347.魔法世界イグドラール
懐かしい雰囲気の部屋だった。
そこは、リオニアスの冒険者ギルドにあるユグドーラスの執務室の再現だった。
向こうの世界では二度と見ることができない部屋だ。
かつての冒険者ギルドの建物は火災で焼失してしまっているからだ。
新しいギルドもみな気に入っているし、ユグも何も不満は言ってないらしい。
古書や何かの道具が、なんらかの法則によって並べられている。
それは雑然としているようには見えず、むしろ綺麗に見える。
古い木材やインクの匂いが気持ちを落ち着かせる。
「呼びつけてすまなかったね」
「いや、こちらも無限ごめんなさいから解放されてホッとしている」
「プラム君かね?彼女は生粋のメイローズ人だからね。どうもボルフェティノ氏のことは嫌いなようだね」
「組合長はそうではないと?」
「彼のような存在は、最後の命綱だと思ってる。こぼれ落ちた者が叩きつけられて死ぬよりは、生きてチャンスを掴むことの方がよほどマシだとね」
冒険者でもやっていけなかった者は奴隷になる。
さもなくば死ぬ。
そのことをプラムたちは考えない。
ただ奴隷制度だけを嫌悪しているのだ。
それが悪いことではないことは俺にもわかる。
ただ想像力が足りないだけだ。
自分がそうなった時に、虚しく死ぬよりはいくぶんかマシな道がある。
それだけは彼女らも、想像した方がいいのかもしれない。
「で、組合長は俺に何の用だ?」
「君の言うとおり、ピオネ村近くの街道で襲撃の跡があった。下請けの奴隷商とその護衛の亡骸が」
「埋葬はしてやれなかった」
「冒険者がちゃんと埋葬されることは少ないから、気に病むことはないですよ。それから、樹楽台にも問い合わせをしました」
エルフの古老によるエルフの意志決定機関、それが樹楽台だ。
その一員であるローリエはあれから見ていない。
「返答は?」
「特にない」
「……そうか」
「が、リアクションがあった。森の中の集落が一つ火災で大きなダメージを受けているらしく、その調査をしているらしい。もし、それが君の話の通りなら、君が真実を言っているということの証拠になるね」
樹楽台の動きは予想外に早い。
こちらへはローリエをよこし、竜胆の村へ調査を向かわせる。
エルフへは緩い統治をしているようで、その実ガチガチに統制しているのではないのだろうか。
まあ、ミスルトゥを見ていると気のせいかもしれない、とも思う。
「で、あんたの判断としては?」
「君に頼みたいことがある」
出たな。
こうやって組合長とか偉い人に呼び出されると、何か頼まれることが多い。
たいていの場合、それは厄介な事件が始まろうとしているか、もう進行中であるかのどちらかだ。
「話だけは聞こう」
「この街は辺境地方にしては大きいだろう?」
「それはそうだな」
「地方の都だから大きくなったのではなく、大きい街だからこの地方の都になったのですよ」
「もともと大きな街だった、と」
「ええ。ここは別名を古代都市グリーサと言って、地下に古代の遺跡があるのです」
「遺跡か」
「と言っても、その遺跡は調査されつくされていて、学術的には意味があっても、冒険者的な旨味はまったくない」
「誰も訪れない遺跡で何かがあった、というわけか」
「はい。強大な魔力反応がありました。しかし」
「しかし?」
「我々では潜れない」
「ん?」
「グリーサ古代遺跡は一級冒険者指定の迷宮なので」
「ここの冒険者は何級までいるんだ?」
「二級冒険者が三人です。強いていうなら私は元一級冒険者でしたけどね」
組合長やギルド長は、高位の元冒険者がなることが多い。
実績のある人物が長になれば、冒険者がついてくる。
いや、実績のある人物でなければついてこない、とも言える。
「そんな魔力反応があった割にはこの街は落ち着いているな」
「市民には知らせてませんからね」
「やはり危険なものか?」
「それを含めて調べていただきたい」
ゼルオーンとミスルトゥ、それにゴブリア、ゴブールがいればなんとかなるだろう。
それに先立つものが必要なことに変わりはないしな。
「わかった。請け負う」
組合長はホッとした顔をした。
それから、すぐに俺たちは古代遺跡の入口に案内された。
「『おいでやす、グリーサ古代遺跡』と書いてあるな」
「どうやら観光地のようだな」
ゼルオーンがうんざりしたように言う。
貴族連中が出入りしては「ほこりっぽいところでしたわ」とか「考古学的に意味のある遺跡だ」と言っている。
「これのどこが一級冒険者指定の古代遺跡なんだ?」
「冒険者組合の貴重な収入源なんです」
組合長は笑顔で言った。
「調査されつくした、とはこういうことか」
「ええ。危険がない箇所を観光に使っています」
「で、どこを調べろと?」
「こちらへ」
と、組合長は観光順路から外れて歩きだした。
石造りの通路は涼しい。
その通路の奥から魔力の残滓を感じた。
「これか?」
「これです。これがあの時はもっと激しかった」
「奥には何があるんだ?」
「祭壇です。古代神にして、暁の王ラスヴェートの」
「ん?」
「ご存知ないですか?教会に行けばその像がありますよ」
まあ女神様の像が目立ちますけどね、と組合長は言った。
同感だ。
「ここにその祭壇があるのは有名なのか?」
「いえ、ここを調査した冒険者くらいしか知らないはずですよ」
「そうか……」
「さあ、この先です」
「ところでなんでここが一級冒険者指定なんだ?」
特に危ないところはないし、強い怪物が出るわけでもない。
「一級冒険者への認定基準に、古代遺跡への深い造詣、知識があります。ここはかなり貴重な遺跡ですから」
荒くれ者が多い冒険者が遺跡を荒らすことを恐れた、というわけか。
一級冒険者はそんなことをしない、しない者が一級冒険者になるのだ。
まあ、俺は武功だけで一級になったから、そういう試験を受けなかったな、と思い出した。
組合長はその先で足を止めた。
「さあ、ここです」
石の扉がある。
確かに魔力はその先から感じられる。
「では行ってくる」
石の扉を抜けると、そこは確かに祭壇だった。
ブゥン、と何かが振動するような音がして。
『ふう。ようやく、ここまで来たな』
と、この祭壇の主の声が聞こえた。
「ラスヴェート、か」
『久しぶりだな』
「いいのか?この世界の者にお前の声を聞かせて」
『心配はいらん。余が時間を止めた』
振り向くと、ゼルオーンとミスルトゥが動きを止めている。
潜んでいるゴブリアとゴブールも止まっている。
「相変わらずだな」
『さて、お前がその世界に飛ばされた理由を話そう』
「それが目的で俺を呼んだのか?」
『お前なら面倒ごとに引き寄せられると思ってな』
ラスヴェートの言うとおり、俺はグリーサで起きている面倒ごとに着々と巻き込まれている。
「お前の目論見どおりだ」
『その世界は魔法世界イグドラール。かつて余の部下が創造した世界、そしてお前の妻リヴィエールに譲渡され、彼女が最高神となった世界だ』
「イグドラール……それがこの世界の名」
ラスヴェートはなぜか笑っている、そんな気がした。




