306.極光夜04
「ラグレラちゃんはまだ、眠いんだけど」
夜中に突然、起こされたラグレラは悪態をつきながら、それでも寝台から起き上がった。
『そんこと言わないでよー。ちょっとマズイことになってんだよ』
頭の中に直接話しかけてきたのは“深淵の夢の使者”を名乗る伝説の夢魔だ。
かつて、ラグレラが夢魔に取り憑かれた時に、間接的に命令していた存在である。
魔界では“白黒の邪悪”、“巨人の帝”と並び称される実力者だが、その本体はサンラスヴェーティアの地下湖に封印されている。
しかし、その精神は魔界と人間界を行き来して、夢の中から様々な影響を色々な人に与えている、らしい。
実を言えば、ラグレラの魔法の知識や道具造りの知見は夢を通じて、“深淵の夢の使者”から与えられたものであり、その意味ではラグレラにとっての師匠に当たるといっても過言ではない。
「ここは……魔界ではないね?」
ラスヴェート教会の使者として、ラグレラは魔王ギアの結婚式に参加するため、魔界を訪れていた。
他の諸国もそうだろうが、ことラスヴェート教会としてはこれは前代未聞の出来事だ。
教会の実力者が魔界へ行く、というのは公式な例としては皆無だ。
初めて訪れた魔界であったが、その雰囲気や気候的なものはだいたい把握していた。
しかし、今この瞬間。
この場所は、違う。
見た目は一緒だ。
違うのは夜空に青や緑にたなびく極光があるのと、そこら中に魔物が群れていることくらいだ。
けれども、空間的な面で言えばラグレラにははっきりと違いがわかった。
夢と現実と同じくらいには違う。
それを言語化はできないのだけれども。
『ここは、ある人物の精神世界。何人かが取り込まれ、この中を彷徨っている』
「精神世界?それは心の中ってこと?」
『ちょっとね、ラス様の関係者がやらかしちゃってね』
「暁の主の……それは不穏当な言葉だね」
『この世界の主が、キャパシティを超える力を注ぎ込まれた結果、彼女の精神世界が現実化し、彼女に近い人物を取り込んだ』
「ラグレラちゃんはなんで、取り込まれたんだ?」
ラグレラにはそんな恐ろしげな精神世界に取り込まれる由縁はない、はずだ。
そもそも、睡眠系状態異常に強い耐性がある、のである。
『今、ここにいるのは魔法の才がある王女、剣魔、勇者のような料理人、竜の女王、の四人。戦力的には過剰なんだけど、やり過ぎちゃう気がするから、ラグレラちゃんが制御してね』
「ラグレラちゃんの説明に答えてないよね?」
『ぼ、僕が使える手駒が君しかいなかったんだよ、ゴメンね』
「君の眷族たる夢魔たちは?」
『実は夢魔の中では僕はそんなに尊敬されてない……』
「悲しいことを言うね……。まあ、いいよ。ラグレラちゃんは何をすればいいの?」
『魔王の御座所にたどり着いて、その四人がやり過ぎるのを防いで』
「王女に剣魔に竜に勇者だっけ?」
『本気、だしていいから』
「ふうん?……そう?」
いつの間にか、ラグレラは黒い法衣を着けていた。
ねじくれた木の杖を右手に持ち、窓のさんに足をかけた。
「“隠蔽”、“粉塵”、“爆散”」
振り下ろした杖に乗せた三つの契約している魔法を同時に放つ。
次の瞬間、街路を歩いていた小鬼の群れや、空を飛んでいた鷲獅子らが消し飛んだ。
隠蔽で視覚や嗅覚、皮膚感覚からシャットアウトされた魔力の微細な粉が周囲の魔物に取り込まれ、それらが一斉に爆発した。
それがこの三つの魔法を組み合わせた効果だ。
契約していることで、魔力の消費量、発動速度を調節できるため、同じ威力、規模の魔法より効率的に発動できる。
ふわりとラグレラは窓から飛び降りた。
「なるほど、確かにラグレラちゃん向けの世界だ。明晰夢の世界とでも言おうか。夢の中に近いというのなら、本気を出してもいいということか」
『あ、あんまりやり過ぎないでね?僕がラス様に怒られちゃう』
「ええ。ラグレラちゃんは常識人と、よく言われますから」
『ええ……?』
ラグレラは杖を軽く振った。
さきほどの三つの魔法のコンボが発動し、街路を進んできた魔物たちを根こそぎ消し飛ばした。
「さあ、ゆるゆると進みましょうかね」
深淵の夢の使者の怪訝そうな声を背に、ラグレラは魔王の御座所へ向けて歩きだした。
魔王の御座所では、漆黒の全身鎧に身を包んだ大柄な騎士が謁見の間の玉座の前に立っていた。
右手には黒い刀身の大太刀が握られていた。
顔まで隠されているため、それが誰かはわからない。
「演者は揃った。しかし、ここを通すわけにはいかない」
その声はくぐもっていて、誰のものか判別できない。
ここに、その声を聞くものはいないけれど。
「まだ。時間が必要、か」
彼、は背後を気にしていたようだった。
そこには玉座がある。
その、後ろ、か。
「彼女の記憶の中のものでは足りぬ。俺の記憶からも手勢を出さねばならぬ」
彼は左手を掲げた。
極光に照らされた彼の影がうごめきはじめた。
それらは人の形をとり、立ち上がった。
一人は獣人。
虎の頭を持つ勇士の影。
馴染ませるように手に持った曲刀を、二度三度と振る。
今一人は、槍を持った人間の男性だ。
クルクルと軽やかに槍を回し、構える。
その軌道に影の炎が追従する。
また、現れた一人は巨漢だ。
額に大きな角を持ち、甲殻をまとっている。
ひび割れた巨大剣を肩にかけている。
「ジレオン」
呼ばれた虎頭の獣人は彼を見た。
「フレア」
槍使いの青年は彼を見ない。
「ウラジュニシカ」
巨漢は彼に頷く。
「行け」
三体の影は、外へ飛び出していった。
「少しでも時間を稼がねばならぬ」
彼は三体の影が見えなくなっても、それを追っているように見える。
「頼むぞ」
三体の影は、この夢にも似た世界を駆けた。
三方向に散った彼らは、それぞれこの世界の闖入者の御座所への侵入を阻止するために、彼、彼女の前に出現した。
虎頭の獣人ジレオンの影は、地下から這い出してきた二体を捕捉した。
一人は魔族、それも老人だ。
もう一人は人間の女性。
不意打ちをしてもいいが、それでは面白みがない、とジレオンの影は思った。
元の人物の武人としての側面が現れた形だ。
ただ、影の中にある“彼”の記憶が警報を鳴らしていた。
武人の興味が、警報を上回り、ジレオンの影は二人の前に出現した。
「貴殿らに恨みはないが、我が刀の錆びとなってもらおう」
老人は怪訝な目を向けた。
「獣人、か」
「だとしたら、何か?」
「いや、個人的に獣人は好きではなくてな」
「?」
「なにせ、きゃつらときたら、素の身体能力が高いからとろくに鍛えもせん」
「??」
「それでもなんとかなるから、軽視するのだろうが。ギリギリの局面で最後に頼れるのはどれだけ鍛えたか、なのだがな」
「シフォス様。あちらの方は理解できてないのでは?」
「構わぬさ。俺の独り言ゆえな」
「鍛える、というのは弱者のやることだ」
ジレオン、だった経験が影にそう口にさせる。
「そうよなあ。確かにその通り。魔人には爪も牙もない」
シフォスと呼ばれた老人は錆びかけた小鬼の剣をすらりと抜いた。
「我が王の命により、ここで貴殿らを止める」
ジレオンの影は足に力をこめ、飛び出した。
獣人の爆発的な筋力の突進に、ただの魔人では追い付くことはできない。
ただの魔人、なら。
「己の力量も見えぬか?」
ジレオンの目の前に凶刃がひらめいた。
獣の本能と“彼”の警報がジレオンが刃に切り刻まれるのをギリギリで回避させた。
バランスを崩し、不様に地面に突っ込んだがジレオンの影は首の皮一筋で命を拾ったのを理解した。
「い、いまのは」
シフォスの顔に戦闘の歓喜が笑みを浮かばせていた。
「避けるか。いいぞ。我が名はシフォス・ガルダイア。剣魔を超え行く者」




