ち、貝の中でぐつぐつと身が煮えている。
いつの間にか、日は落ちていた。
アペシュの話では明日の朝にはバルカーたちのいる島にたどり着くとのことだ。
それまでゆっくりとさせてもらうことにした。
焚き火を囲み、焼き魚を食べ、焼き貝の殻にたまった汁の熱さに笑う。
「すまん、俺は寝かせてもらう」
昨日も徹夜したし、海流を突破したし、リヴィを背負って森をさ迷ったし、今日は今日で亀魔獣と戦ったし、アペシュの上を歩き回ったし、限界だった。
アペシュが用意してくれた(どこかの誰かの漂流物の)寝袋にくるまり、眼を閉じると一瞬で寝た。
なにせ、アペシュの体の上だからかほんわり暖かいし、遠くからとくんとくんと鼓動が感じられる。
久しぶりに幸せな気持ちで寝ることができた。
スースーと寝息をたてはじめたギアを見て、リヴィは優しげに微笑む。
「すごい御仁だな」
「本当にそうです」
「彼はリオニア人なのか?」
「違います。もっと……遠くから来た人です」
「君の恋人なのか?」
「違……わなくはないんですけど、ううん。そうなれればいいな、かな」
「俺にも初恋の人がいてな」
ダヴィドは優しげに微笑んでいた。
「そうなんですか?」
「幼なじみだった。同じ城……家で育って、過ごしていた」
「幼なじみ、だった?」
「……その人は俺の身代わりになって、ダンジョンの最奥に閉じ込められている……俺はなんとしても、彼女を救いだしたい」
「ダヴィドさん……」
その言葉を吐いたときのダヴィドの顔、そして目がまるで凍えるようなものだったことにリヴィは不安を覚えた。
「……俺と、同じパーティの仲間はギリア難民なんだ」
「ギリア……ってそういえば、魔王軍に?」
ダヴィドは頷く。
「魔王軍に攻められ、俺たちは家族を、国を、家を失った」
同じだ、とリヴィは思う。
リヴィには家も国も残っているが、家族は魔王軍に奪われた。
ダヴィドのような冷たい顔をしてもおかしくない。
奪われたものを取り返したい、と思っても不思議じゃない。
魔王軍。
あれはなんなんだろう。
どうして攻めてきたのか。
私たちの平穏を乱して、奪うだけ奪っていって、世界中に悲しみだけ撒き散らして。
その結果は、わたしやダヴィドだ。
ギアさんの言う“俺は魔王軍の暗黒騎士だ”という言葉の重みをようやく理解した気がする。
世界中に撒き散らされた魔王軍への憎悪を、彼は一身に背負う気なのだろうか。
いや、違う。
わたしも側にいると約束した。
彼の隣にいるなら、それは守らなきゃならない。
彼のことを大好きという気持ちは変わらない。
そのための覚悟を、わたしはまだつけられないでいる。
沈黙したリヴィにダヴィドは声をかけた。
「すまない。こんな暖かな場所で言う話ではなかったな」
「あ、いえ。……すいません。……もう、寝ますね」
「俺はもう少し起きている。おやすみ」
「おやすみなさい、ダヴィドさん」
今の自分の気持ちに整理がつけられなくて、リヴィはギアより少し離れたところで眠りについた。




