316.極光夜14
完全に己を取り戻したシフォスは、軽やかにそして楽しげに戦っていた。
「だいじょうぶ?キャロルちゃん」
「ニコ……ちゃん……」
足が痛むようで立ち上がることができなくなっていたニコは這って、キャロラインのもとまでやってきた。
「どうなるのかな」
「どうなる、とは?」
「ん。あのギアさんの偽物が言ってたじゃん。赤い極光と青い魔力が出会うと世界は滅びる」
「ええ、確かに」
「もう、そうなってる」
「え?」
キャロラインが周りを見ると、すでに極光は地表に到達していた。
そして、玉座から放たれている青白い魔力の光が赤い極光とゆっくりと混ざりあっていくのが見える。
ゆっくりと、ゆっくりと、地表から空にかけて紫色に染まっていく。
「あー、どうしようね。もう死ぬのはかんべんして欲しいんだけどなー」
「シフォス様は、勝ちます」
「どうしてそう言いきれるの?相手はギアさんのコピーだよ?」
「私がそれを信じているから」
「あー、なるほどなあ」
キャロラインの中でシフォスという存在はもう絶対者と同じ意味だった。
なぜなら、この永遠にも思える数時間で幾度も命を救われたからだ。
最初、独りで心細くて、小鬼に襲われて、どうしようもなくて、そこで助けてくれたのがシフォスだったのだ。
やがて、シフォスの刀が暗黒の霊帝を切り裂いた。
だが、それは意外でもなんでもなかった。
暗黒の霊帝の無銘の大太刀はついにシフォスを捉えることはできなかった。
逆にシフォスの刀は暗黒の霊帝を翻弄し、その繰り出される技は一撃も外すことがなかった。
「それにしても、こんなに実力的に差が出るのね」
さっきまでは暗黒騎士の方が上かもしれない、とニコは思っていた。
だが、本気を出す、と言って成った暗黒の霊帝がどうにも精彩を欠いているのだ。
「いいや、こいつ自体の強さは変わっておらん。俺は、まあ手を抜くのを止めただけだ」
余裕を取り戻した顔のシフォスはそう説明した。
「んふ」
そんな余裕。
そして、戦いの終わりを感じた時。
それは身動ぎした。
「まだ、動いて」
「んふふふふ。動きに精彩を欠く?弱い?当然だ。私はもうすでにこの体を見切ったのだからな」
暗黒の霊帝、だった黒い影のかたまりがぶるりと震える。
「何を」
「もはや空の天合は終わった」
静かに黒い影のかたまりはそう言った。
肉塊のようなそれはぶるりと震える。
空を見上げると、そこはすでに紫に染まっていた。
赤い極光も、青白い魔力の輝きも、ない。
ただ、紫。
紫はいつの間にか、この謁見の間もうっすらとその色に染めていた。
魔王軍本営の全ても、同じようになっているのか。
「お前たちは間に合わなかった」
暗黒騎士あるいは暗黒の霊帝だった影はもう顔さえ見えなくなり、その体をゆっくりと虚空へと溶かしていく。
「私は負けたが、私は勝った。世界は滅びる」
影はそう勝ち誇ったように言って。
完全に消えてしまった。
シフォスはゆっくりとニコとキャロラインの方へと歩いてきた。
「試合に勝って勝負に負けた、というやつだな」
顔に表情を乗せずに、彼はそう言った。
「これからどうなるのでしょう……?」
キャロラインが聞いた問いの答えは誰も持っていなかったが、すぐに答えは出た。
バズン、と空間が断裂した。
そして、そこにいたニコが消えた。
「こういう、終わりか」
さっきまで話をしていた友達が、こんな風に消えてしまったことにキャロラインはひどく動揺した。
「こんなことって……」
そんなショックを受けている間にも、バズン、バズンと空間は断ち斬られていく。
本営のリオニア王家滞在居館も、シフォスのいた地下牢も、大通りも。
みんな消えていく。
「娘。お前にはよき才があると思う。だが、誰かの後にいてはその才も開くことはない。お前自身の足で歩め」
なんだか急に師匠のようなことを言い始めたシフォスに驚いて、キャロラインはその顔を見つめた。
シフォスは笑っているようだった。
バズン。
その空間が切り取られて、シフォスは消えた。
恐怖と困惑、悲しさが入り交じった感情が、キャロラインの中にあふれて、一筋の涙になって目からこぼれた。
「行かなきゃ。私の足で歩かなきゃ」
ついさっき言われたことが、キャロラインを動かしていた。
シフォスは消えた。
しかし、なぜか彼が持っていた“関の孫六”だけがキャロラインの前に落ちている。
無意識で、彼女は武器を拾い上げ抱えた。
そして、走る。
異変はあの玉座の後ろから起きている。
もう全てが手遅れだとしても、せめて何が起こっているかを見届けなければ。
この次の瞬間、消えてしまうとしても。
キャロラインは玉座まで駆けていく。
彼女が一歩進むごとに、その後ろの空間がバズンと消えていく。
そう、もうこの世界には彼女と玉座周辺しか残っていないのだ。
玉座はただの椅子だ。
それに座る者に価値があるのであって、椅子自体に価値があるわけではない。
それは王族も同じだ、とキャロラインはわかった。
王の娘という立場に価値はない。
立派な王がいて、その機嫌を損ねないためにその娘はちやほやされているだけなのだ。
だから、自身の足で立って歩むことが必要なのだ。
王の娘、キャロライン・マークフロガ・リオンではなく。
キャロラインとして。
ある意味で彼女は、シフォス・ガルダイアの最後の弟子であった。
その名前と、面影がシフォスの知る人物に似ていた。
ただ、それだけの縁で助けられた。
しかし、最後の最後に、シフォスは言葉を遺した。
その言葉が、彼女の基礎に、あるいは支えになるとしたら、それは師と弟子の関係なのではないだろうか。
玉座の裏には七色の金属でできた祭壇がある。
そのギラギラとした、流れた油のような光沢は気色悪く見える。
かつてザドギ村の大墳墓の最奥を訪れた者たちなら、これがそこにあった祭壇とよく似ていることに気付いたかもしれない。
しかし、キャロラインにとってそれは初見のものであり、なおかつその上に浮かぶ球体に目をとられたために、そこまで不審には思わなかった。
透明な球体の中には、一人の少女が目を閉じて横たわっている。
キャロラインは、その少女の名を知っていた。
「リヴィエール……」
そこで、キャロラインは気付いた。
この世界は誰かの精神世界だったことに。
その主が誰だったか、ということに。
「……あなたが。あなたがこの世界の主だったのね」
だから。
街に現れた怪物が、小鬼と鷲獅子と亜竜だったのだ。
魔界に数えきれないほどいる魔物の中で、キャロラインでも名前の知っている魔物が出現したのは偶然ではなく、同じタイミングでそこにリヴィエールもいたからなのだ。
そう、実地研修だ。
リオニアス近くの森で行われたあのイベントで出てきた魔物が、ここに出てきていた。
気付くヒントはまだあったりする。
ラグレラ以外の“招待客”はみんな、リヴィエールの関係者だ。
幼なじみのニコ。
冒険者としての仲間で、教師であるメリジェーヌ。
ギアの師匠で、最大の敵であったシフォス。
そして、キャロライン。
「教えて、リヴィエール。どうして、こんなことをしたの?」
透明な球体の中で眠るリヴィエールに、キャロラインは聞いた。




