39.ただ立って見つめていては海を渡ることはできない(から走る)
準備を終え、次の日が来た。
依頼人である海洋学者タリッサ・メルキドーレが事前調査から帰ってくる日だ。
現場にとんぼ返りする可能性があるため、出航準備を終えた船が一隻係留されている。
俺達の荷物や食料もそれに積んでいる。
俺たちは港に集まり、海洋学者の帰還を待っている。
水運ギルドのイッツォ、それに関係者が何人か、同じように待っている。
潮のにおいが鼻をくすぐる。
魔界にも海はあったが、いつも夕暮れのような赤い海だったから、こんな青空と青い海という光景はまだ見慣れない。
まあ、俺はこっちの青い方が好きだ。
桟橋の下に打ち寄せる波のリズムも心地よく、光景と音と風で自然とゆったりとした気分になる。
俺の隣に座っているリヴィもうつらうつらとしている。
バルカーは修行になる立ち方とやらを実践している。
タントウだかサンチンとかいうやつだ。
うっすらと汗をかいている。
ポーザはリオニア冒険者ギルド発行の怪物一覧を眺めている。
各地で違うモンスターの生態を熟知することで、モンスターを使役する手がかりにするのだという。
キィン、と言う音がする。
遠く、まどろみの向こう……いや、これは現実の音だ。
直接見るにはまだ遠い、だが気配なら。
リオニアスの港から遠く、何かが襲われている。
金属音、何かが武器を使って誰かを襲っている。
襲われているのはタイミング的に海洋学者さんだろう。
前もこんなことがあった。
そして、面倒ごとに巻き込まれた。
俺の信条は、面倒は放置すればさらに面倒になる、だ。
「仕方ない」
俺は立ち上がった。
「ギアさん?」
リヴィの寝ぼけた声。
「ちょっと行ってくる」
船で行っていては間に合わない。
ならば。
走るよりあるまい。
俺は海の上に飛び降りた。
「ギアさん!?」
右足が沈む前に左足を前に出し、左足が沈む前に右足を前に出す。
一秒ごとに四回、この動きを繰り返すことで水上を走ることができる!
東方の武道家がこの歩法で川の上を走り渡ったという故事を俺は知っている。
しかも、怪我人を背負いながら。
つまり、人間の身体能力を超える魔人の俺が鎧もつけない軽装なら、可能だと言うことだ。
普段の走りより、全力に近い疾走なら沈まないでいける。
そのまま、海の上を駆けていく。
「……ギアさん……すごい……」
「師匠……やっぱ師匠だ」
「リーダー、あれ魔法使ってないよね?」
とパーティメンバーが驚きに固まる。
それ以上に、イッツォをはじめとした水運ギルドの連中は硬直していた。
「え?あれ?人間?人間って海の上走れるんだー」
とやや現実から目をそらした発言をするものもいた。
さて、海上を走り抜け、襲撃の現場へ俺は急行した。
一隻の船に半魚人が五体ほど群がっている。
船員はほとんど血だらけで倒れ、女性が何か複雑な機構の弓のようなものを持っている。
女性は弓のような機械のレバーを引き、構える。
自動的に矢が装填される。
そして、引き金をひくと魔力が圧縮され、キィンという音が鳴り矢が発射された。
矢は、迫り来る半魚人の顔面を吹き飛ばした。
威力は凄いな。
もう一体現れた半魚人のつき出す矛を体をひねってかわし、もう一度レバーをひく。
回避行動をしながら、別の動作ができるのは正直すごいぞ。
充分な距離があるなら、このくらいの連射性は脅威だ。
しかし、ここまで接近されるとその装填にかかる時間は致命的な遅れになる。
さらに現れた半魚人が突きだした矛。
このままでは間違いなく貫かれる。
俺は漂ってきた半魚人の死体を足場にして、跳躍。
空中で剣を抜き、矛を突きだした半魚人を斬る。
空中で一回転し、船の上に着地する。
うん、脚が痛い。
明日筋肉痛になるな、これは。
「また半魚人!?……せやけど足二本あるやん?」
弓の機械を持っていた女性。
男性の着るような短い青いコタルディに、白いズボンの活動的な格好だ。
玉のような汗が浮かんだ顔には、不敵な笑みが浮かぶ。
短い髪はオリーブ色、耳には水滴のような形の水晶の耳飾り。
機械を持つ手には革の手袋をつけている。
「向こうから……リオニアスから来た冒険者のギアだ」
「へー、冒険者って海の上走れるんやな。うらやましいわ、ホンマ」
今、命の危機にさらされたばかりだというのにその女性はあっけらかんとした態度だった。
「緊張感の無い人だな」
「へっへー、よう言われんで、それ」
誉めてない。
その会話の間にも半魚人を一体、斬り殺している。
女性も装填し終わった機械を、半魚人に向け、発射。
海の上を漂う肉塊に変える。
そして、残った二体を危なげなく倒し、一応の危機は脱した。
「大丈夫か、怪我は?」
「なんとか助かったわー、感謝するで。船員さんらは……港までいけばなんとかならへんかな?」
「港には水運ギルドのイッツォさんがいる。なんとかなるだろう」
「ああ、イッツォさんなら安心やな。せや、挨拶まだやったな?一応、海洋学者やってます。タリッサ・メルキドーレや、よろしゅうな」
「やっぱり依頼人だったか。改めて、俺はギア。あんたの依頼を受けた三級パーティ“ドアーズ”のリーダーだ」
「ホンマ!?いやー、助かるわあ。難儀しとったんよ」
「これらのことか?」
海の上で沈んでいく半魚人共を俺は指す。
「そうなんよ。はじめ“渦”を調べてたんやけど、急にこいつらが渦から現れて、危なかったで」
「渦から魔物が?……相当まずいな、それは」
「そう思うやろ?錆だけでもあかんのに、魔物まで来たら……厳しいで」
リオニアスからマルツフェルまでの航路が使えないばかりか、そこから魔物が現れるとなれば、海から攻撃されることになる。
そして問題は、この半魚人はどこの所属かということだ。
人間界は既にほとんどの神と亜人が去った世界だ。
海に住む半魚人らも例外ではない。
昔は美しい人魚や半鳥半人などもいたらしいが、それらも去ってしまったらしい。
つまり、この半魚人は間違いなく魔界の出身だ。
そして、海魔軍団以外に水棲魔族を配下にする者はいない。
いないのだが、海魔軍団自体がもう壊滅しているため、誰も半魚人や海の怪物がどこにどのくらいいるのかを誰も把握できないのだ。
さっきの奴らは野良になった残党かもしれない。
でも、タリッサが言ったことが引っかかる。
渦から出てきた。
その渦がなんなのか、不思議なことだらけだ。
タリッサが早く調べたいと焦るわけが、ようやくわかってきた。
「とりあえずリオニアスへ戻ろう。船のこぎ手は……俺がやるか」
怪我人と女性と冒険者がいれば、力仕事は冒険者がやることになる。
それを俺ははっきりと悟った。
「なあ、タリッサさんよ。それ、なんだ?」
「ん?これ?」
タリッサが使っていた弓のような機械の武器。
「ああ、戦弩にしては複雑過ぎるし、魔力を使っていたよな?」
「あれだけの戦いで、余裕あるもんやなー。よく、見とってや。こいつはな、魔圧発射式弩って名付けたんやけど。矢の自動装填システムを研究してできた連弩機構、魔力を圧縮して、それが元に戻ろうとする力を発射機構に組み込んだんや」
要するにすごい武器、だと思っておけば間違いないだろう。
そして、それを扱えるだけの人物。
海洋学者タリッサ・メルキドーレの正体を、俺は知りたいような知りたくないような気持ちになった。
面倒なこの予感は当たるんだろうな、と俺は船を漕ぎながら思った。




