299.竜の記憶・竜の女王
他所とコンロンを隔てる山脈の中に、一つの洞窟がある。
長く暗いこの洞窟は、その最深部まで行くと竜世界にまでたどり着けると言われている。
「竜の試験。第一項目。洞窟を踏破し、最深部へたどり着くこと」
相変わらず無表情のパイロンに、特に反論もせずにメリジェーヌは洞窟へ足を踏み入れた。
長く暗い、とはいえ爆発魔法を使いこなせるメリジェーヌには灯りは不要だ。
「この洞窟は迷宮だと言うけれど」
天井の広い、この洞窟は言われていた通り、複雑な構造の壁によって迷路が形成されていた。
突破するのにどれほどの時間がかかるのだろう。
歩いていくとしたら。
「竜になる試験で見られるのは空間把握能力」
メリジェーヌはたん、と跳んだ。
そして、軽やかに迷宮の壁の上に立ち上がった。
眼下に拡がるのは永劫とも思えるほど巨大で複雑な迷路だ。
だが、メリジェーヌはその迷路の上を歩いた。
下に見る迷路には、ここで迷い力尽きた者たちの亡骸が転がっている。
そして仮初めの命をもったアンデッドが幾体も、うろついている。
これでは普通の方法では突破はできまい。
メリジェーヌは軽い足取りでタンタンと迷路の上を駆けていく。
出口まで半日もかからなかった。
そこにはパイロンがいた。
「合格。続けて第二項目、戦闘に勝利せよ」
最深部は開けた空間になっていて、そこは平らに地面が成形されている。
まさに闘いのために造られた場所だろう。
「まさにわらわのための場所じゃのう」
ほぼ無詠唱で“爆散”を発動した。
おそらくはパイロンが召喚したとおぼしき、戦闘種の黒竜は身構える間もなく、爆炎に巻き込まれて消滅した。
「ほ!なかなか」
そのパイロンの見せたのは、驚きだった。
十歳から同じ城にいたのに、それは初めてパイロンの見せた感情だった。
そして、パイロンは次なる相手を呼び出した。
「へぇ」
メリジェーヌの前に現れたのは真紅の鱗に身を包んだ火竜だ。
体格も大きく、見るからに強そうだ。
火竜は、獰猛かつ火に耐性を持つ。
そう、メリジェーヌの“爆散”に耐える鱗の持ち主だ。
「“火炎奔流”」
火竜が口から吐いたのは、炎のブレスではなく、広範囲の炎魔法。
ブレスは体内で生成された炎を吐き出すため、充填に時間がかかり、温度も低い。
だが、魔法なら魔力が続く限り炎を出し続けることができる。
それを選んだということは、この火竜は粗暴な下級の竜ではない、ということだ。
さて、そういうことに気付いても目の前に迫った炎は止められない。
だが、メリジェーヌは笑った。
「ドラゴンに成るというのに、炎対策をしておらぬわけがないじゃろう?」
迫り来る炎にメリジェーヌは飲み込まれた。
オレンジの炎が全て吐き出され、火竜の口元の魔力が薄れた時。
そこには、メリジェーヌがいた。
着ていた服は焼失している。
そして、その全身は深紅の鱗に覆われていた。
額には二本の角、指先には伸びた爪が生えている。
「竜人」
火竜が呟いた。
「そうじゃ。ここで成るはずの竜人じゃ。わらわはのう、もうちっと早く進みたいのじゃ」
たん、っと軽く跳躍したメリジェーヌは火竜の頭に降り立った。
「!?」
「今度はこちらの番じゃ、な?」
メリジェーヌは拳をグッと握り、火竜の額をぶん殴った。
火竜の頭が地面に激突し、めりこむ。
そこをさらに蹴飛ばす。
右へ左へ殴り、蹴り続けた。
そして、火竜は耐えきれなくなったのか、消えた。
「今のはお前の勝ちだ」
「なんじゃ、まだやりたかったのにのう」
パイロンはメリジェーヌをじっと見た。
「……」
「なんじゃ?」
「竜人にはいつ?」
「成ったのは今じゃ。まあ、その準備はずっとしておったがのう」
「準備?」
「戦闘という極限状態で竜の因子を活性化させるのじゃろう?なれば因子が多ければ多いほど活性化しやすくなる、と予測した」
「ふむ。それで?」
「お主たちは簡単に人間を殺すゆえな。そこからいただいた」
「な!?」
パイロンの顔がまた大きく驚きを見せる。
「王族の方が因子は多く含まれておったな」
祖父母、兄、弟二人、妹二人。
不始末をしでかした召し使い、侍女、町民。
ドラゴンたちは何も思わず殺す。
人間を、下僕としか、いや虫程度にしか思っていないから。
そして、コンロンの民は竜の因子を多く含んだ血統の人間だ。
多かれ少なかれ、因子を持っている。
メリジェーヌは丁寧に丁寧に、殺された者を訪れ、竜の因子を獲得していた。
それがメリジェーヌに大量に、濃厚に、溜め込まれていた。
「お前は、いや本気で、竜に?」
「当たり前であろう?人間には可能性がないからのう。ことにこのコンロンでは」
「……わかった。これより第三の、そして最後の項目だ。生きて竜世界までたどり着け」
「生きて、とはまた不穏な言葉よな」
そして、ここは最深部。
ここからさらにどこかへ向かう道があるのか?
「道はない。ただ風が吹くのみ」
パイロンの足元に門が開く。
文字通り、それは門だ。
内と外を隔てる境界である。
地面が無くなる。
そして、メリジェーヌは落ちた。
道はない、というパイロンの言葉と、生きてたどり着け、という試練の内容が理解できた。
その攻略法も。
簡単だ。
人間を止め、完全に竜になること、それだけだ。
翼持つ竜ならば、飛ぶことで落下を防げる。
しかし、強引なやり方だ。
これでは竜になれなかったら死ぬしかない。
と、そこでメリジェーヌは笑みを浮かべた。
今までもそうだったではないか。
人間が簡単に殺されるコンロンという国では、竜になれなかったら死ぬしかない。
同じだ。
ならば、同じように竜に成るためになんでもするしかない。
このまま加速し続ければ、速さで肉体が千切れてしまう。
そうなる前に、やらなければ。
竜の因子とは、竜になるための、竜であるための何か、だ。
と、メリジェーヌは認識している。
それは危機に際して人を竜に作り替える。
それは今だ。
今だ。
目覚めろ。
もう既に、人間から鱗と角を持つ竜人となっているメリジェーヌである。
強い意思と覚悟、そして命の危機が揃っているなら、彼女は変われる。
竜の世界に突然、大爆発が起こった。
深紅の炎がごうごうと、青空を照らす。
地面、人間界と竜の世界を繋ぐ大洞穴の一つから、その炎が吹き出てきた。
炎の中から、ゆっくりと一翼のドラゴンが姿を見せた。
年経たような風格すら感じさせる。
竜の世界にいた全てのドラゴンたちは、察した。
彼女は、ドラゴンの王になる存在だ、と。
どのドラゴンよりも強い意思と覚悟を持って、人から竜に進化した者。
ほどなく全ドラゴンを支配下に治めた彼女は、竜の世界の外へ目を向けた。
そこは赤い海に浮かぶ大地。
魔界だ。
魔界を統べていた“闘神”ガオーディンはほどなく、ドラゴンの軍団に倒された。
十七の種族が相争う魔王継承戦争をメリジェーヌは勝ち抜き、魔王となった。
“緋雨の竜王”が四代目魔王となり、魔界は暴力と恐怖に統治されることになる。
ということを思い出すと、あやつは上手くやった。
と、過去のことを振り返りながらメリジェーヌは笑う。
リヴィエールがちゃんと冬の宿題をやっているかも確かめねばならんし、わらわも言ってやるかのう。
と、メリジェーヌはそう決めた。




