380.絶望のギシラスの剣
ギシラスの剣技は東方剣術の中でも独特のものだ。
軽快な動きを用い、虚実織り混ぜた刃を振るう。
「見たことのある剣術だな」
「そうか?伝承は天竜帝国の煌族のみに行われたはずだがな」
と、ギシラス。
煌族とは皇帝の一族という意味らしい。
彼が天竜帝国の皇帝の血を引くことは間違いないようだ。
もしも、世界が変わらなければ。
その剣術は確かに使い慣れてるふうではあったが、どことなくぎこちない。
「体がついてきてないようだが?」
「……わかるか。これはな“変貌”のせいなのだ」
悔しげに顔を歪ませて、ギシラスは言った。
変貌。
十年前に起こった世界の再編成。
それを覚えているせいで、彼の人生は大きくねじまがってしまった。
「……」
「わかるか?ある日突然、それがしは東方大帝国の煌子から辺境の小国の主に変わってしまったのだ。立場だけではない。若く引き締まった肉体はぶよぶよした肥満した男性のものになったのだ。我が剣術はここで一度途切れている」
そこから、ここまで体を鍛え直し、剣術を覚え直したのだろう。
その絶望、苦悩は筆舌に尽くしがたい。
それをなんら勘案せずに、国だ、政だと、押し付けてくる家臣やギリアルたちにも絶望したに違いない。
なにせギシラスは知らない。
このラビリスという国のことも、その家臣たちのことも、息子のことも。
生まれた国、慣れ親しんだ景色、気の合う友、愛した人。
それら全てが幻のように消え失せたとしたら。
彼の絶望が少しは想像できるだろうか。
それを取り戻そうとする気持ちが理解できるだろうか。
「それでも、ギリアルやラビリスの民にとって、今が現実だ」
「そんな現実になんの価値もない」
ギシラスは刀を振るう。
その刃には彼の想いが乗っている。
重く、そして痛い。
「そして騎士団に参加した、と」
「絶望の日々の中の、わずかな希望だった。狂いそうな現実の中、それがしの覚えていたことは間違いではないことを知るだけでもな」
「元の世界に戻ることなど、ない」
「それがしもそう思っていた。オリエンヌという男が人を集めるための方便ではないか、とな」
「……違う、というのか?」
「北辰宮という古代遺跡を知っているか?」
「何を急に」
世界の変貌で絶望した話をしていたのではなかったか?
「オリエンヌの研究によると、この遺跡は楔なのだという」
「くさび?」
「そう変貌する世界において、変化することなくこの遺跡は存在する。そこに我々は着目した。そして!」
血走った目でギシラスは高らかに叫んだ。
「この七つある遺跡の封印を解くことで、時間に干渉できるようになることがわかったのだ」
「時間に?」
「そうだ。そうすれば、この間違った世界をやり直し、真に正しい世界へ戻ることができる」
天を仰いだギシラスの鎧が赤く発光を始める。
「何を!」
「それがしの能力はどうも目覚めが遅くてな。いつも全力を発揮する前に戦いが終わってしまう」
赤い発光は彼を包み込み、そしてその姿を深紅のドラゴンへと変化させる。
薄桃色の被膜を持つ翼で空へとギシラスは羽ばたく。
「さあ、存分に戦おうぞ。我こそは天竜の大いなる煌子“大紅蓮”ギシラスなり!!」
放つ声は咆哮となり、大気を振動させ、大地を振るわせる。
「お、お、俺っちを囮にして逃げてくれ。あんなのとまともに戦えるわけない……」
骨をガチガチと鳴らしながら、ロドリグが俺の前に立つ。
「自分はもう死んでるから大丈夫、か?」
「あ、ああ。俺っちはあんたによって三度目の人生を生きている。死んでるけど、けどこれは俺っちの人生だ。だから俺っちが前に立たなきゃならない」
「あのなあ」
俺は「俺式早氷咲一刀流“雷雨”」を繰り出した。
元の神速の抜刀術の縦斬り“雹雨”を俺の炎の能力で強化した技だ。
宙に浮かぶギシラスの右腕が、その斬撃によって切り落とされる。
「な?」
抜刀が見えなかったギシラスには、いきなり腕が落ちたように思えただろう。
「あんなのに、俺が負けるわけないだろ?」
「俺っちカッコつけたけど、もしかしていらぬ世話?」
「いや、軽薄そうな語り口の割には義理堅いのだな、とは思ったな」
「うええ、そういうのは恥ずかしいから止めてくれ」
「骨までさらして今さら何を言ってるんだ」
そのセリフを言うと同時に“炎柱斬”。
神速の炎の横斬りがドラゴンの後ろ足をぶつ切りにする。
「な、なんだ!何をしている!?」
「お前を切り刻んでいるんだが、何か文句あるか?」
「そ、それがしはドラゴンだぞ!もっと恐れおののけ!」
あいにくドラゴンの知り合いは多い。
そのうちのほとんどは目の前のエセ竜よりも強い、あるいは強かった。
メリジェーヌ、竜魔将デルルカナフ、炎竜人と一体化したフレア、その他いろいろ。
「ドラゴンというだけでは俺に恐怖を与えることはできない」
「な!?なんなんだ、なんなんだお前は」
ドラゴンの姿をしているが、ギシラスの精神は人間のままだ。
どこか達観しているドラゴンたちのものではない。
「俺は魔王だ」
「魔王……?」
「この世界には無いものだ。覚える必要はない」
俺は瞬間的に七連続で抜刀術を繰り出す。
神速の抜刀に、ギシラスは対応できずにドラゴンの体を切り刻まれていく。
そして手足と翼、角を切り落とされたギシラスは地に落ちた。
彼の能力も効力を失い、赤く発光する何かがゆっくりと消えていく。
残ったのは疲れきった四十近くの男の姿だ。
「ついてない。まさか人外と戦うことになるとはな」
結局のところ、俺の一方的な攻撃に翻弄された形だ。
座り込んだギシラスはもう全てを諦めた虚ろな笑みだけが張り付いている。
そこに。
「おい、そっちに行ったぞ!」
とゼルオーンの叫び声。
「なんだなんだ!」
ロドリグが剣を構える。
駆け寄ってきた影は「“五稜星道剣”」と叫び、輝く刀を手にしていた。
「大君、ご無事ですか!」
「お前……」
血まみれで、隊服は傷だらけ、おおよそ満身創痍という有り様だが、その顔には闘志が、その目には不屈さが宿っていた。
そいつは俺の方を向いて、名乗りをあげる。
「震閃組副長バラ・ゴリョウ。大君がために推して参る」
護衛たちの中で、バラだけが唯一ここまでたどり着いた。
ゼルオーンとミスルトゥ、ゴブールはうまくやっただろうが、こいつだけは取り逃がしてしまったらしい。
「バラ……貴様、なぜここまで……?」
ギシラスをただ一人守るバラ。
しかし、ギシラスはけして良い為政者ではなかったはずだ。
守る価値などないはずだ、とギシラス自身が思っている。
「私は、大君に認められなければこうして刀を振るうこともなく、農奴として終わっていた人間です。その恩義、いまだに返しておりませぬ」
「……それがしは……」
「あんたにとってなんの価値もない国でも、それでもあんたによって救われた者はいたってことだ。望むと望まざると関わらず、そこに縁が生じる。それは簡単に切れない」
「それがしは十年を……いや、しかし……」
「大君、命じてください。こやつらを斬れ、と。私は、私の刃は大君のためにこそありまする」
覚悟を決めたバラに、ギシラスはなにかを感じたように口を開いた。
「バラ……刀を納めろ。それがしの敗けだ」
「大君……しかし……」
「よし、敗けを認めたからには俺の指図に従ってもらうぞ」
「は?」
急な事態の変遷についていけないのは誰も同じだ。
そういう時に引っ張るのが、俺の役目だ。




