291.剣魔の夢・師匠と彼と彼女
ゆっくりと目を開ける。
そこは牢獄。
繋がれた鎖の重さにうんざりしながらシフォス・ガルダイアは鉄格子の向こうを見る。
例えば、一振りの剣があれば鎖に繋がれていようとも、全てを一刀のもとに切り落とし、戒めを解くことはできるだろう。
だが、今のシフォスにはその剣もないし、そうする意思も気力も無かった。
夢と現が入り交じり、いつ起きているのか、いつ寝ているのかわからない。
そんな生活をずっと続けている。
今までの戦うことを生き甲斐にしていた人生は、シフォスにとっては潰えた。
だからこれからどうすればいいのか、わからずに。
ただ夢を見ているだけだ。
だから、この夢もそんな夢も希望もない現実から逃れるために見たものだ。
「シフォス殿、お久しぶりですな」
魔王軍四天王の一角として、“剣魔”として名を馳せているシフォスに、緊張せずに話しかけてくる者は少ない。
彼はそのうちの一人だった。
名をアグネリード・サラマンディア。
シフォスとも顔見知りの“豪華業火”オルディの腹心である。
実を言えば、家柄的にオルディの主家筋に当たるサラマンディア家だが、アグネリードは気にもしていないらしい。
ドラゴン統治下の魔人族など、貴族も平民もない有り様で、そこから魔人族を解放した魔王トールズとその仲間たちに対して畏敬の念を抱かぬ魔人はいないのだ。
それに“豪華業火”オルディこそは、千年に一度の天才炎使い。
炎を扱わせたら、魔王トールズをも超える大魔法使いであることは間違いない。
アグネリードは、そのオルディに仕え、軍事的な部分を支えている。
その関連で、シフォスとも話をしたこともあり、関係は悪くない。
「獅子王との戦い以来か?」
「確か、そうです」
獅子王グラルファルゼンは獣人族を統べる大王で、獅子人を中心とした勇猛なる獣人を率いて魔王軍と戦った人物である。
魔王軍との長い戦いの末、グラルファルゼンは敗れ獣人族は魔王軍の配下に降った。
その後、失意のグラルファルゼンは病死し、熾烈な獣人の内戦を経て、今は虎人が獣人を統率している。
魔王軍獣魔軍団を率いる獣魔将ゼオンも虎人の猛者である。
“剣魔”シフォスも、その戦いではグラルファルゼンの長子であるたてがみの騎士グォーラノルンと一騎討ちをし、これを討ち果たしている。
「また、同じ戦場に立つとは数奇よな」
「まあ、魔王軍の中では四天王は遊撃ですからな。レトレス様はあまり戦を好みませぬし、ヨンギャ殿は表に出たがりませぬゆえ、我らが同じ戦場にいるのも当然か、と」
「確かにな、まあ俺も勝手にやってはいいと言われているが」
「今回は心してかからねばなりますまい。なにせ相手は」
「巨人ども、か」
魔王軍の魔界統一は、その総仕上げの時を迎えていた。
ドラゴン討伐から始まった魔王トールズの大戦は、妖鬼や獣人などの主要種族の討伐、小種族の臣従を経て、最後にして文字通り最大の難敵である巨人族との戦いに突入したのだ。
魔王よりも強い、と言われる“巨人の帝”に統治される巨人族はその巨体を活かした戦いによって、いまだ魔王の統治を拒んでいた。
魔王軍が巨人族の領土へ侵攻を開始したのは、昨日のことだ。
獣魔軍団をはじめとした八魔軍団の攻撃に、巨人族の防衛は突破され、境界に近いヤルンサクサ砦は昨日のうちに魔王軍に奪われた。
シフォスたち四天王軍は、八魔軍団の後からゆっくりと巨人領に足を踏み入れたのだ。
「しかし、この砦……不穏な造りだな」
というシフォスの言葉に、アグネリードは頷いた。
「やはり“剣魔”殿もそう思うか」
「やはり、というと貴様もか?」
「ああ。この砦は弱い」
城門が開いたまま閉じない。
堀にかけられた跳ね橋の機構が壊れ、かかったままになっている。
蓄えられた兵糧が乏しい。
細かい守りにくい工夫がそこら中にされている。
まるで奪われるのをわかっていたように。
「弱い砦に敵を集めて一網打尽、か。巨人にしては頭の回る者がいるようだな」
「我がサラマンディア軍は精強だ。それにいざとなれば四天王の二人に頑張ってもらおうではないか」
アグネリードとシフォスは城壁の上に立ち、巨人族の住む山脈を見た。
巨人族に合わせた砦は、普通は城壁も高く、巨人に合わせた構造、大きさになっている。
しかし、このヤルンサクサ砦は魔人であるアグネリードやシフォスも動き回れる。
身長が平均1メート60センチほどの魔人に合わせた造りだ。
このことも、アグネリードの言う弱い砦の根拠だ。
「面倒だな」
「面倒なことは放っておくともっと面倒になる。私が調べておこう」
と、アグネリードが言って、その場は解散となった。
「昨日の戦いの詳細がわかったぞ」
と、アグネリードがシフォスの陣にやってきたのは、その日の夕刻だ。
守りにくい砦に籠っているより、外で野営した方がまだマシだという二人の言葉に従い、四天王軍は外に陣を敷くことになった。
「おう」
「国境を踏み越えた魔王軍は、警備軍と思われる五千ほどの巨人軍と衝突。これを撃破。獣人族などの足の早い軍団がそのまま巨人領を侵攻。妖鬼一党、虫翅軍団、屍衆がこの砦を攻撃、日が落ちる前に奪取した」
「よりにもよってその三軍団か」
脳筋の妖鬼、虫並みの知能の虫人、脳味噌など腐り落ちたアンデッドの揃い踏みである。
この砦では取られるべくして取られたのだと、シフォスは確信した。
「獣人は臣従が最も遅いから功を焦って、魔人は魔王の威を示さんと、海魔は海が遠いから、精霊は強い方に曳かれて、ドラゴンは砦など面倒くさがって、そのまま侵攻した、のだろうな」
「各種族の的確な品評などいらん。問題は、これから夜になるということだ」
「そうだな。私が巨人の軍師なら間違いなく夜襲をかける」
「まったく夜襲など何が楽しいのやら」
「普通は勝つためならなんでもやるのだ“剣魔”殿」
「剣は楽しむことが本よ」
「命のやり取りを楽しむほど凡人は、命を軽く思っておらぬ、ということだ」
「命を大切に思っておるからこそ、その命を差し出した剣と剣の交錯が楽しいのではないか」
「まったく、貴殿こそ正しく“剣魔”だな」
二人の会話が続き、夜のとばりが降りそうになるころ、アグネリードを呼びに来た者がいた。
「アグネリード卿、こちらにおいででしたか」
サラマンディア軍にはいなかったはずの女の声に、シフォスは違和感を覚えた。
「男所帯の貴様の軍に、ついに女を入れるようになったか?」
「ん?ああ、こいつは違う。俺の妻だ」
「妻?貴様の妻は魔人の……どこかの令嬢だったろう?」
間違っても戦場に来ることのない女だったとシフォスは記憶していた。
「あれは第一夫人だ。こいつは……何番目だったか」
めちゃくちゃ失礼な奴である。
時代が違えば、女性に叩かれる男というのはこういう奴であろう。
「十四番目です。アグネリード卿」
「戦場に連れてくるほど大事か?」
「いや、こいつが勝手についてきたのだ」
「ええ。旦那様から離れるのは嫌ですし、ここなら他の夫人方から一人占めできますし」
「ということだ」
「面白い奴だな」
「ああ。挨拶もせず失礼しました。私は、アグネリード様の第十四夫人、エファス・マークカリス・リオンと申します」
「聞いたことのある名字だな?しかも、人間界のものか?」
「さすがは“剣魔”殿だな。察しの通り、こいつは人間界からの漂流者だ」
猫顔の少女のような、いやどちらかというと女性になりかかっている。
そんな印象を抱かせるエファスはニコリと笑った。




