294.剣魔の夢・目覚め、そして約束
ポツンとサラマンディア家の農場に建てられた石の墓にシフォスは花を供えた。
墓石には記名は無い。
「久しぶりだな、“剣魔”殿」
「そうだな。アグネリード」
あれから十年あまりたっていた。
アグネリードは髪に白髪が目立ち、杖をついていた。
老い、は魔人にはあるが身体能力の低下と同義ではない。
なので、アグネリードのそれは老化によるものではないのだ。
妖鬼の急進派の起こした反乱軍。
その討伐のために出陣したサラマンディア軍は、敵将アクラの奇襲にあい、散々に打ち負かされた。
その際に、アグネリードは負傷した。
治癒魔法を使えばすぐに治る傷ではあるのだろうが、敗戦の戒めとして、治そうとはしなかった。
「引退するそうだな」
シフォスの言葉に、アグネリードは頷いた。
「もう、俺も魔人としては老齢だ。頃合いだ、と思った」
「それを俺に言うのか」
トールズ決起のころには、すでにシフォスは老齢だった。
明かしてはいないが、既に二千歳を超えている。
とはいえ、見た目でシフォスが老人だとわからないものはいないだろう。
「あんたは別だ」
「何がだ」
「“剣魔”は英雄だ。特別な人物なんだ」
「買いかぶりだ」
「私は、ちょっとできるだけの常人だ。そんな私があんたと知己になって、共に戦って、共に飲んで……憧れていた」
「そうか……」
「エファスは幸せだったのだろうか」
アグネリードの視線は名も無い墓石に向けられた。
魔人には葬るとか、墓とか、そういう概念はない。
基本的に不死であり、もし死ぬときは戦場で屍をさらすか、病に倒れるか、だ。
そして、死にあたっては己の部屋に遺品を置き、近親者が祈るくらいしかしない。
シフォスは手を合わせた。
「人間の、東方式の弔いだ。手を合わせ、冥福を祈る儀式だ」
「そうか」
アグネリードも手を合わせた。
「幸せだ、と昔、言っていた」
大好きな人に出会えて、子供も授かって、そしてそれを心配してくれる友達がいて。
「それなら、いいのだがな」
結局、アグネリードの妻たちによるいじめ的なものは陰湿に続けられていたようだ。
エファスは自ら身を引き、子供とともに農場の奴隷と同じように暮らし始めた。
シフォスから一字もらったその息子は、その生活に嫌気がさしたのか、そこから逃げ出したらしい。
そして、エファスはその生活と病によって衰弱し、亡くなった。
シフォスがそれを知ったのは、魔王軍から子供を引き取り、鍛えていた時だった。
本営に詰めていたために、自領の屋敷、道場に届いていた知らせが遅れたのだった。
「子には伝えたのか」
そういえば、名前も聞いていなかった。
「軍にいるらしい。私の知り合いから伝えてもらった」
「そうか」
軍にいるのなら、会うこともあるだろう。
アグネリードとエファスの息子なら、見ればわかる。
それから百年以上たって。
「故あって死ぬことにした」
「そうか」
久しぶりに呼び出してきたアグネリードに、シフォスはそう言われた。
「サラマンディア軍の方も使える司令官と隊長を育成した。家の方もアードゥルに任せられるまでになった。もう頃合いだ」
その顔のシワ、真っ白になった髪。
「死に急ぐのはなぜだ」
シフォスにとって、死は解決ではない。
死んでしまったら、剣術を学ぶことも教えることもできない。
命をかけて戦うこともできないではないか。
「相続についても問題なくすませた。あとはエファスに会いに行くだけだ」
その目には渇望の色が宿っていた。
「死んでも会えるとは限らん」
「生きていても会えぬよ」
間髪いれずに返してきたアグネリードに、シフォスは本気、というか妄執を感じた。
「まあ、貴様が死にたい理由はわかった。それで?俺に報告するのはなぜだ?」
「友人に別れを告げるのに理由がいるのか」
「まあ、いらぬか」
「それに、私の子のことを頼みたい、と思った」
アグネリードの子はおそらく二十人以上いる。
しかし、シフォスに頼む、というのだからそれはエファスの子なのだろう。
いまだにシフォスは会っていない。
百五十歳以上ではあるのだから、魔人としては立派な成人だろう。
軍にいて、それくらいの歳ならある程度の役職になっているはず。
それでも会えないのなら、もう死んでいるのだろう。
その推測は、アグネリードには伝えなかった。
それにもし、死んでいるのなら向こうで会えるだろう。
「生きていたら、な」
「頼む」
アグネリードが頭を下げ、シフォスはそれを見てほんのわずかに悲しげな顔をした。
その顔は誰にも見られることはなかった。
「師匠」
「師匠、寝ているのか」
「師匠!」
呼ぶ声にシフォスは目を覚ました。
どうも、夢を見ていたようだ。
長く、そして懐かしい夢だったように思う。
そして、自分を呼んでいた人物の顔を直視する。
あまりにも、それが懐かしい者に見えて思わずその名を喚んでしまった。
「アグネリード……?」
「何言ってんすか?牢暮らしで頭鈍りました?」
「師に対して口が過ぎるぞ、ギア」
声をかけてきたのは、ギアだった。
シフォスの唯一の弟子にして、シフォスが負けを認めた男だ。
「あー、すいません」
「何か用か?」
「実はですね。結婚を決めまして」
「……あの娘か」
「一応、師匠が親代わりなんで報告だけはしようか、と」
「親代わり、か。……貴様、親はいなかったか?」
「両親とも亡くなってまして」
「片親は魔人だろう?死んだか?」
「アグネリード・サラマンディア、知ってます?」
「アグネリードの、息子だと!?」
「あ、ええ、そうですけど」
「は、母親は……母親の名は!」
まさか、と思った。
本気で探したわけでは、なかった。
しかし、百年以上見つからなかったアグネリードとエファスの子が、ギアだった?
「エファス、とだけ、聞いてます」
「お前か」
「え、何がです?」
「お前だったのか!」
「師匠?」
そうだ。
ギア、だ。
アグネリードが言ってたではないか。
シフォス・ガルダイアの、ガルダイアのG。
エファスのE。
アグネリードのA。
GEA。
「昔、お前の親父に頼まれた。お前のことをよろしくとな」
「は?」
「アグネリード・サラマンディアとは、友だった」
「俺は、そのあまり父親とは……」
「何となく、聞いている。だがな、お前の親父はお前を心配していた」
「そう、ですか?」
「めでたいな」
「え?」
「結婚おめでとう。幸せになれよ、とお前らの両親は言う、かもしれん」
「師匠」
「いい娘だ。幸せにしてやれ」
「それは……師匠の?」
「知らん、去れ」
「ありがとうございます」
ギアはそう言って頭を下げた。
シフォスがちょっとだけ嬉しそうな顔をしていたことにギアは気付かなかった。
弟子が去ったあと、シフォスは笑った。
「げに面白き世の中よな。お前らの子だ。間違いなく。なぜ、俺は気付かなかった?目的のために我を忘れて目が曇っておったか」
シフォスは立ち上がった。
「アグネリード、エファス、俺は生きるぞ。獄に繋がれようと、不味い飯を食わされても、夢に逃げるようなことも無しだ。貴様らとの約束だからな」
俺の子を頼む、と友は言った。
ならば、約束はまっとうせねばならぬ。
“剣魔”シフォスは笑っていた。




