388.会いたい、他の何を捨てても
オリエンヌ・メイスフィールドという男は、人生を費やした目的の達成を目の前にして、恍惚とした顔をしていた。
北辰宮の、七つの宮は制覇され、それを成した騎士たちは大半が死んだ。
仲間割れというのは大変心が痛むが、己が手を汚さずにすむのは良いことだ。
「それでなくても血塗れなのにな」
と自嘲するように笑う。
彼は“騎士の中の騎士”と呼ばれた男だ。
変貌した後の歴史ですら、そうだ。
メイローズ王国の南方にあったトロイア皇国の騎士団長として活躍し、いくつかの戦争で勝利をおさめ、トロイア皇王を狙う暗殺者を撃退したことで、その称号を得た。
オリエンヌはその記憶と、クー・スー帝国の騎士団長としての記憶が鮮明に残っている。
そう、彼は変貌前の記憶と、変貌後の記憶の両方を持っている稀有な人物である。
十年前、全ての記憶が合流し、彼は混乱した。
他の騎士たちと同じように。
だが、そこで彼はすぐに動いた。
二つの記憶、それを処理する頭脳、適応力、をもってやるべきことをやり始めた。
彼が考えたのは、これほどの変貌を起こすのは人為ではない、ということだ。
ならば。
ならば、この世界には本当に神がいる。
神にしか、あるいは上位者にしかこれほどの奇跡は起こせない。
会いたい。
と、オリエンヌは思った。
暁の主、魔法の神、女神、あるいは霊帝と呼ばれた失われた神。
いずれがこの変貌を引き起こしたかはわからない。
しかし、会いたい。
そのために、オリエンヌは動いた。
二つの記憶を総動員し、神が造ったとされる神器を収集した。
経験値を捧げることで不死性を与える“魔の大釜”。
秘められた能力を開花させる“運命の石”。
そして、能力を剥奪し、自由に与えられる魔剣“クラウソラス”。
この三つの神器を使い、オリエンヌは神と出会う方法を探し始める。
やがて北辰宮のことを、オリエンヌは知る。
七つの宮の守護者を破り、宮を解放することで神と面会できる、とされる伝説をエルフから聞き出した。
そのための人員が必要だ、と直感したオリエンヌは騎士たちを集めはじめた。
変貌によって、以前の記憶を残したまま見も知らぬ世界に放り出された者たち。
それらを集め、能力を開花させる。
深い悲しみや、絶望を体験すればするほど強い能力が手に入る、と経験則で知っていた。
騎士たちはそれにうってつけだった。
今までまったく違う世界に放り出された彼らは絶望に苛まれていた。
元に戻す、という希望がどれだけ彼らのことを惹き付けたか。
元々、騎士団長というカリスマ性を持っていたオリエンヌは彼らをまとめ、エルフの知識の確保と神器の収集、そして北辰宮の制覇を進行した。
そして、ついに七つの宮は陥落した。
後は“霊峰”への扉を開くだけだ。
「君たちには悪いことをした、とは思っているのだよ」
オリエンヌは一歩踏み出した。
かつての部下だったザネリという痩せぎすの男を踏み潰す。
能力も、不死性も失って乾いた枯れ木のようにパリパリとザネリは踏み砕かれる。
もう命は宿っていない。
「俺たちは負けねぇ」
ゼルオーンはオリエンヌの前に立っていた。
ただ一人。
「ゴブリン二匹、骨が一人分、エルフが一つ、裏切り者が二人。それらはみな地に伏し、君だけが立っている」
ゴブリア、ゴブール、ロドリグ、ミスルトゥ、アリア、ギシラス。
彼らはみな、オリエンヌ一人に敗れた。
「俺は諦めねぇ」
両手剣を構え、ゼルオーンはオリエンヌを睨み付ける。
「……君だけだ。そして、もう君も死ぬ」
「俺は死なねぇ。俺は帰る。帰るんだ、霊宮王国に、故郷に、ミシアの元に!」
その名は、ゼルオーンの婚約者の名前だったと聞いたことがあったな、とオリエンヌは思い出した。
同時に。
「彼女は死んだ、と聞いたがね」
「ああ……そうだ。世界の変貌の後、全てが書き換わった世界で、彼女は疫病で既に死んだことになっていた」
ゼルオーンの顔には表情は無い。
「君も行くといい」
オリエンヌは神速の斬撃を放つ。
が、それをゼルオーンは弾いた。
「はは、見えるぜ」
「君の目はそんなに良くなかったと思っていたのだが」
オリエンヌの言うとおりだった。
ゼルオーンがここを旅立ち、エルフの宿り木を拐うという任務に出た時はここまでレベルが高くなかった。
この数ヶ月で何を掴んだのか。
「俺の後ろで、とんでもねぇ奴が見ているんだ。恥ずかしくない戦いをしなきゃ、ならないんだよ!」
「なるほど、例のギア殿か。君をここまで熱くさせる、というなら……面白いことを考えた」
オリエンヌは一瞬で、ゼルオーンの背後に回った。
「な!?……み、見えない」
「私の能力で、一人だけ歴史を書き換えることができるとしたら?」
「!?」
ゼルオーンの戦意が一瞬で消え去った。
「嘘だと思うか?」
「し、信じられるか……あんたはみなを裏切ったんだぞ」
「騎士団はちょっと大きくなりすぎた。手早く店じまいをするために必要なことだったのだ」
「なぜだ!なぜ、みなを……」
「神と出会うのは私一人でいいからだ。まあ、君には理解もできないだろう」
「神……?」
「私はもうすぐこの世界を去る。もし、首尾よく目的を果たせたなら、君にその能力を譲ろう。だが……」
オリエンヌの言葉は途切れる。
沈黙にゼルオーンは焦れる。
「あんたが死ねば能力を譲るもなにも、なくなるっていうのか」
「そうだ。私が目的を果たす。これが最優先だ」
「……俺に」
ゼルオーンの顔に希望と絶望が交互に現れる。
「君にギアを撃退してほしい。それが条件だ」
ゼルオーンは胸を押さえた。
それは己の中に芽生えたギアという人物に対する畏敬の感情を握りつぶそうとしているかのようだ。
そうでなくては、ミシアは手に入らない。
この世界で得た絆は無いのか?
という、いつかのギアの言葉が胸の奥で囁く。
まだ、間に合う。
やり直せるぞ、という声はさらに強く響く。
だが、それをぎゅうと握る。
もっと重く、焦がれるような感情。
「俺は」
「君は破壊者だ。君が尊敬する彼は、君を、ミシアを救ってはくれない」
「俺と、ミシア……ミシア!!」
「さあ、我が運命の石により、さらなる能力を得るといい」
オリエンヌは、胸元から透き通る緑の球状の石を取り出し、ゼルオーンの目の前に掲げた。
ゼルオーンの絶望。
それは一度解き放たれて“破壊”という形で彼の力となった。
オリエンヌはさらに深い心の中に手を伸ばす。
愛しい者を失った。
それも瞬き一つの時間で。
その絶望を。
十年淀ませてきた、澱のような真っ黒な絶望を。
能力に。
「俺は、ミシアを取り戻す。他の何を失っても、たとえ神に仇なすとしても!」
「そうだ解き放て、絶望を!その力を!“破壊魔人”」
漆黒の闇がゼルオーンの両手剣にまとわりつく。
その闇が不吉な形状をした禍々しい刀身へと剣を変えた。
その鬼気迫る姿は魔人と呼ぶにふさわしい。
“魔人”ゼルオーンは部屋の入り口を向いた。
「……来た」
しゃがれた声に応えるような足音。
「では私は行くよ。あとわずかだ。ここを任せるよゼルオーン」
オリエンヌは部屋の奥へと向かう。
そこには青白い転移門が形成され、別の場所へと通じている。
赤と黒の炎に身を包んだギアが現れたのは、その直後だった。




