339.痛い時には痛いと言ったほうがよい
「ご主人!」
その叫びは、ゴブリアのものだった。
そして、その方向から鋭く尖った矢が迫ってくる。
弓矢くらいの速さなら抜刀術で斬れる。
だが、エルフの放つ矢はもっと速く重い。
俺は抜刀術の速さで当てて、逸らすことにした。
間一髪、刃が矢に触れた。
俺の真横を通りすぎていく矢は洞窟の石壁に突き刺さった。
「矢を逸らしたか」
見ると、弓を構えたエルフの子守木兵らがずらりと並んでいる。
そして、ゴブリアを捕らえているのはモーヴだ。
「それは俺の連れだ。離してもらおうか?」
「メリストスの果実は醸すと酒精が強い酒になる。それを何杯も飲ませたのに、なぜギア殿は立って歩けるのか」
「酒精が効かない者もいる、と考えた方がいい」
「なるほど、そういう体質あるいは耐性持ちというわけですか」
「勝手に入ったことは謝る。だが、入ってはいけないとは言われていないな」
「あなたの目的はなんです?どの国の密偵ですか?それとも野良エルフの手先ですか?」
「目的は特にないな。強いていうなら好奇心だ。それに俺はどこの国の所属でもない」
野良エルフというのがどういうものなのかはわからないが、俺はそれに所属はしていないだろう。
「なるほどそうやってはぐらかすのですね。いいでしょう。この根の宮の樹の糧となりなさい」
モーヴはさっと手をあげた。
子守木兵たちが一斉に矢をつがえた。
そして、モーヴが手を下ろすのにあわせて放つ。
「ご主人!」
「黙りなさい、ゴブリン」
ゴブリアの悲痛な叫び、それが癇に触ったのかモーヴはゴブリアの頭を殴った。
「おい、それは俺のものだと言っているだろうが!」
正面を覆うほどの矢が襲ってくる。
だがそんなものはなんでもない。
さきほどの矢と同じように速く、そして重い、さらに大量の矢を斬り抜ける。
斬り抜けるったら斬り抜ける!
ドスドスと何本かが突き刺さるが、動くには問題ないところだし、命に別状はない。
そのまま突き進む。
「まさか一射目を防ぐとは、だがエルフの弓術を見くびってもらっては困る」
モーヴの号令とともに、エルフたちの弓には次の矢がつがえられていた。
「な!」
「放てッ!」
再び、エルフたちの矢が放たれた。
さきほどと同じように、正面を塞ぐ矢の壁である。
同じように斬り抜けることはできる。
だが、少なくない矢が俺に刺さるだろう。
それを繰り返せば、いつかは致命傷をもらう。
そうなれば敗けだ。
精密に対処し、少しでもダメージを減らすようにしないと。
まったくユグあたりがいればノーダメージで突破できるのにな。
今度も俺は致命傷を負わずに切り抜けた。
「くっ!?なぜここまで!?」
「あれだけ射られりゃあな。一人一人の行動、動作パターンを覚えておくことで次の矢の軌道がわかる」
それを聞いたモーヴは信じられない、という顔をした。
「ぐ!だ、だがここに来るまでにすべての矢を避けられると思うてか!」
「ゴブール!」
俺は姿を見せない、もう一人の赤帽子の名を呼んだ。
「ここに」
モーヴの首に短刀の刃が突きつけられていた。
ゴブールがモーヴに気付かれずにその近くまでやってきていたことはなんとなくわかっていた。
「え?な、え?」
「我らの主に手を出すことの意味、死をもって理解するといい」
さっきまで有利な局面にいたはずなのに、一転して窮地に追い込まれたモーヴ。
その顔色は真っ青だ。
俺は刺さった矢をぐっと引っ張って抜く。
人間の使う矢のように返しのついた鉄の矢じりでなく、鋭く尖った木の矢であることが幸いした。
返しがついていると抜けないからな。
「痛くないのですか?」
「ん?痛いぞ」
ミスルトゥが不思議そうに聞いてくる。
「でも平気そう?」
「痛い時に痛いという顔をしないのが大人ってものでな」
「痛い時は痛いと言ったほうがいいですよ?でないと誰も痛いと信じてくれません」
「ああ。俺もそれを今痛感しているところだ」
俺はゆっくりとモーヴへ近付く。
「わ、私を殺すのですか?」
「いや……ゴブリアを離してもらおう」
「わ、わかった」
モーヴはゴブリアを捕らえていた縄から手を離した。
「大丈夫か?」
「不覚をとりました。面目ございません」
「いや、俺の無茶に付き合わせた。ゴブールも無理をさせたな」
「いえ……」
「ゴブール、もう大丈夫だ。短刀をしまえ」
「わかりました」
ゴブールはモーヴから短刀を離して、すっと消えた。
首にかかっていた圧力から解放されて、モーヴはぜひぜひとあえいだ。
「あ、あなたは一体……ゴブリンを従えて……なにを?」
「俺は、魔王だ」
「まおう?」
この世界に魔王という概念はない。
それでも俺はそう名乗る。
これは受け継いだものだからだ。
「こことは違う世界から飛ばされてきた。そして、元の世界に帰る。それが、それだけが目的だ」
「そんなこと……信じられるわけがありません」
「信じてもらわなくてもいい」
「なら、わたくしは信じますわ」
ミスルトゥが俺の前に立った。
「ミスルトゥ様、まさか!?」
「わたくしはこの“竜胆”の宿り木を辞めますわ」
「お、お考えなおしください。宿り木のいないエルフがどんな惨めなものか。おわかりのはずでしょう!?」
モーヴの必死の懇願に、ミスルトゥは笑顔で答えた。
「もちろん、わかっておりますわ。けれどそんなことはわたくしには関係ありません」
「そ、そんな……」
エルフの内部事情を知らない俺を置いてきぼりにしたミスルトゥとモーヴのやり取り。
誰か説明してもらえないだろうか。
そんな顔をしているとミスルトゥが笑顔のまま口を開いた。
「エルフの集落は地脈の上にあります。そして、その魔力をエルフが享受するための施設である“根の宮”、地脈と根の宮を繋ぐ宿り木が一つの集落に一つずつ存在するのです」
ミスルトゥはそう言って、地脈から魔力を引き出して見せる。
魔法によって形作られることのない魔力はキラキラとした青白い欠片となって空中に消えていく。
「その宿り木がお前というわけか」
「ええ。けれどもわたくしは“竜胆”の者ではありません」
「そうなのか?」
「はい。一年ほど前でしょうか。この“竜胆”の宿り木が亡くなったということで樹楽台から派遣されたのです」
それから宿り木として、ここにずっといたという。
一歩も外に出ることなく。
そういう文化なのだから俺がどうこう言うことはない。
ないが、それは俺ならば耐え難いな、と思う。
「しかし、年に一度。鐘鳴らしの夜だけは宿り木は外に出ることを許されるのです。その間、エルフの集落は眠りにつきます」
それがあの物静かな村の姿というわけか。
「その鐘鳴らしの夜、とやらに奴隷商がお前を拐かしたというわけか」
「はい。人間たちもどうやってかエルフの風習を知ったのでしょうね。悪意を持つ者にとってエルフが眠りにつくその夜は絶好の機会なのでしょう」
「ああ、そうか。それでモーヴたちは魔法を使えなかったのだな」
ここに来る前に感じていた疑問はだいたい晴れた。
あとは俺が無礼を謝ってここから出るだけなのだが。
「ということでわたくしはギア様に着いていきますわ」
と、ミスルトゥが言った。
そう簡単にいかないだろうな、と俺は思った。




