36.戦うより教える方が楽しいと彼は思った
ギアたちと別れて、リヴィエールはリオニアスの街中を走った。
目的地は、リオニアスに唯一存在する魔法を教える学校、リオニア王立魔導学園だ。
旧宮廷の北に大きな敷地を有しているが、実はほとんどの機能をニューリオニアの新校舎へ移転しており、教育機関としての役目を終了しつつある。
これからは、魔法研究を主にしていくのだという。
リヴィにとって、そんな魔導学園は縁遠いものだった。
けれど、このままじゃいけないことはわかっていた。
新しく名付けられたギアとリヴィ(とバルカー)のパーティ“ドアーズ”。
その中で最も戦力で劣るのがリヴィだ。
リオニア最強であるギアは言うに及ばず、そんなに年が変わらないバルカーでさえも武道家としてリヴィよりもはるかに役に立っている(とリヴィは思っている)。
そして、今回はじめての遠征に実力不足を感じたリヴィは、魔法の指導をしてくれる人物を探し、ようやく見つけたのだった。
この魔導学園に最近帰って来て、特に仕事もない、それでいて凄腕の魔法使い。
その人物の門をリヴィは叩いた。
「本当に来たのか」
禿頭に紋様の入れ墨を施した男。
ゆったりとした茶色のローブを身に付けている。
「はい、よろしくお願いします、バーニンさん」
“メルティリア”に所属していた魔法使いバーニン。
彼もまた王国騎士団所属を解約され、この王立魔導学園の研究者となっていた。
「本物の魔法を知るなら、あの黒いのに頼めばよいだろう?なぜ俺に頼む」
気だるげにバーニンはそう言う。
それでも部屋の中に招き入れ、椅子に座らせる。
寝台と机、椅子、そして本がぎっしり詰まった書棚。
それが彼の部屋の全てだ。
壁に真っ赤な炎の意匠のローブと、魔導学園の制服らしき黒いローブがかけられている。
他に家具は無かった。
まあ、それは今は関係ない。
「ギアさんは強すぎるんです」
やや遠くを見ながら、リヴィは言った。
教えるのは上手い。
けれど彼は、彼の思う普通の基準が他の人より高い。
他の人が彼の思う基準までできるのが当たり前だと思っている。
リヴィもなんとかそこまで行きたいと思っているが、魔法使いとしての基礎がない彼女とギアの差は縮まることがない。
「それはわかる。それで俺を選んだわけは?」
「わたしが知る中で一番強い魔法使いがバーニンさんです」
ギアが来るまで、リオニア冒険者ギルドで一番強かったのは“メルティリア”で、その一人であるバーニンは、幼いリヴィにとって魔法使いとしての憧れだった。
そして、実際に襲撃の際に戦闘していないことから、バーニンへの、“メルティリア”への憧れはそのままだった。
「……俺より強い魔法使いはたくさんいる」
「ここにいるのはバーニンさん、ですよ」
「ッチ、ギルドの回りを走り回ってたガキが、でかくなりやがって」
そっぽを向いたバーニンの顔が、少し赤らんでいた。
照れているらしい。
「わたし、魔法の契約について教えてほしいんです」
「それをどこから聞いた?」
さっきまでの照れが嘘のように、バーニンは険しい顔になる。
「ギアさん、です」
「あのヤロウ。魔導学園出身じゃないからか、教えていいことと悪いことがあるくらい、わかれよ」
「教えてもらうのは、悪いこと、ですか?」
「……ああ、そうだ。未熟な、魔法の詠唱も覚束ないガキに教えるようなことじゃない」
バーニンは指を一つ上げた。
そして、静かに詠唱する。
「炎の女神よ、我が声を聞き届け、その燐光の欠片を我が手に“火球”」
小さな、しかし高熱の炎の球がバーニンの指の上に生まれる。
それは柔らかな灯りとなって、薄暗い部屋を照らした。
「わかるか、リヴィエール。こんな簡単な詠唱の魔法ですら炎を生み出せる。これが当たれば生き物は死ぬし、木は燃える。それほどまでに魔法とは危険なものなのだ」
リヴィはわかった、というように頷く。
フッと小さな火球は消えた。
暖かな残像だけ残して。
「そもそも、魔法とはなんだ?」
「え?」
当たり前にある技術。
リヴィの認識はそういう程度だ。
体のどこかを巡る魔力、呪文を唱えることで魔力を使い、そこにはない何かを呼び出す方法。
「いいか?魔法とはな、本来起こり得ない現象を魔力を消費することで起こった事にする方法なのだ」
「???」
リヴィの頭がバーニンの言い回しにより、混乱し始めた。
バーニンは呆れ顔になる。
「あー、と学園の講義風になっちまったな。そうだな、わかりやすく言うとだな。さっきの“火球”。あれは直前までこの場所にはなかった。本当は火種もなしに火を起こすのは大変だ。火種と火起こし、その二つの行程を魔力によってショートカットするってわけだ」
「なんとか、わかります」
「さらに言えば、生み出された炎を球状にして、宙に浮かせて、指定した場所に移動させる、なんてことまで魔力によって肩代わりさせている。こんな人間のできないことまでできる万能の力、それが魔力であり、魔法だ」
「それは、わかります」
「だが、言葉にすることはさっきまでできなかったろう?魔法とは、魔力とは何か、それを頭で理解するまでは“魔法使い”ではない。何も知らず、ただ本能でそれをするなら“魔法”使いでしかない。お前が本当の“魔法使い”になりたいのなら、そこはちゃんとしておけ」
「はい」
バーニンの言っていた小難しいこと。
ちゃんとした“魔法使い”になりたいのなら、魔法とは、魔力とは何かを言葉で、頭で理解しなくちゃならない。
そこはリヴィも理解した。
「よし、なら次は魔力だ。魔力とはなんだ、と聞いてもわかるまい。見せてやる」
わからないのは確かだが、いきなり断定はしないでほしい、とリヴィは笑顔の裏で思った。
リヴィの笑顔の裏は見通せず、バーニンは懐から青白くほのかに輝く石を取り出した。
「きれい……」
「これはハマリウム産の魔力石だ。砕くか、握って使うと魔法によって使われる魔力を肩代わりしてくれる道具だ。そしてこれは純粋に魔力が宿っているため、このように青白く輝くのだという」
「じゃあ、この青白い光が魔力なんですか?」
「そうだ。魔法の効果時間切れの時など注意してみると、このような青白い魔力の残光が見える」
「へえー」
「魔力とはな。魂の力なのだという」
「魂?」
「走ったり運動すると体が疲れるだろう?体力を使うからだ。同じように魔法を使うと考えることがだるくなる、魔力を、魂の力を使うからだ」
「確かに魔法を使うと、頭の回転が遅くなる気がします」
「そして、休むと体力も魔力も回復する。だが体力も肉体を酷使すると肉体が壊れてしまうことがあるように、魔法を使い過ぎると精神的に廃人になるから気を付けろ」
「わ、わかりました」
「……まあ、お前は知ってるから教えておくが、魔法との契約とは、この魔力を対価として捧げねばならん」
「魔力を対価として、ですか?」
「ああ、俺の契約しているのは“着火”という魔力との費用対効果に優れる、がけして強くはない魔法だ。だが、それですら魔力を二割持ってかれている。わかるか?常に二割、考える力が削られているんだ。これをもし三つも四つも同時に契約してみろ」
ほとんど廃人だぞ、と恐ろしそうにバーニンは言った。
それから数時間、リヴィは魔法と魔力についての基礎を簡単に講義された。
バーニンもまあ暇だったのだ。
そして、最後に。
「お前の知っている魔法、“火球”の呪文があるだろう?」
「はい。“炎の女神よ、我が声を聞き届け、その燐光の欠片を我が手に”です」
「その一節、一節に意味が込められている。これを一日十回書き取りし、さらに十回、魔法にならないくらいの魔力を込めて詠唱しろ。魔法も呪文を知れば知るほど、詠唱すればするほど、強さを増すし魔力も増える。いいな、必ずだ」
「はい、先生!」
と宿題を課されて、リヴィの魔法訓練は始まったのである。
 




