308.極光夜06
魔物や怪物たちの亡骸の山を背にしたメリジェーヌの前に現れたのは、槍使いの影だった。
メリジェーヌはそれを興味深そうに見る。
「ずいぶんと……くく、懐かしい姿よ。とはいえ、わらわとは初対面のはずよのう?」
槍使い、かつてフレアと呼ばれた冒険者は、メリジェーヌにとって因縁深い相手だ。
彼女の言うとおり、フレアとメリジェーヌは直接の面識はないのに、だ。
メリジェーヌは一回目の死期を悟った際に、自身の分身である七体の半竜半人を創造した。
炎竜人をはじめとしたその七体は、精霊の力を利用した不死性と、メリジェーヌの記憶知識経験、ある意味魂を保管した場所への霊的な鍵を与えられていた。
その七体は、人間界のリオン帝国へ貸し出されたという。
ドラゴンとリオン帝国の秘密裏の同盟によって、古代のリオニアは大きな混乱に陥ったと伝えられる。
やがて、七体の“メリジェーヌの子”らは、数多の犠牲を経て封印されたり、倒されてしまい、人間界から姿を消した。
長き時がたち、リオン帝国の跡地が遺跡となった現在。
遺跡の宝物庫に封じられていた炎竜人は解放された。
英雄“黒土”デルタリオスによって退けられたものの、不死身のそれは逃亡した。
そして、フレアもまた数奇な運命をたどる。
あるドラゴンを倒した際にそのドラゴンの魂に乗っ取られてしまったのだ。
暗黒騎士の力を振るったギアに敗れ投獄されたが、竜の力で脱獄。
その逃亡の中で、二つの竜に近い存在は出会った。
精神は魂を乗っ取ったドラゴン“コロロス”。
肉体はフレア。
そして振るう力は炎竜人。
三者の力を総合した“ドラゴン”は、デルタリオスを倒し、バルカーを殺した。
しかし。
怒りによって、ブチキレたリヴィエールの魔法によって瀕死に追い込まれたドラゴン。
その時、ドラゴンの中に潜んでいた、いや埋め込まれたメリジェーヌの記憶への鍵が開き、ドラゴンの力を全て飲み込んで彼女を復活させたのだ。
炎竜人はそのまま、メリジェーヌへと還った。
ドラゴンのコロロスはメリジェーヌによって消された。
そして、フレアは弾き飛ばされ、ほぼ死んだ状態でアンデッドの遺跡の近くへと落ちていった。
最終的には、アンデッドとなったフレアはギアと戦い、敗れ消滅した。
フレアは消え、メリジェーヌがこの世界に再誕したのだ。
そのため、この二人が顔を合わせたことはない。
だから、これが初対面だ。
たとえ、この場所が誰かの精神世界であり、フレアが本人でなく影であったとしても。
「喋らぬか……それとも喋れぬのか?」
フレアの影は答えない。
ただその手の影の槍を構えた。
「なるほど、戦いのみが是ということか。悪くない」
メリジェーヌはフレアの攻撃が始まる前に、すでに攻撃を開始していた。
槍の上を軽やかに歩み、フレアの影の顔面に蹴りを入れる。
「“爆散”蹴り」
メリジェーヌの蹴りには契約しているため詠唱無しで発動できる爆発魔法が付与されている。
ドラゴンに伝わる魔法と拳法の融合を果たした魔導武術。
その派生のようなものはコンロン国にも伝わっており、もちろんメリジェーヌも会得していた。
契約魔法を使えるほどの魔法使い、武道の達人。
相反する二つの道を極めた者だけが、この魔導武術を扱うことができるのだ。
時間、という圧倒的にアドバンテージを持ち、高い魔力と身体能力を持つドラゴンなればこそ、生み出し、会得できる武術なのだ。
メリジェーヌの蹴りに付与された“爆散”の魔法は、フレアの影の頭を爆発させた。
「ただの人間なら、これで終いなのだがのう」
ふらふらと後退するフレアの影がゆっくりと伸び、やがて頭を再構成する。
そして、再度槍を構える。
「頭を吹っ飛ばされてふらふらとする“演技”か?痛みもない魔法生物が」
そして、フレアは攻撃をはじめた。
人間のレベルなら達人といってもいいだろう。
だが、メリジェーヌには退屈なものでしかない。
遅く、弱い。
「生み出された影には魂が無い。ゆえに元の人物のイメージを繰り返すだけ。つまらぬ」
メリジェーヌは無造作に拳を突き出した。
それは吸い込まれるようにフレアの影に激突し、付与された魔法が爆発。
影はちりぢりに千切れとびながら、消えていった。
メリジェーヌは興味も無さそうに魔王の御座所の方を向いた。
だから。
粉々に見えた影が、わずかに残っていたことに気付かなかった。
影はひらひらと落ちた。
山の上に。
小鬼の亡骸の山の上に。
フレアが現れる前にメリジェーヌが、駆逐した小鬼たちである。
この小鬼たちは、この世界の主に、より正確に言うなら主の記憶をもとに造り出された。
そしてフレアの影は、この世界の守護者である暗黒騎士の記憶から生み出された。
その暗黒騎士もまた同じように主から生み出されているのだから、その出自は一緒だ。
同じものなら、同化できる。
元の人物のしつこさ、というか執念深さだけはなぜか受け継いだのかもしれない。
小鬼の山は瞬時に黒い影と化した。
同じように、鷲獅子や潰された亜竜の死骸も取り込まれていく。
メリジェーヌの見ていないところで黒い影の塊がのそりと立ち上がる。
その小山のような黒い影から触手が数本生える。
その先端が尖り、メリジェーヌに向かっていく
影の触手槍がメリジェーヌに当たる寸前、彼女は気付いた。
恐るべき反射速度で回避する。
「これは……」
黒い影の塊からは幾本もの槍が生えている。
それらはみなメリジェーヌを狙っていた。
それが一斉に放たれた。
メリジェーヌは避けるが、避けた槍も軌道を変えて追撃してくる。
槍の飽和攻撃に、ついにメリジェーヌは捉えられた。
「くうッ!」
ドラゴンの鱗も槍は突き破っていく。
一つ攻撃が当たれば、二発三発と当たっていく。
いくつもの槍がメリジェーヌを貫いていく。
そして、全身を貫かれたメリジェーヌは吐血しながら、宙に晒された。
その血が、影に振りかかる。
その場所が蠕動し、泡のようにぼこぼこと蠢く。
「わらわの血を……」
メリジェーヌの血を、フレアの影は吸い込んでいく。
「……俺を……」
影の泡のように蠢く箇所から声がする。
低い男の声だ。
「なんじゃ?」
槍に貫かれ、吊り下げられながらも、メリジェーヌの声には痛みや苦しさは感じられない。
影から顔面が浮き出てくる。
顔面、頭部、そして上半身までが黒い塊から生えてくる。
その顔や肉体はフレアのものだ。
「俺を……」
「はっきりと言え」
「殺してくれ」
「喋ったかと思えば泣き言かのう?」
「俺は……今の俺の意志はあんたの体に残る俺の欠片から再構成している」
「ふむ」
メリジェーヌは炎竜人、コロロス、フレアの融合体から生まれた。
ならば、その血肉にフレアだったものが含まれていてもおかしくない。
その欠片を、フレアの影が取り込んで、フレアを再構成した。
だが、その再生したものが死を望むのはどういうわけか。
「俺は奴に全てを託して、納得して逝った。だから、ここにいるのは本当の俺に対する侮蔑だ」
「フレアの誇りを守るため、ゆえか。良かろう」
メリジェーヌは突きささっている槍を体に力を入れて、ボキボキと折る。
いつでも折れたのだろう。
「頼む」
「わらわを驚かせてくれたのはお前が久々であった。その礼に完全に消し飛ばしてくれよう……“緋雨”」
メリジェーヌの言葉と共に雨が振った。
業業と燃える炎の雨だ。
一粒一粒が天から落ちる流星のように燃える。
彼女の魔王としての二つ名の由来が、この魔法だった。
燃える雨は塊となったフレアの影に振りかかり、焼き尽くした。
今度こそ、影はひとかけらも残らずに消え去った。
それを見送りながらメリジェーヌは無言で歩きだした。




