404.女神
「有象無象が、私に傷をつけていい気になって」
霊帝の体に付けられた傷が瞬く間に修復されていく。
と、同時に彼女の瞳がもとのドロリとした紫色に戻る。
やはり、リヴィへの擬態か。
やってくれる。
「どうして、どうして、どうして、どうして」
その目からこぼれでるように、紫の光が堕ちていく。
その光は地面に落ちると小さな魔法陣となってゆらりと空間を揺らす。
「ねえ?どうして、私はギアさんのリヴィエールなのに、傷つけてくるんですか?確かに私は霊帝ですけど、この体はリヴィエールのものなんですよ?」
「リヴィの魂はどうした?」
「それは、ねえ。ちゃんとコピーして、話し方や考え方をぜぇーんぶ学んだあと、捨てましたよ。でもいいじゃないですか。私は霊帝であると同時にリヴィエールなんですから」
「お前はリヴィじゃない」
「リヴィエールですよ。覚えてますよ。パリオダ鉱床で助けてもらったことから、アペシュさんの背中でさまよった夜も、もちろん、二人の初めての夜も」
「エグいこと言うなあ、あの女の子」
と、ロドリグが呟く。
「だから私がリヴィで良いじゃないですか。私だって今回ちょっとやりすぎちゃいましたけど、ギアさんが生きている間くらいは待ちますよ。だって何十万年も待ったんですからあと五百年やそこら待てます。この世界を滅ぼして新しい世界を作るのは五百年後、それで良いでしょ?」
それは執行まで猶予が与えられただけで死刑宣告と同じだった。
この世界は滅びる。
俺が頷けば。
リヴィと同じような笑顔で霊帝は笑う。
「私ならずっと笑っていてあげますよ。たとえ誰が死んだって、どんな不幸があったって、どれほどの貧困や飢餓が訪れようとも、あなたのために笑っていてあげます。それがギアさんの望みなら」
リヴィが、いつも笑ってすごせる世界。
それが俺が魔王となって実現させる世界。
その望みが霊帝の願いを聞けばかなうのだ。
俺が生きている限り、その世界は続く。
俺が死んだらそれで終わりだが、死んだ俺には関係のないことだ。
全てが元通り、世界は元通りになる。
だが。
それは。
「違う」
「ギアさん?」
「やっぱりお前はリヴィじゃない」
「そうかな?」
「リヴィは人のことを思える娘だ。誰かと誰かのことを同時に考えて困ってしまうような優しい娘だ。けっして人の不幸を見て関心なく笑ったり、死を笑ったり、貧困や飢餓を笑ったりするようなことはしない」
「そうかな?」
「それに」
俺は銀の蝶の首飾りを握る。
これは、俺とリヴィがお互いのものを交換してプレゼントとしたものだ。
俺は砕けた朧偃月の欠片を首飾りにしたものを、リヴィは自身の髪飾りを。
それぞれの絆の証として。
困った時はどんなに離れていようと助けにくるという約束とともに。
リヴィは何度も助けてくれた。
俺が困っている時、ザドキでも、イグドラールでも、何度も。
俺も約束を果たす。
「リヴィはここにいる」
銀の蝶の首飾りはほのかに輝いた。
そして、彼女の声がする。
『正解だよ、ギアさん』
「さあ、来ますわよ、ギアさん」
ミスルトゥが空を見上げた。
いつまでも変わらない夜空、異界化した本営の不気味な空に亀裂がはしる。
「女神への変わらぬ愛情と信頼、それこそが女神その人が顕現する方法だ」
オリエンヌが、奴らしくない言葉を言う。
「ご主人、迎えてあげてください」
ゴブリアールが空を指す。
亀裂は夜空を裂いて、まばゆい青空が割ってはいる。
それは青く輝く球体。
「あれは」
「もちろん、魔法世界イグドラールでございますわ。わたくしを目印に星の海を超えて、この世界へと呼び寄せましたの」
「ああ、地母神的存在、だったか……」
「そして、イグドラールで信仰されている女神。リヴィエール様への想いが集まり、かの女神を呼び寄せる」
ゆっくりと近づいてくる青い球体、イグドラール世界のありとあらゆる場所から、女神への、リヴィへの祈りが発せられた。
それは光となって、まるで流星のようにこの夜のままの異界化本営へと落ちていく。
幾千、幾万もの祈りから生まれた流星群が輝いている。
あの世界で出会った人たちの祈り。
ピオネ村の衛兵ゴルニュ、宿屋の女将カベルネ、神殿の司祭、ピオネ男爵、その息子で冒険者のヴァイン、同じく冒険者のラングをはじめとしたピオネの冒険者たち、受付のピノ、魔法屋のネッビオーロ、リンドウのエルフのモーヴやその村のエルフたち、奴隷商人ボルフェティノ、樹楽台のエルフたち、メイローズの王や王弟、ヤードニアやライルールなどの貴族たち、ゴーレンの兵士たちに、ゴブリン皇帝とゴブリンたち、ラビリスの人々、バラ・ゴリョウと震閃組、大君となったギリアル・ラビリス、どこかへ去った巨人族。
あの世界で出会った人々の祈り、女神への真摯な信仰が。
この場により集まってくる。
「これはあなたが、あの世界で見せた光です」
「お前の行いが人々の心を動かし、女神への祈りと変わった」
「ご主人が、人も魔物もそれ以外も、イグドラールの全てを揺り動かした」
「運命にもてあそばれたそれがしに生きる目的を与えたのだ」
「世界に絶望しかないと思っていた私たちに希望を与えてくれた」
仲間たちからも祈りの言葉が口に出される。
『やがて魔王という呼び名は、むちゃくちゃだが何もかもを成し遂げる者として、知られるかもしれないな。“破壊”者よりはずっといい』
その声は向こうではもう会えなくなった者の声だ。
「ゼル!?」
祈りの光は終わらぬ夜のままの、異界化本営に“彼女”の姿を顕現させた。
“霊帝”の姿そっくりの、いやむしろこちらが本物だ。
そして、俺の好きな緑の瞳。
イグドラールの女神。
そして、俺の最も愛する人。
その名を俺は呼んだ。
「リヴィ」
「はい、ギアさん」
「ようやく」
「はい、ようやく会えましたね」
「ずいぶん長い間離れていた」
「そうですね。わたしの時間もイグドラール基準だったので四ヶ月くらいですね」
俺はリヴィの細い肩をぎゅっと抱き締めた。
「もう、離さん」
「はい、もちろんです」
「……吐き気がするよねえ」
リヴィと同じ声、だが口調や声のトーン、細かなところが違う霊帝はそう言った。
「吐き気がするのはこちらの方だ。散々引っ掻き回してくれやがって」
「私は新たな世界に望まれてここにいる。その誕生を心待ちにしている意志によってね。それを……くだらない愛情でいつまでもいつまでも妨害し続けてさ」
「相容れないのなら、仕方ない。決着をつけるまでだ」
「決着?……笑わせる。私は神だぞ」
まるで嵐のような気を発して、霊帝は一歩進み出る。
その威容に、俺とリヴィ以外が吹き飛ばされるように後退する。
「ちぃ、私たちはここまでのようだな。下がるぞ」
オリエンヌは流石に判断が早く、仲間たちを連れてさらに下がっていく。
オリエンヌ、ミスルトゥ、ゴブリアール、ギシラス、アリア。
ありがとう、お前らが来てくれたおかげで俺はリヴィと再会できた。
後退ついでに師匠とキャロライン、メリジェーヌも下がっていく。
ありがとう、師匠たちが霊帝を留めていてくれたから、俺が戦いに間に合った。
仲間たちが安全圏に行ったのを確認して、俺は霊帝に朧偃月を向けた。
「神がどうした。こっちには女神様がついてるんだよ!」
「だよ、です!」
俺とリヴィの向かう先、霊帝は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。




