295.父と娘、あるいは王と王女
「キャロライン、暇かね?」
キャロライン・マークフロガ・リオンは、冬季休暇の一日をぼんやりと過ごしていた。
ニューリオニアに戻らず、学生寮にいても良かったのだが、父親に新年の行事があるから、と迎えを寄越されたのだ。
そこまでされて帰らないわけにはいかなかった。
夏の休暇の時は、リヴィエールやその友人とニコズキッチンで美味しいものを食べたりした。
だが、この冬季休暇に入る前にリヴィエールたちは慌てたように急いで帰ってしまったので、ろくに挨拶もできなかった。
それが少し、残念なキャロルだった。
そんな彼女に、父親であるリオニア国王グルマフカラが話しかけてきたのだった。
「暇を休むと書いて休暇ですから。ある意味学生の本分を満喫しているところですわ」
「では、その本分を邪魔するようで悪いがちょっと来てくれないか」
父親からの呼び出しとは珍しいこともある。
いったいなんなのだろう。
わくわくとドキドキを感じながら、キャロルは国王の私室に向かった。
「これなのだ」
とグルマフカラは二通の手紙を見せた。
「良い紙ですね」
まあ一見してわかるくらい良い紙ではある。
問題はその内容だろうけど。
「一通は君へ、だ」
と、グルマフカラは手紙を寄越す。
『親愛なる友人キャロラインへ。結婚します。結婚式に来て下さい、リヴィエール(要約)』
「これは……」
相手は、おそらくあの黒い騎士の男性だろう。
日程的には冬季休暇の終わりくらい、だ。
準備のことを考えると、ちょっとギリギリな気もしないではないが、まあ間に合う。
「ほぼ同じ内容の手紙が私にも来た」
「お父様に?」
リヴィエールはキャロラインの友人ではあるが、国王のグルマフカラとは直接の接点はないはずだ。
彼女は貴族ではないし、もちろん王族でもない。
「君に来たのは新婦の友人として、だろう?だが、私に来たのは新郎の親族宛てなのだ」
「新郎?お父様、言ってはなんですけど、リヴィエールさんの旦那様って暗黒騎士の方ですわよね?」
さすがにそこの部分は声を潜めた。
「そうだ。当家にゆかりのある人物ではない……と思っていたのだが」
「が?」
「エファス・マークカリス・リオン、という女性が新郎の母親、らしい」
「形式的には、我が家の名前ですが……私は聞いたことがありませんわ」
一応、王家の義務として縁戚の人物の名は覚えているつもりである。
グルマフカラの兄弟姉妹、その子ら、あるいはキャロラインにとって祖父であるボルネリアール、その兄弟、その子、その孫らまで記憶しているが一致する人物はいないはずだ。
「だが、例の暗黒騎士殿はリオニアにとって重要な人物であることに違いはない。そんな彼が王家の関係をでっちあげるだろうか」
謁見の際に国王に頭を下げるのを拒否した男である。
今さら、人間の国の王家と繋がりをもとうと思わないだろう。
「私たちが知らない一族がいた?」
「それも含めて調べてみたのだ」
すると、ボルネリアールの祖父、トグリールの長女に確かにエファスという女性がいたことがわかった。
十代半ばで失踪した、とか冒険者となったとかいう記録が残されていた。
「いたのですか?」
「もし、仮に彼の母親がそのエファスと同一人物だとしたら、確かに我が王家と彼は縁戚ではある」
ただなあ、とグルマフカラは珍しくため息をついた。
「何か?」
「私の父親の祖父ということは、だ。百七十年ほど前の人物なのだ」
「そこまで老齢の方には見えませんでしたわね」
「魔界の方はもしかして、年齢の取り方が違うのではないか」
「誰かわかる方はおりませんでしょうか?」
「一人目星のついている者はいるのだが」
「それなら早く連絡をお取りになってはいかがです?」
果断な父親にしては煮え切らない態度に、キャロルは不思議さを感じた。
「それがなあ……くだんの暗黒騎士殿の友人というのが“白月”殿でなあ」
「……ああ、なるほど」
父親、グルマフカラ王は旧都リオニアスの民から恨まれている。
彼は国のことを思った末の政策なのだが、直接被害を被ったリオニアスの民はおそらくまだ彼を、リオニアという国を許してはいないだろう。
「どうしたものか、悩んでいたのだ」
「個人的にリオニアスと関係の深い方を送られては?レビリアーノ将軍とか?」
「“城壁”、か」
“城壁”の異名を持つ王国屈指の白魔導師であり、優れた将軍であるレビリアーノはユグドーラスとは知己だと聞く。
「それから、王国騎士団長は“白月”様とも、暗黒騎士殿とも知り合いではありませんでした?」
「ハインハートの令嬢か……」
「父上?」
「どちらも迂闊に動かせぬよ」
「まあ、確かに」
貴族からの支持の薄い王家であるリオン家が、それでも王国を治めていられるのは、軍部の支持があるからだ。
それを象徴する“城壁”と王国騎士団の団長を簡単に動かすわけにはいかなかった。
まあ、王国騎士団長のレインディアは王家の意向など露知らず、勝手にアルシア山のドラゴンに会いに行ったり、リオニアスに行ったりしているが、副団長のリギルードの努力で上にまで知られずにいる。
「“忍者”殿も最近は来ていないようであるしな」
忍者、と言われる伝説的な諜報員は、どの組織にも属さないフリーの間者だ。
以前は、リオニア王家と契約を結んでいたようだが、ニューリオニアが襲われた後、またフリーになったらしい。
父親の忍者への信頼は高いもので、もしまた伝手があったら雇いたいと常々こぼしているらしい。
「なら、私が行きますわ」
「え……?……いやいやいや、待て待て待て待て、お前が行くことはあるまい?」
「父上。誰かに任せていては、問題は解決しません。リオニアスの方々の恨みは国ではなく、王家に向かっているのです」
「しかし、あれは仕方のないことで」
「それは理解しております。けど、わだかまった怨恨はいまだ晴れることはありません」
それは実際にキャロルが実感したことだ。
学園に入った時に、軽い気持ちで名乗ったキャロルに向けられた憎悪を、その視線をまだ覚えている。
「それは、しかし」
「リオン王家が数百年施した治世を父上は揺るがしてしまいました。その怨恨を晴らすには父上の代では足りないかもしれません。でも、今から始めないと、私が始めないといけませんわ」
「お前、しかし、立派になって」
「ああ、そうだ父上。兄上はご健勝ですか?」
「レーニエか?うむ、心身共にたくましくなっておる」
キャロルとは同腹の兄、レーニエは王太子である。
「では、譲位しましょう」
「は?」
「譲位とは、王位を継ぐ資格のあるものに王位を譲ること」
「そんなことは知っておる!」
「まさか父上、国王自ら結婚式に出る気ですか?」
「ぬ?」
「国王が国をあけてどうするのです?」
「それは……しかし、譲位にはまだ早い」
「兄上はもう二十歳です。年齢は問題ありません。それに心身共にたくましいのでしょう?」
「うむ、しかし」
「父上は恨まれているのですから、まずそれをかわさないと。実際の政治は父上が後見すればよいでしょう?」
「そ、それならば、まあ」
「結婚式に行く時は、兄上には王代として父上の代行をしてもらいましょう。宰相様たちがガッチリサポートすれば一週間くらい大丈夫でしょう。その後は徐々に父上は権限を委譲していき、兄上をちゃんとした王にすれば大丈夫」
「そして、お前がリオニアスの恨みを緩和する、と?」
「ええ、そうです」
「お前の友人の結婚式に行くだけの話だったのに……なんでこんな話に」
「まあ、その友人の影響ですわ」
「……その娘に会ってみたくなってきた。なにせ、あの暗黒騎士の妻になるというのだから、な」
「私も楽しみですわ」
娘の成長が著しいことに、困惑している父親だった。




