399.お前の肩に世界の命運がかかっているぞ
「歩けるさ。それで今現在について教えてくれるか?」
ラスヴェートの問いに答えながら、今とこれからのことを尋ねる。
「魔王軍本営が異界化したことは言ったな?」
「ああ。中に俺の知り合いが閉じ込められているって話だろう?」
「悪い話がある」
薄暗い通路はおそらくはイグドラールから元の世界への移動を短縮化している。
かなり歩いたはずなのに、通路に変わりはない。
それはまだ元の世界には遠いということだ。
「聞こう」
「異界化した魔王軍本営での戦闘で、ラグレラ、ニコ、メリジェーヌが消滅。生き残っているのはシフォスとキャロラインのみだ」
「本当に、悪い知らせじゃねえか」
「余の配下の勇神の話では、リヴィエール嬢の姿をした何者かに倒されたようだ」
「リヴィの姿をした……霊帝、か?」
「おそらくな」
まさか、メリジェーヌがという思いと、そしてメリジェーヌならさもありなん、とも思う。
彼女もまた魔王として“緋雨の竜王”の号を持つ強者だ。
簡単にはやられはしない、が彼女はまた人間界で教師だ。
教え子のキャロラインやリヴィがピンチの時に身を呈してかばうことは想像に難くない。
ニコは、本来戦闘向きの性格でないことを考えると仕方ない。
仕方ないが、悲しくなる。
彼女自身のこともそうだが、兄であるバルカーの気持ちも考えてしまう。
ラグレラは、まあ、うん。
サンラスヴェーティアがまた混乱するだろうな、という感想だ。
「現地はどうなっている?」
「異界化した本営周辺については、まあ貴様が行った後に情報収集すればよかろう。本営の中では“空の結合”と呼ばれる現象が起こっているらしい」
「空の結合?」
「この世界に満ちる青白い魔力と新たな世界の力となる赤い魔力を融合させて、その反発力で全てを滅ぼすこと、らしいな」
「はぁ?」
「貴様も見たことがあるはずだ。世界の各地に設置されている異界との門、金属の祭壇の見た目をしたあれを」
金属の祭壇、と聞いて俺が思い出したのはザドキ村の墳墓にあったあれだ。
共に戦ったギュンターの兄の亡霊が、異界より“天使”を呼び出していた。
その戦いではかなりひどい目にあったのを覚えている。
「あの川に流れた油のようなギトギトした七色のやつか?」
「その表現は……よくわかるが、イメージは悪いな」
「あれは、天使とやらを呼び出す異界への門だったような気がするんだが」
「門というのは正しい表現だ。だが、そこから出てくるのは天使だけではない。それらは正しく“使い”だ。本当に出てくる何かを知らせるものだ」
「本当に出てくる何か?」
「余がおらぬ間に魔界では空白期と呼ばれる大乱の時代が訪れていた」
「イアペトスとか深淵の夢の使者が出てきた時代だろ?」
魔界は常に大戦争が起こっている状態だったようだ。
「その時、余は人間界におった。そして、余らも奴らと激しい戦いを繰り広げていたのだ」
「奴ら?」
「次なる世界の神」
「次なる世界の神?」
「本来ならば、この世界は終末を迎え滅亡し、そして次の世界の苗床となっていたらしい。しかし余はその運命を否定し、次の世界の到来を阻止したのだ」
「そいつはまあ、凄いことだな」
「まあ、そのおかげで余が主神となったのだがな」
「ほお」
「余はその次なる世界を垣間見た。それは油のような七色の光沢を持つ金属が連なる赤い世界」
「異界の門と同じ!?」
「いや、異界こそが次なる世界なのだ」
「じゃあ、あの天使たちも次の世界の?」
「そう。貴様がザドキ墳墓で出会った奴らがそれだ。奴らは今もなお、次なる世界の到来を期して門を開き、この世界を侵食しようとしているのだ」
「なら、今回も?」
「しかり。ただこれはかなり周到に練られた策かもしれぬ。だからこそ、貴様が役に立つ」
「俺が?」
「余が対処すれば事はすぐにすむ。だが、余が天界を離れた瞬間に次なる世界の神がちょっかいをかけてくるからな」
「ちょっかい?」
「うむ。世界を破壊しようとしてくるのだ」
「ちよっかいってレベルじゃねえな」
「そこで貴様だ。余の力をいくらか受け継いだ貴様は、余の代わりにこの変事を収める力がある。かつその責任もな」
「わかった。了解だ。俺にも責任はある」
リヴィを魔法の神、いや霊帝に引き合わせてしまった責任が。
「では、整理するぞ。今、魔王軍本営を異界化させているものはかつて精霊の魔王であった“霊帝”だ。そして、奴はおそらく新たな世界の“天使”ではないか、と思われる。その目的は新たな世界の到来のために魔力の反発である“空の結合”でこの世界を破壊すること」
「んで、俺が霊帝を倒して、事件を解決して、リヴィを救いだす、だな?」
「まあ、そのようなところだな」
「よし、やるか」
「……貴様は、この事件が起きる前にもう一度冒険者のような旅と冒険と戦いがしたい、と思っていたな?」
「……ああ。それがなんだ」
「その願望と、リヴィエール嬢との繋がりがイグドラールに貴様を流れ着かせた」
「それが」
「本来なら星の海の最果てに飛ばされ、二度と帰れなくても不思議ではなかった。貴様の悪運に感嘆しているのだよ」
「そうか。ならばあの旅路も無駄ではなかったな」
「もうすぐ、二つの世界の時間の同調が解ける。貴様が過ごしたあの世界は、一気に時を進めてしまうだろう」
「……あいつらを、埋葬できなかったな」
戦闘に継ぐ戦闘で、仲間たちは次々に命を落としていった。
その亡骸を、俺は戦場に置いてきてしまった。
ここの三十倍の速度で時間の流れるあの世界では、たった数日で何年も過ぎてしまう。
あの世界で知り合った人々も、すぐに歴史の彼方に埋もれてしまうのだろう。
それは少し寂しくもある。
「出会いと別れ。それがあるからこそ、新たな出会いもある」
「ラスヴェート……」
「余も、出会った者、別れた者、数多い。その出会い全てが余の大切な心の一部だ」
「たまには神様らしいことを言うのだな」
「余は紛れもなく神であるゆえな。……さて、戯れ言も終いだ。着くぞ」
薄暗かった通路はいつの間にか、白い壁がまぶしい道へと変わっていた。
もうすぐ見えるところに青白い転移門がある。
「いろいろ、助かった」
ここだけではなく、イグドラールでも何かと助言をくれていた。
「余が目をかけた者を他所へ長い間やるわけにもいかぬ」
「そうか」
「貴様の魔法は全て元の通り使えるし、余のくれてやった魔王の力も問題なく使えるだろう。その上、イグドラールで手に入れた能力だか魔法も、だ。今の貴様なら神とて斬れるだろう」
「あんたには勝てないよ」
「無論。余は最強の神だ。余に勝てるものなどおらぬ」
自慢気に笑うラスヴェートは少年のようだ。
もし、俺に兄がいたらこんな感じなのだろう。
いや、待て兄はいる。
アードゥル、という立派な兄が。
家を出た俺と違って、サラマンディア家をしっかりと継ぎ威勢を保っているのは凄いことだ。
ただ、仲が良いわけではない。
そんなことを思っていたら転移門が目の前に来ていた。
「では、行く」
「ふ。ひとつプレッシャーを与えておくか」
「あん?」
「お前の肩に、世界の命運がかかっているぞ」
「まったく、プレッシャーどころか燃えてきたぜ」
「頼むぞ」
偉い神様の声援を背中に受けて、俺は転移門をくぐった。




