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293.剣魔の夢・その名の由縁

「エファスが妊娠した」


「めでたいな」


 巨人族との戦いの後、数ヶ月たって本営に遊びに来たシフォスは出会ったアグネリードにそう報告された。


「まあ、な」


 その言葉に、わずかな惑いがあることにシフォスは気付いた。


「なんだ?今さらなにか問題か。子供なら何人もいるだろう?」


「いやな……エファスは」


 言いよどむアグネリードに、シフォスは察する。


「“人間”だからどうした?」


「おそらく、“炎使い”の資質を受け継がないだろう」


 魔人の貴族はそれぞれの家に伝わる資質を持つ。

 サラマンディア家には“炎使い”の資質が伝わっている。

 オルディはそれが特異な形で伝わったようだが。


 それが貴族の証、でもある。


「くだらん」


「“剣魔”殿ならそう言うと思ったが」


「俺はそういう意味では貴族ではないからな」


 誰も知らないことだが、シフォスの父は初代の魔王だ。

 だが、その父からは魔法的な資質は何一つ受け継がなかったのがシフォスだ。

 魔人の貴族のその伝統を、シフォスはくだらないと思っていた。

 完成された自己というものに、それは混ぜ物だ、とすら思っている。


「ああ、そうだな……」


「剣を教えろ、軍略を教えろ、貴様の持つものを余さず教えろ。それで充分以上だ」


「含蓄の深いことを言う」


 ちょっとだけ、アグネリードの顔に余裕が戻ったようにシフォスは思った。


「そのうち見舞いに行ってやる。“剣魔”が気にしてると伝わればお前の他の妻どもからも嫌がらせはされぬだろ」


「そういうことも気にしてくれるか」


「貴様はまあ、話がわかる奴だし。エファスのことは気に入っている。それくらいは肩入れしてやってもいい」


「シフォス……」


「俺らしくないことを言ったな」


「いや、すまん。ありがとう」


「謝るか、礼を言うか、どっちかにしろ」


 その後、ルシフェゴとトールズをからかって遊んだあと、シフォスは自領に帰った。


 そして、数日後にサラマンディア家を訪れた。

 執事の壮年の魔人は何も言わずに通してくれた。

 アグネリードが出迎えたが、シフォスはちらっと見ただけでエファスの部屋に行った。


「“剣魔”様、ようこそおいでいただきました」


「まだ腹は目立たぬな」


 数ヶ月前まで戦場にいた姿のままだ。


「もっと大きくならないと」


「栄養を取れ、よく休め、無理はするな」


 ぶっきらぼうに言うシフォスに、エファスは笑った。


「お医者様のようなことを言いますね」


「医者などより俺のほうがよほど詳しい」


「それくらいたくさん斬った、と?」


「まあな」


「まあ怖い怖い」


「言ってろ……何かあれば、俺に言え。アグネリードは……まあ、立場もあろう」


「そうします」


 半分は政略結婚だと、アグネリードは以前に言った。

 それは裏を返すと、半分はサラマンディア家に利害をもたらす関係性のある実家だ、ということだ。

 下手に粗略に扱えば、その奥方の実家がサラマンディア家と敵対することもありうる。

 アグネリードの立場を考えると、それはまずい。

 妻同士のいさかいがあったとするなら、アグネリードはエファスを最も粗略に扱う。

 エファスの立場が最も弱いから。

 どう扱っても、サラマンディア家に影響がないから。

 お互いに愛していようと、それが貴族というものだからだ。


 くだらん、とシフォスはずっと思っている。


 “剣魔”の友人、後ろ楯という立場は、他の奥方の実家にも影響を与えるのは間違いない。

 エファスと、その子供は安全に過ごすことができるだろう。


 そしてそれはエファスもわかっている。


「これでも、ここにくる前は一国の王女だったんですよ?」


「王女が戦場に来るか?」


「それはまあ、愛ゆえに、ですよ」


「愛は盲目とも言う」


「まあまあ。それでそういう貴族のどろどろは私だってわかっているつもりではあります」


「俺はわかりたくない世界だな」


「“剣魔”様は剣で一刀両断するほうが好みでしょう?」


「その方がずっとよい。わかりやすく、しかも早い」


「私もそうです。だから本音を言うと魔界こっちに来て本当によかった」


「人間が奴隷扱いされる世界でも、か?」


「それでも私は大好きな人に出会えて、子供も授かって、そしてそれを心配してくれる友達もできましたから」


「まったく、夫婦そろってめでたいな」


 そう言って、そっぽを向くシフォスの顔はいつになく優しげだった。



 それからまた数ヶ月がたって、シフォスの道場にアグネリードが訪ねてきた。

 本人は認めていないが、シフォスの門下生たちが超VIPであるアグネリードをちらちらと見る。

 稽古が終わるまでシフォスは相手をしない気でいるので、アグネリードはじっと待っていた。


 門下生が全員帰ると、ようやくシフォスはアグネリードの前に座った。

 板張りの道場は、さっきまでの熱気あふれる指導の場から急に静かになって、それがアグネリードを当惑させた。


「待たせたな」


「いや、急に押し掛けたのは私だ」


「飲むか、食うか」


「今日は飲みたい気分だな」


 そういえば、シフォスの家でものを食べたり飲んだりしたことは無かったとアグネリードは思った。


 道場の縁側で、ゆっくりと沈む夕日を見ながらシフォスは瓶の酒をアグネリードの杯に注ぐ。


 強い。

 がどこか豊潤な後口だ。


「米の酒だ」


「米でこういう味になるのか」


「作り方は知らん。上手いから取り寄せている」


「この、つまみはなんだ?」


 アグネリードの前には小皿になんか茶色いペーストが乗っており、細く切った何かが和えられている。


「烏賊の細切りとその腑腸はらわたを和えたものだ。酒と一緒に食べてみろ」


「よくこういうものを口にするな」


「人間界の東方ではこれが珍重されているらしいぞ」


「ええい、ままよ」


 と、アグネリードは茶色いそれを口に含む。

 なんとも言えない塩分と海の匂いを感じる。

 口に合わん、と思った矢先、シフォスが「酒を含んでみろ」と言う。


 恐る恐る酒を飲んでみる。


 ん?


 なんとも不快だった海の匂いが、酒の香りとまじりあい、急に色を変えたように良いものになった。

 強い塩味も、酒の旨味を引き締めて、口の中で溶け合う。

 

「旨いな、これは」


「酒ごとに、それぞれにあったツマミがあるのよ」


「確かにな」


「で、気もほぐれたろう。用はなんだ」


「子供の名をな。決めようと思って」


「そんなものは好きにしろ、としか言えぬな。だがあまりおかしな名を付けると子が苦労するぞ」


「それは承知している」


「ではなんだ?」


「“剣魔”殿から一字をいただきたい」


「俺は……その子と血が繋がっておるわけではないぞ?」

 

「そんなことはわかっている」


「俺は血を残すことに価値を感じておらぬ。ただこの剣術のみを残す」


 ゆえに子を作らぬ、とシフォスは決めていた。


「エファスの望みだ。そして、私の望みでもある」


「おかしな夫婦だ」


「一番の友の字をもらうことの何がおかしい」


 アグネリードの目が真剣なことにシフォスはとっくに気付いていた。


「強情な奴だな」


「一軍の頭を張っている。これくらいの強情さが無ければできぬさ」


「まったく……Gの字をくれてやる。ガルダイアのGだ。それでよかろう」

 

「ありがたい。礼を言う」


「おかしな名前にするなよ」


「無論だ。そうだな……ガルダイアのG、エファスのE、アグネリードのAで……」


「勝手にしろ」


 月が昇りきるまで、二人は酒を楽しんだようだ。

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