304.極光夜02
「ガルダイア殿?」
「シフォスでいい」
「ではシフォス様。今いったい何が起こっているか、ご存知でしょうか?」
「知らぬ。俺は罪人だ。獄の外のことなど知るよしもない」
やっと誰かと出会えたことでホッとしていたキャロラインだったが、その相手が牢獄につながれた罪人だということに複雑な思いだった。
「そう、ですわよね」
「だが、なんとなくはわかる」
「え?」
「ここは誰かの精神世界が具現化したものだ。それが中途半端に現実と混ざりあってしまい、我々が取り込まれたのだろう」
「精神世界?心の中、ということでしょうか?」
「俺の言葉も推測に過ぎん。そう考える方が理解できるのなら、それでよい」
「はあ……。それにしても、こんなに怪物だらけの心の中なんてどんな人物なのでしょうね」
「さあな。まあ、俺やお前が取り込まれるくらいだ。少なくとも魔王軍本営に住んでいる誰か、だろうな」
「全然絞り込めませんけどね」
上の方からガヤガヤと声が聞こえる。
人間のものではない。
おそらくは小鬼のものだろう。
匂いか何かで、キャロラインの痕跡を探って、上の建物に開いた穴を見つけたのだろう。
「小鬼が騒がしいな」
「私が落ちた穴を見つけたようですわ」
「では降りてくるな。小鬼どもは見つけた獲物、ことに弱いものを逃がしはしない」
「誰かの心の中の世界でも、ですか?」
「少なくとも、今ここにいる小鬼どもはそうだ」
ボトボトと小鬼たちが穴から落ちてきた。
最初に落ちた小鬼は床に激突し動けなかったが、その上から次から次へと小鬼が落ちてくる。
最初の小鬼はクッションにされて、潰されてしまったがそれ以外の小鬼は怪我一つなくキャロラインの前に立っていた。
その小鬼の口が裂けるように歪む。
これは、笑っているのだろうか。
飢えを満たしてくれそうな肉を前に嗤っている。
その顔、どの小鬼も同じ笑顔を浮かべている。
キャロラインの、今までなんとか保っていた心がついに折れた。
ペタンと座り込み、立てなくなる。
「ごぶごぶごぶ」
先頭の小鬼が、小鬼の言葉でそう言った。
何を言ったのかはわからなかったが、意味はわかった。
わかってしまった。
美味しそうな餌を前に、その小鬼は“いただきます”と言ったのだ。
「あ、あ、あ、いや、来ないで、来ないで!!」
キャロラインの悲鳴も、小鬼たちの残忍な嗜好をそそるだけだった。
「ふん。小鬼どもを前にしたら、強い意思を持って立つことが重要だ。魔界の者なら子供でも知っていることだぞ」
呆れたようなシフォスの言葉に、小鬼たちから目を離すこともできずにキャロラインは反論した。
「わ、私は人間、です」
「ほう……人間がこんなところに、か。娘、名は?」
人間、というものにシフォスは興味を抱いた。
今までは弱く、切りがいのない相手としか思っていなかったが、懐かしい夢を見たことで、人間にも面白い者がいると再確認したのだ。
「キャロライン・マークフロガ・リオン、です」
「リオン……リオンか。そうか」
小鬼たちはゆっくりと迫ってくるし、罪人のシフォスは牢の中で何か納得したように呟いている。
相変わらず、足腰は動かないし、顔はひきつっているし、頭はうまく働かない。
キャロラインにはもうどうしようもなかった。
「ごぶ」
「来ないで!」
「……これも“縁”か。よかろう。娘、手を貸してやる」
シフォスは手枷と足枷を引きちぎった。
金属の千切られる音が、ギキキンと響く。
その異様な音に小鬼たちの歩みが止まった。
「え?え?」
「魔法は不得意だが」
シフォスは何も無い腰に左手を添え、右手で何かを抜くような素振りを見せた。
刹那。
金属の鉄格子が粉々に砕け散った。
「な、何?」
「闇氷咲一刀流“無刃斬”。魔力を凝らし、見えざる刃を形作り、斬る技だ……が鈍っておるな。綺麗に切れなんだ」
砕けた鉄格子を踏み越えて、シフォスは牢を出た。
「見えざる、刃……」
「娘、剣はあるか?」
「い、いえ、何も……」
「何も持たずに、怪物の群れの中を逃げてきた、と?」
呆れたような、しかしどこか面白げにシフォスは言った。
「ま、まあそうです」
「蛮勇か、それとも強運か。仕方ない、こういう時のための無手術だものな」
言葉の意味を量る前にシフォスは飛び出した。
砕けた鉄格子の破片を小鬼へ投げつける。
それは、鋭利な金属である。
先頭にいた小鬼に、それは突き刺さる。
食事をしようとしていた小鬼は、突然の激痛に喚く。
そこへシフォスが接近し、小鬼の首をつかみ投げた。
尋常ではない威力で叩きつけられた小鬼の首は折れ、口から血の泡を吹いてその小鬼は事切れた。
残りの小鬼はその姿を見て、敵意半分恐怖半分といった様子を見せた。
敵意が勝った小鬼が幾匹か、攻撃してくる。
シフォスは一匹の小鬼の頭を小突くように殴った。
勢いを逸らされたその小鬼は、同じく接近していた別の小鬼に激突し、二匹の小鬼はゴロゴロと転がる。
「今、なにが?」
キャロラインの目には、迫ってきた小鬼が急に転がったように見えた。
「力の流れをコントロールし、二匹をぶつけたのだ。俺は“体躯合わせ”と呼んでおる」
転がった小鬼の頭を踏み潰しながらシフォスは言った。
そして、一匹の亡骸に錆びた剣が装備されているのを、すらりと抜いた。
「誰かから奪った剣か。手入れもせずに錆び付いておる。だが、まあ良い。やりようはある」
剣を手にした時、シフォスの顔に笑みが浮かんだのをキャロラインは見た。
三匹があっという間に殺されたことで、小鬼たちは逃げの姿勢になっていた。
強い意思を持って立つことが重要だ、というシフォスの言葉が証明された形だ。
まあ、強烈な殺意、を撒き散らされて戦意を失わない小鬼のほうが少ないのだが。
シフォスは強い踏み込みで小鬼に接近。
錆び付いた剣を振った。
赤い花がパッと咲いたように、小鬼たちの血が吹き出した。
ただの一振りで、数体の小鬼が主要な血管を切り裂かれて絶命した。
残った小鬼の数は五匹ほど。
シフォスは跳ねるように動き回り、その五匹の急所を正確に貫いていった。
その早さに、小鬼たちはまったく対抗できずに全滅した。
「小鬼が……全部……」
「呆けている暇はないぞ、娘」
「ほ、呆けてなど」
「目的地は魔王御座所だ。おそらく、そこが中心地だ」
「なぜ、それがお分かりに?」
「勘だ」
「か、かん?」
「そうだな。強いていうなら、ここまでのことをしでかすなら、魔王かその近い者が関わっている可能性が高い。俺はそう思うが」
「確かに、そう言われれば」
「もし、あやつらが関わっておらずとも何かしらの動きはあるだろう」
「そ、そうですね……あの?」
「ン、なんだ?」
「なんで、私を助けてくださったのですか?」
助けてもらってなんだが、これは脱獄の瞬間ではないのだろうか?
そこまでして、どうして助けてくれたのか。
キャロラインは確認したかった。
「昔、お前のような猫顔の娘と知り合いでな」
「猫顔……」
「何かの縁だと思った。それだけよ」
「恋人とか、ですか?」
その言葉にシフォスはキョトンとした。
「恋人?……ではないが」
「そうですか。私ほど美しければ、そんな可能性もあるか、と思ったんですが」
「お前のような小娘に欲情するほど飢えてはおらぬ」
「よ、欲情!?」
「まったく、リオンと付く者らは口が達者すぎるな」
「何かおっしゃいました?」
「何も言っておらん。それよりも、御座所に急ぐぞ、娘」
シフォスは駆け出し、キャロラインはそれに続いた。




