34.渦、錆
「わたくしどもが重視している海路にリオニアスから商業都市マルツフェルへ向かうものがありまして」
商業都市マルツフェル、というのは俺も聞いたことのある。
いや、別の意味で知っている。
中央大陸諸国で、たった二つ、魔王軍が攻めることができなかった都市があった。
マルツフェルはその一つだ。
ちなみにもう一つは、聖都と呼ばれるサンラスベーティアだ。
ここを失えば中央大陸滅亡と同義とされた二つの都市。
マルツフェルはそんな場所だ。
中央大陸の東側にあるマルツ河、そこを遡上していくと三日月型のフェルリア湖がある。
その湖に面した円形の陸地に建てられた都市がマルツフェルだ。
商業都市の名の通り、ありとあらゆる物品が揃い、ありとあらゆる国の商人が集まっているという。
そして、その商人たちを目当てに造られた大陸有数の大歓楽街。
夜も眠らず動き続ける、この都市はある意味でこの大陸の中心であった。
魔王軍も流通の急所であるこのマルツフェルを攻めようとしたが、マルツ河の両岸の諸国が団結し魔王軍を食い止めた。
マルツフェルの周辺諸国はこの都市の重要性を知っているからだ。
ということで魔王軍にとっては手にできなかった宝石のような都である。
「リオニアスの海岸から出て、大陸側を南下してマルツ河に入るルートか?」
「はい。潮の流れも穏やかで使いやすい航路です。よくご存知で」
「……まあな」
もし、魔獣軍団がこのリオニアスを落としていたら、マルツフェル侵攻の本命の作戦で使われたであろう航路がそれだった。
魔王軍でも、かなり大陸の気候や潮流については研究されていて、自然を利用した作戦がいくつか立案されていた、らしい。
実際は、リオニアスは落ちなかったし、海魔軍団が壊滅したことで海で使える戦力を失った魔王軍にその作戦を実行することはできなかった。
「魔王軍が侵攻をはじめたあたりから、あの海域で異変が起きるようになったのです」
「異変、とは?」
「不定期に渦が発生するようになったのです」
「渦?」
「大きさは様々ですが、大きめのとなると船の航行に支障がでるほどのものがでました。ただ、航行上は注意していれば問題なかったんですが」
「ですが?」
魔王軍が侵攻をはじめてから出始めた“渦”か。
しかし、あそこには魔王軍の基地や拠点はないはずだ。
そもそも攻めきれなかった場所なのだから。
「一年ほど前から“渦”が常時発生するようになったのです。そして、それは時を経るごとに大きくなっていったのです」
その結果、リオニアスからマルツフェルへの航路は使えなくなった。
リオニアスが経済的にニューリオニアに抑圧されていた時は、どうしようもなかったが、今双方は和解している。
調査をしようと、例の海洋学者を送り込んだのだが。
「そこでさらに問題、というわけか」
冒険者を必要とするほどの問題。
イッツォは憔悴した顔で頷いた。
「ええ、渦の中から錆が発生したのです」
しばらく話してからイッツォは帰っていった。
そして、俺たちは受付嬢のマチに海洋学者との接触方法を確認する。
「事前調査から帰るのが明後日の予定ですので、帰ってきたら様子を見て出発ですかね。もしかしたら、休息するかもしれないので確定はできません」
「わかった。予想以上に大事のようだからな。明日で出発できる準備はしておく」
「お願いします。あ、そうだギアさん。忘れずに“出入国許可証”は持っていてください」
「ん?国外に出るわけではあるまい」
「ええ。確かにリオニアス領海での事ですし、場合によってはマルツフェルへ行くかもしれません。マルツフェル自体は結構出入りの制限はないんですけど、もし他の国が絡んできたらそれ持ってた方がうまくいく場合も多いと思いますよ」
真剣な顔のマチに、俺は頷く。
「ありがとう。そういう助言は助かる」
「……ギアさんって不思議ですね」
「不思議?」
「前いたところの冒険者ギルドだと、冒険者さんにそういうことを言うと“受付風情に何がわかる”とか“現場を知らない人間が偉そうに”とか言われちゃうんで」
あんまり、人格のよろしくない冒険者が集まっていたようだ。
もしくは、それが冒険者の平均なのか。
もし、後者だとしたら良くはないな。
「正しい助言はいつでも役に立つ。知識はそれだけで財貨に等しいからな」
「やっぱり不思議です。でも、ギアさんのいるギルドにこれて良かったです。本当に」
あ、ヤバいとリヴィが後ろで呟いているがなんのことだろうか。
「よし、では俺たちは一旦帰る。もし、その学者さんが来たら教えてくれ」
「わかりました」
「ギアさん、準備は明日するとして。今日はあと何かありますか?」
「いや、特に何もないな」
受けている依頼もない。
「じゃあ、すいません。わたし用事あるので、一回抜けます。夜には帰ります」
「おう。気を付けてな」
「はい」
と言って、トテテテとリヴィは走っていった。
「師匠!俺も用事があるぜ」
「危ないことはするなよ」
「わかってる!」
バルカーも走り去っていった。
急に一人になって、俺はさて何をしようか考えた。
考えたが、特に何もない。
ここに来てから、いつもリヴィとかバルカーとかユグに振り回されて、忙しかった。
不意に訪れた隙間に、何もすることがなかった。
酒を飲むにはまだ日が高い。
空いている飲み屋もないだろう。
「趣味を持つべきか」
ただ、いきなり趣味を見つけるのも無理な話だ。
ユグのところへ行っても忙しいのに無理をさせそうだしな。
結局、街をぶらぶらすることにした。
昼下がりのリオニアス商店街は、午後の気だるい空気を吹き飛ばすように賑やかだ。
ここ何年かの不振を払拭するように、商人たちは商売に精を出している。
そんな中、妙な騒がしさを感じた。
感じたのは、商店街にある酒場の一つ“夏のカナリア亭”だ。
昼は酒を出さずに簡単な定食を出している。
たまに出てくる豚の角煮が旨いので俺もそれを目当てに行くくらいはする。
バン、と扉があいて、ドカッと何かが蹴られ、ゴロゴロと地面に転がされる。
「おとといきやがれ、この犯罪者!」
顔見知りの店主が怒りをあらわにして、地面に転がった何かに罵声を浴びせ、そしてバンと扉を閉めた。
「ううう」
とすすりなく、地面の上の何か。
絶対に厄介な案件だが、厄介は放置するともっと厄介になる法則を考えると関わった方がまだマシか。
「おい、大丈夫か?」
すすりないていた地面の上の何かは、俺の方を見上げた。
顔は泥だらけだが、若い女だということはわかる。
「あ、あんたは!黒い奴」
「黒い奴言うな……ん、確かお前、ええとポーザ、だったか?」
真っ赤な三角帽子は折れ曲がり、へこんでいる。
紫色のローブは地面に転がったからか、汚れていた。
魔物操士のポーザ。
王国騎士団の裏任務部隊“メルティリア”に所属していた少女。
こないだの襲撃では、数百体の小鬼氏族を操って、レインディアを襲ったり、冒険者ギルドを襲ったり、俺を襲ったりした奴だ。
それがなんで、こんなところにいる?
しかも“夏のカナリア亭”の主人に犯罪者扱いされているのか?
「ご、ご飯……」
と俺を睨み付けていたポーザだったが、急に目の焦点が合わなくなり、パタンと倒れた。
空腹で気絶したらしい。
「……しょうがねえな。これもなにかの縁か」
まずは飯を用意しなければ。




