345.名乗り続ける。彼女に届くと信じて
ボルフェティノ商会の前にはスラリとした長身の男性が立っていた。
涼しげな、中性的な容姿に長く伸びた耳が彼がエルフであることを教えてくれる。
「わからないことがある」
と、俺たちの方を見ずにエルフの青年は言った。
「ミスルトゥは竜胆の子守木兵が守護していたはずだ。あれらは愚かだが弓の腕に長けていた。むざむざと宿り木を渡すはずがない。本当に彼女自身の意思で出てきたのか」
「あれは知り合いか?」
俺はミスルトゥに聞いてみた。
「樹楽台最年少のメンバー、ローリエ。直接の知り合いではございませんわ」
「わからないことはもう一つ。ミスルトゥに奴隷の強制力が働いていない。しかし奴隷の格好をしている。つまり、どういうことだろうか」
「つまりあれか、お前が奴隷にされたと知った保護者が、心配で見に来た、と?」
「まあ、その表現で正しいかと」
「あー、あれだ。ローリエさん、こちらにも事情がある。ミスルトゥに不名誉なことをさせたのは謝る」
「私は人間と話す舌を持たない」
相変わらずローリエはこちらを見ない。
「高貴なエルフの行い、というやつか」
「そうです。エルフはエルフとしか喋らず、己より格上でなければ目も合わせない、というしきたりです」
それでどうやって人間の街であるここで暮らしているのだろうか。
「格下のエルフを手足のように使っていると聞いたことがありますわ」
「そうか。よし、無視をするぞ」
俺は目も合わせないし、会話もしないローリエのことを無視すると決めた。
その横を通ってボルフェティノ商会の扉に手をかける。
まさか無視をされると思っていなかったローリエは急に狼狽えた。
「私は、私を、私の?」
「なあ、いいのか?」
と、ゼルオーンが聞いてくる。
「本人が話したくないのなら仕方ないだろう」
「それはそうだろうけどよ」
言動はアレだが、意外とゼルオーンは常識のあるほうなのだ。
「ではわたくしも無視をしますわ」
「ええ?ミスルトゥも?」
ミスルトゥが俺に続くと、ゼルオーンも仕方なさげにローリエに頭を下げて俺たちの方にやってきた。
フリーズしたままのローリエの横をゴブリアは通る。
そして一言「無様」と言った。
最後にゴブールは「ま、あんたもがんばりな」と言った。
俺たちがボルフェティノ商会の建物に入るまで、ローリエはそのままだった。
商会の中は静かだった。
俺の知っている商会とはまったく違う姿に面食らう。
もっとこう、商人たちがところせましと駆け回り、発注かなにかを叫んでいるイメージだ。
「いらっしゃいませ」
と静寂の中から現れたのは痩せぎすな男性だった。
ただ着ているものは高級品だ。
気弱そうに見せているのはブラフか、それとも素か。
「ボロンフホからの依頼で、エルフ奴隷を一体連れてきた」
ボロンフホというのは、ゼルオーンに護衛依頼をした奴隷商だ。
つまり、商会にはボロンフホの仕事を続行したという報告をしに来た体だ。
「……ボロンフホはやはり使えない。騎士団の連中を引き込んで、挙げ句の果てに殺されてしまうとは」
痩せぎすな男にしか見えなかった、彼の雰囲気が変わった。
「俺のことを知っている……?」
「知っていますよ、破壊騎士ゼルオーン殿」
「なら話が早い。身分証のない者がいてな、彼女を街に入れるためにあんたの名前を利用した」
「それだけで裏はないのですか?」
「裏?」
「私の商売はあまりこの国の人たちに好かれていないようですすし、こういう妨害はよくあるのですよ」
困ったような笑顔を男は浮かべる。
その笑顔、というか奥にある感情をどこかで見たことがある、と俺は思った。
どこで、誰だ?
ああ、そうか。
ツェルゲートだ。
と、俺の部下である吸血鬼のことを思い出した。
ああいう腹の底が黒い感じがなんとなく似ている。
ということは、この男も腹黒だ。
「あんた、ボルフェティノさんか?」
「はて、私は名乗りましたでしょうか?」
不愉快そうな顔をしているのは、俺があんた呼ばわりしたからだ。
だが、それはポーズだ。
その表情がよく出る仮面の下から、俺のことを観察している。
「この国の人たちに好かれていないのは“私”の商売と言ったな」
「言葉ひとつで首をとったようなことを言うのは軽率ですぞ。そもそも、ボルフェティノ商会はメイローズの外にもたくさんの顧客がいるのです。会頭自ら、こんな辺境に出向くはずがないでしょう」
「どうしても認めたくないならそれでいいさ。あんたがボルフェティノの頭に話が通じるならそれでいい」
「ほう?」
と、男の表情が動いた。
興味深い、という顔だ。
「まず、このエルフは渡せない。こいつは俺についてくるといった。ならばこれは俺のものだ」
「あら、積極的な殿方は嫌いではありませんわ」
ミスルトゥが頬を朱に染める。
「俺は既婚者だ」
「あらー」
「つまりは私どもと敵対すると?」
「いや、あんたらの商売を利用したい」
「ボルフェティノ商会が奴隷商だとは知っておいで、ですね?」
「もちろんだ。それでな、俺は今、自由になる手勢が欲しい」
「私兵、ですか。それはそれは剣呑なことですね」
「一国の動向を左右できる程度の軍隊を作ろうと思っている」
「……正気ですか?」
「正気だが?」
「目的は……国盗りでもするおつもりで?」
「いや。俺の目的を果たすためにはたぶん色々やらんといかんだろう。その時に自由に行動するためには、裏付けとなる力を持つ必要がある、と思ってな」
「交渉の材料に軍を組織する、と?」
「ああ、そうだ」
「……あなたは一体……」
「俺は魔王だ」
「まおう……?」
やはり、この世界に魔王の概念はない。
それでも俺は言い続けよう。
ここが彼女の世界なら、俺の言葉が彼女に届くかもしれないから。
「魔物に忌避感がなく戦闘を得意とする奴隷を五百」
「戦闘奴隷はすぐにでも集められましょう。しかし」
「魔物に忌避感、か?」
「ええ」
魔物に日常的に襲われるこの世界では人間と魔物の関係に、協調というものはない。
だがすでに俺の配下にはゴブリンたちがいる。
彼らは優秀だ。
だから、そんなゴブリンたちと仲良くなってもらわないと困るのだ。
「大言壮語たいへんけっこう、しかし先立つものがなければ私どもは何もできませんぞ」
という男の前に俺は金貨のつまった袋をどんと置く。
「手付金だ」
「……よいでしょう。いつまでにご必要ですか?」
「まだ急ぎではない。場所はおって伝える。俺たちとお前、良い関係となればよいな」
「ええ、まったくです」
俺は踵を返して、ボルフェティノ商会から退出した。
「なあ」
とゼルオーンが聞いてきた。
「なんだ?」
「どっからあんな大金だした?」
「俺の全財産だ」
「……金はもっと計画的に使った方がいいぞ?」
「そうだな」
「そういえば、ローリエがおりませんわね」
エルフのお偉いさんらしき青年は無視をした結果、どこかへ行ったようだ。
向こうの態度が態度だったから仕方ないが、話くらいはしてもよかったな。
そして、俺はピオネ村で稼いだ報酬を全て失い、無一文となった。




