389.銀の蝶の祈り
「えらく真っ黒い剣じゃないか、ゼル」
いっそ凶悪と形容できるほどの巨大な剣を持っているゼルオーンに、俺は悲しみを覚えた。
なぜなら、ゼルの隣には親しげな見知らぬ若者が立っていて、その周囲には倒れた仲間たちが横たわっていたからだ。
ゼルオーンがやったわけではない、とはわかった。
何かがあって、こうなった。
その何かを、見知らぬ若者、いや霊帝騎士団の首魁オリエンヌ・メイスフィールドがやったのだ。
「案外早かったね。ギア君。……君が来たということはカンタータは敗れたか」
「はじめまして、だな。オリエンヌ」
「そうだね。はじめまして、だ」
「なぜ、関係ないお前がここにいる、とか言うのは止めてくれ。俺は俺の都合でここにいるのだからな」
「はは。ことここにいたっては言説など無意味。聞くことはないよ。それに、私はもうここを離れる」
「神の世界へ行くために、か?」
「そうだ。私は神に会うためにこの十年を生きてきた。ようやく、目的がかなう」
「俺の都合で止めさせてもらう」
「さて、それができるかな……ゼルオーン!」
オリエンヌの号令に、ゼルオーンは動いた。
俺に向けて剣を振るう。
黒く、巨大で、刺々しく、そして、黒くどろりとした粘液が滴っている。
俺は獄炎華・朧偃月でその剣を受け止める。
二つの剣の接触した箇所がジュウジュウと音をたてる。
これは、俺の大太刀の炎をゼルオーンの剣の粘液が消しているのだ。
「俺は、俺のために、お前を倒す、ギアァッ!!」
その剣はカンタータより重く、激しく、鋭い。
言うなれば騎士団最強。
「俺は立ち向かう者には全力を出すぞ、ゼル!」
既に“閻魔天”、“獄炎華・朧偃月”は発動しており、“見切り”、“鳳凰”もそれぞれ攻撃の回避、受けた攻撃からの復旧を担っている。
つまり、全力だ。
「俺は“破壊”する。この紛い物の世界も、クソッタレな俺も、何もかもを!」
振り下ろされた漆黒の両手剣を朧偃月で防ぐ。
膝に凄まじい負荷がかかる。
「噴き出せッ、朧偃月!」
朧偃月の峰の噴射口から爆炎が噴き出し、ゼルオーンの剣を押し戻していく。
俺は一歩踏み込み、その勢いで剣を弾く。
ゼルオーンは2メートルほど後退する。
「俺は騎士殺しだ」
爛々と光る眼をギロリと動かし、“破壊魔人”はそう口にした。
「騎士、殺し……?」
「騎士は能力を授かる。だが、それは千差万別。一人一人違うものだ。オリエンヌは禍根となりそうな能力、己に必要な能力を持つ騎士を秘密裏に抹殺していた」
「そいつはなんとも」
能力、とは確かに便利な力だ。
おそらくこれは契約魔法の発展した形なのだろう。
魔法を理解し、その本質を理解することで魔法と契約できる。
そうなれば、後は自由自在だ。
ただの“火球”でも、極めることでドラゴンすら貫く白き“火球”へと変化するように。
同じように、“能力”は決まった特性、効果を発揮できる。
それは使用者のこれまでの経験、感情、記憶に左右される。
もし、その能力を収集している者がいたなら。
その方法に能力を持つ者の殺害が必須だとしたら。
ゼルオーンのような“騎士殺し”が暗躍することになるのだろう。
「俺は殺した。仲間を。俺と同じように過去を変えられ、それを取り戻そうとする騎士たちを」
「ゼル……」
「いまさら、離れられるものかよッ!俺の背には死んだそいつらが乗っかっている。お前も地獄に来いよ、と呟いている」
「お前は……そうしたいのか?」
「あんたらと一緒にいた数ヶ月は、この十年間で一番楽しかったぜ」
ゼルオーンの能力は“破壊”だった。
これはありとあらゆるものを“破壊”する。
機械の腕のような物質も、ソーラアの持っていた不死性すらも“破壊”できた。
背後から仲間だと思っていた者に襲われ、絶対の信頼を置いていた“不死”が無くなったとしたら、騎士だとて活路はない。
そうやって、仲間のはずの騎士たちを殺していたゼルオーンはオリエンヌの絶大な信頼を得ていた。
ゼルオーン自身も、騎士団にいる限りオリエンヌに逆らうことはできないと知っていただろう。
なにせ、騎士殺しは騎士たちにとって絶対に許せることではないからだ。
不死であるはずの自分達を殺せる存在など、心を許すことなどできない。
ゼルオーンはその力を、隠していた。
弱く見せかけていた。
そして今、ゼルオーンはその力を全て解放し、さらにオリエンヌの“運命の石”によって更なる能力を獲得した。
「ゼル!お前は俺のものだッ!勝手なことをするな」
「もう戻れねえんだよ。俺はもう戻れねえ。あんたら全員を破壊して、オリエンヌ様に望みを叶えてもらう。それしか道はないんだ!」
「バカヤロウ!」
振るった朧偃月は、振り下ろされた漆黒の両手剣と激突する。
俺の膂力と、獄炎華の爆炎がゼルオーンの力を上回り、剣を吹き飛ばす。
ぬるぬると回転しながら、漆黒の両手剣は宙を舞う。
俺は跳躍し、剣を叩き斬った。
斬られた漆黒の両手剣は、硝子が割れ砕けるように粉々になり、きらきらと消えていった。
「あ、あ、あああ」
「ゼル。まだ戻れる。俺と共に来い!」
ゼルオーンは、嬉しそうに笑った。
「ありがとな。けど、もうダメだ……もう、無理なんだ。戻れない」
ゼルオーンの皮膚が真っ黒に染まった。
目は白目だけになり、口からは牙が生えていく。
肉体面では筋量が増加し、身長も伸びて、巨大化する。
「ゼル……」
ゼルオーン、いや“破壊魔人”となった騎士は立ち上がった。
体表は柔らかな皮膚ではなく、硬い甲殻のようになる。
「“破壊”」
破壊魔人がそれを口にすると、彼の視線の先にあった壁が粉砕された。
「もう止めろ」
俺は踏み込み、そして破壊魔人の前に立ち、斬る。
「“破壊”」
ボン、という音と鈍い衝撃と共に俺の右肩が弾けとんだ。
“破壊”の能力でやられたのだ。
自動的に“鳳凰”が発動し、炎が右肩を包み、修復する。
とりあえずは戦える。
だが、これは不味い。
見て、口にするだけで何もかも破壊できるのは明らかに強い。
それほどまでにゼルオーンの見いだされた力は強い。
「だが、引くわけにはいかない」
オリエンヌの姿がない。
はじめから、ゼルオーンを捨て駒にして自分だけが望みを叶えようとしていたのだ。
なぜ、俺はまた死に際すれすれの戦いをしているのだろう。
正直言えば、オリエンヌなど放っておいてもいいのだ。
俺は元の世界に帰るために、自分のやるべきことをなせばよかったのだ。
なのに、こんなところに来て死にかけている。
「“破壊”」
破壊魔人の声が響く。
今度は左腕がまるごと吹っ飛ぶ。
激痛。
痛みを感じるなら、まだ生きている証拠だ。
“鳳凰”が炎となって現れ、腕を修復する。
治った左手をぐっと握る。
大丈夫、まだやれる。
それにまだリヴィに会ってない。
このまま死ぬわけにはいかない。
『そうだね。わたしもギアさんに会いたい』
懐かしい声が聞こえた、と思った瞬間。
俺の目の前に、銀色の蝶が現れ羽ばたいた。
そのかそけき翅が起こしたそよ風は、ゆっくりとこの場に波及していく。
暖かなその風は、倒れた仲間たちを優しく癒していく。
銀の蝶はふわりと飛びさり、消える。
そして、仲間たちは一人、また一人と立ち上がった。




