310.極光夜08
「ええと……君は?」
「改めてまして、ニコといいます」
「竜には見えないし、まさかと思うけど王女様ではないよねえ?」
「なんのことですか?」
ニコの、中にいる前世の記憶が警報を鳴らしていた。
この目の前の魔法使い?らしき青年は危険だ。
以前に聞いたことがあるが、呪文を唱えないで魔法を使える魔法使いは危険だ。
なんでも、その魔法を極め尽くして自由自在に使えるとか使えないとか。
影の戦士を倒したあの爆発魔法は、呪文を唱えずにニコの動きに合わせて放ったように見えた。
そしてなにより、言動が怪しい。
「ということは君は料理人かな?」
「さっきそう名乗りましたよね?」
ニコは警戒心を最大限に引き上げて、刀の柄に手を添える。
いつでも抜ける態勢だ。
こちらの名乗りをさらに確認してくる。
その態度に不審感を覚えた。
「あー、警戒させたね。ラグレラちゃんは名をラグレラという」
なんか二回名乗られた気がするんだけど……?
もしかして、一人称がラグレラちゃん、なのかな?
自分の名前を一人称で使う人はたまにいるし、子供なんかはよく名前で自分のことを表している、とニコは考えた。
いい大人がやると心になんか刺さるものがある。
「ラグレラさん……ですか……サンラスヴェーティアの?」
「へえ」
今度はラグレラが目を細めて警戒をあらわにした。
まあ、ニコだって料理にかけてはこの世界でも随一だと自負している。
料理に関する情報だって集めている。
そうすると、大陸各地の情勢なんかもなんとなくわかってくるものだ。
そう、ラスヴェート教会の大陸における最重要拠点であるサンラスヴェーティアでは三人の神官がその全てを仕切っている。
ロゾールロ、ルゲイル、そしてラグレラ。
同名の他人という可能性もあるが、さっきの魔法の冴えを見れば相応の実力者であるとわかる。
九割方予想通りの反応だった。
目の前の怪しい男は、ラグレラその人に間違いないだろう。
「目的はなんなのです?」
「目的、とは?」
「この世界での、です」
この世界、と言ってもラグレラの表情に驚きは無かった。
彼もまた、ここが人間界でも魔界でもない別の場所だとは知っているのだろう。
それはそれで危険人物だが。
「じゃあ、君は知っているのかな?」
「私は魔王の御座所に今回の事件の原因があると思います」
「原因、ねえ」
「ああ、それから一つ相談なんですけど」
「なんだい?」
「サンラスヴェーティアの都にニコズキッチンの新店を作りたいんですけど」
え、何いってんのこいつ、とでも言いたげなラグレラの顔。
「なんで、かな?」
「私の調べによると、ラスヴェート教会の統治が厳格なために、娯楽が相当少ないようですね?」
「清貧というのは教会の重要な教えだからね」
「でも、ガス抜きをしないといくら我慢強い民でも反感買っちゃう、そうは思いません?」
「教え、の他に民が夢中になってしまっては困る。少なくともラグレラちゃんたちの時代では」
「それは、逆に言えばニコズキッチンに魅力がある、ということですね?」
「……マルツフェルのターボーン商会の後援で、商業都市に店を出そうとしているのは知っている」
それがどれほどのことか。
大陸各地、いや魔界の情報ですら手に入れているサンラスヴェーティアの支配者の一人であるラグレラには信じられないほどの偉業に見えた。
マルツフェルは、誰にでもチャンスのある自由な商人の都。
しかし、その実態はいくつかの大商人が権益を手にし、その周囲に中堅の商人が栄えたり落ちぶれたりしている。
小さな商人などは泡のように浮かんでは消えたりする。
もう金の流れが決まってしまっていてどうにもならないのが、商業都市の実態だ。
そこへ、わずか一点風穴を開けようとしているニコズキッチン。
それは今までの泡沫商人のように一瞬で終わるかもしれないし、マルツフェルの胃袋をつかむかもしれない。
案外、大商人に食い込むかもしれない、とラグレラは感じていた。
そう、ラグレラのニコズキッチンへの評価は高い。
だからこそ、サンラスヴェーティアに店を出すという提案に乗り気にはなれなかった。
極論を言えば、教会組織さえ揺るがすのではないか、とすら思っていた。
三大欲求の一つ、食欲をコントロールするのは難しいのだ。
「ええ。そのついでと言いますか。サンラスヴェーティアやテルエナなんかにも支店を出したいんですよね」
「……たとえば」
「たとえば?」
「メニューをこちらの都合にあわせて変えるというのは、できるのかな?」
「もちろん。宗教的制約や体質的に受け付けないってのはどうしてもありますから」
マルツフェルに行った時に、ターボーンさんに出した料理と考え方は一緒だ。
制約があるなかで、どれだけ美味しいものが出せるのか。
それも腕を見せる一つの方法だろう。
「これは、その、少し突っ込んだ話なんだけれど」
「なんですか?」
「ラスヴェート教会が宗教面から、ニコズキッチンが食事の面から大陸を支配するというのはどうだろう?」
あ、やっぱり変な人だった。
どうやら、このラスヴェート教会というのは前世の時代の宗教団体とは違うのだ。
もっと権力、武力バリバリの王侯貴族とは別の枠組みにいる支配者なのだろう。
そういうのと深い付き合いになると、相手が何かやらかした時に巻き添えを食らう可能性が高い。
それに焦って店舗を拡大しても、今度はスタッフが足りなくなる。
そうだ。
マルツフェルへ送る人材すらなんとか遣り繰りしたくらいだ。
店を出店しすぎて、業績が傾いたチェーン店なんかもあったはず。
「食事、だけで他人のコントロールなんかできませんよ」
「さあ、どうだろうね」
「私は何かあった時に集まったり、特別な日に食べたりするようなそんな店を造りたいんです」
「ふうん……まあ、いいよ。ラグレラちゃんも性急すぎたようだしね。サンラスヴェーティアへの出店は議題にあげておこう」
「ありがとうございます」
「この件が片付けば、帰りにリオニアスを通る。その時に君の店にお邪魔させてもらおうかな」
「お待ちしております!」
「さて、話が弾んだところで。そろそろ向かおうじゃないか」
ラグレラは道の先にある魔王の御座所を指した。
「そういえば、まだ聞いてませんでしたよ」
「何がだい?」
「ラグレラさんの、目的」
「あー」
もしも、彼が魔王の御座所へ向かい、その原因を倒そうとしたのなら、止めなくてはならない、かもしれない。
彼女は友達だ。
「新しい魔王殿とラグレラちゃんには共通の知り合いがいてね」
「え?」
なんか予想していたのとは違う切り出したかただった。
「その知り合いが言うには、この世界に取り込まれた人たちがヤバい奴らばっかりだから、うまく押さえてくれって……」
「ヤバい……奴ら、ですか?」
「うん……いわく、王女、剣魔、竜の女王、それに勇者の力を持った料理人……」
聞いただけではわからないだろう。
しかし、前世の知識があるニコにとって本当にヤバそうなのはわかった。
なにより、勇者の力を持った料理人ってもしかして私のことではなかろうか。
ラグレラはどうやら、押さえ役として巻き込まれただけらしい。
「なんというか……お疲れ様です」
「君みたいに話のわかる人ばかりならいいんだけど」
「少なくとも人、でないのがいますよね?」
「そうなんだよねえ」
神官で暗部の長であるラグレラと、料理人で勇者の力を借りているニコ。
この妙な二人組は、とりあえず魔王の御座所へ向かって歩きだした。




