290.雪の降る街角で
「ということがあってな」
仕事終わりに、リヴィと食事に行くことになった。
本営にいくつかある酒場のひとつ“愉快な夜中亭”である。
ニコズキッチンほどではないが食事が美味い店だ。
繁華街ではあるが、娼館なども近くにはないので女性と一緒でも安心して飲める。
そういう店のせいか、客層は若いカップルが多いようだ。
俺とリヴィもそのなかに紛れている。
「ホイールさんの目的は知ってましたけどね」
鳥のモモ肉を揚げたものをかみちぎりながら、リヴィが言った。
香辛料の刺激的な味がクセになるこの店の名物だ。
「で、どうだ、魔界は」
「面白いですよ。わたしは二度目ですけど、それでも新鮮です」
最初に来たときは状況が、状況だったからな。
ゆっくり楽しむという感じではなかった、と思う。
「そいつは良かった」
「でも」
でも、と言ったリヴィは笑顔だった。
あ、これは爆発する前の笑顔だ、と気付く。
いったいどこで地雷を踏んだのだ?
「でも?」
「ギアさんの周りに女性が多すぎませんか?」
「そ、そうか?」
「護衛のアユーシさんはまあいいです」
アユーシとは顔見知りのはずだからよいとして。
「他に……なにか、あるのか?」
「奥向きのことを任せていらっしゃるエリザベーシアさんに、秘書のコールさん、それから文官のエルフの皆さんの中にも女性が多いですよね?」
「それは、まあ、たまたま、そういう人材が集まっただけで。こちらから選んだわけじゃない……」
「本当ですか?」
「本当だって」
強く釈明すると、リヴィの笑顔が柔らかくなった。
「じゃあ信じます」
「そうしてくれると助かる」
「とりあえず誰にも手は出していないようですし」
「それは、俺はお前ひとすじだからな」
リヴィの顔が赤くなった。
ん?
照れているのか?
「それなら、まあ許します」
そういうギアとリヴィのイチャイチャする様子を同じ店で見せつけられていたのは、リヴィと共に魔界に来て冬季休暇をすごすことにしたドアーズの女性陣である。
「相変わらずだよねぇ」
この中で一番若いのにやさぐれているポーザが果実水をちびちびと飲みながら言った。
アルコールの入っていない飲み物でこうも酔っぱらい風味の言動が出来るのはある意味才能である。
「まあまあ、そんなに睨まないでくださいまし。楽しく食事しましょ?」
と、ナギがポーザをたしなめる。
「ナギさんはいいよ。だって休みの間、ずっとデートでしょ?」
「で、デートではないですわ。友達として魔界を案内してくれるって言われるものですから」
「デートじゃん。だって、アペシュ君、オスでしょ?」
この事実は、魔界に来た時にナギはアペシュから打ち明けられた。
はじめは驚いたものの、友人として変わらぬ付き合いをお願いしたいというアペシュの言葉に、ナギは頷いたのだった。
「それは、そうですけど」
「兄様、この鶏肉美味しいですね」
「本当ですね」
「こっちの兄妹は、こっちで仲良いし」
ホイールとフォルトナの仲良し兄妹っぷりを見せられて、さらにやさぐれるポーザだった。
そのポーザの隣に座る者があった。
「この娘と同じものちょうだい」
と、店員に頼む声にナギとホイールはハッとする。
フードを目深にかぶった顔は見えない。
「ボクと同じの頼むなんてキモチワルイ」
「そうかい?俺は好きだけど果実水」
「勝手にすれば」
「上司と待ち合わせてんだけどさ。なかなか来ないから」
「別に聞いてないし」
「だいたいひどいよな。向こうはドラゴンでバーっと空飛んで行けんのに、俺はガーってダッシュだぜ」
「バーとか、ガーとか言ってるとバカみたいだよ」
「良いんだよ。俺は馬鹿だから」
「あんたが馬鹿だと、ボクも馬鹿に見られるの!」
「俺と関係なかったんじゃなかったっけ?」
「……性格悪くなったんじゃない?」
「あー、あるかも。ドラゴンって基本性格悪いから」
「自分で選んだ場所を悪く言ってんなっての」
「あー、だな。悪ィ」
「言っとくけど、怒ってるからね」
「俺が嫌いになるくらいに、か?」
「それはない。ないけど、ボクの言葉より自分の欲望を選んだことは本当に怒ってる」
「それは、悪いけど謝らない」
「バカ」
「だからな」
「ニコちゃんのことは、心配しないでいいよ」
「それは本当に悪かった。みんな任せちまった」
「あんた抜きでも仲良くやってるから」
「なら、良かった」
「カルザック家にあんたの帰る場所はないと思え!」
「うわぁ、マジか」
「マジだ」
結構、ひどいことを言われているのにフードの青年は楽しそうだった。
そして、それを言うポーザも楽しそうだった。
ドアーズのみんなが楽しそうに飲んでいるのを横目に、俺とリヴィは店を出た。
「なんか盛り上がってましたね」
「そうだったな」
「そういえば、ナギさんとアペシュさんって付き合ってるんですか?」
「アペシュがその気になってるのは知ってる」
「ナギさんって純粋培養なのに加えて三年分人生経験があれでしたから、結構、乙女なんですよね」
「ロマンチックに押されると弱い、か?」
「可能性は高いですよ」
「この休みに海に行くらしいぞ」
「あー、それはマズイですね。落ちます」
「落ちるか」
「落ちますね」
「そうなるとダヴィドがちょっとだけ可哀想だな」
ナギの故郷の王子様である。
いや、王様になったのか?
ナギに恋心を抱いているようだ、が。
「あー、そうですね。でもダヴィドさんはほら、仲間の女性に好かれてますから」
「なるほど、それぞれに縁があるわけだ」
「そうですね。縁ですね」
「俺は、こっちに来てからやりたいようにやってきた。俺の望みを叶えるために」
「なんとなく知ってます」
俺とリヴィには強い絆がある。
彼女にはなんとなく俺のことがわかるようだ。
そのおかげで助かったこともある。
「敵を斬った。師匠とも戦った。敵の王を自死するように仕向けた。魔王になる前、魔王軍として重ねた罪よりもさらに重い罪だ、と俺は思う」
「それでも、望みを叶えたかったんですよね」
「ああ」
「その望みってなんですか?」
「俺は、リヴィエールという一人の女性がずっと笑顔で暮らせる世界を造りたい」
「わたしは……わたしは、ギアさんといっしょなら、いつだって笑顔ですよ」
「お前が悲しむことのない世界を、俺は望む」
「手っ取り早く、わたしが笑顔になる方法があるんですけど」
ちょっとだけ、俺は考えた。
リヴィの望む答えはわかってる。
それをどう伝えれば彼女は喜ぶだろう。
例えば、魔界の細工師に造ってもらったリヴィのサイズに合わせた指輪を、彼女にあげる、とか。
「リヴィ、俺と結婚してくれ」
「いいですよ」
考えた時間に比べて、答えはすぐに帰って来た。
「レスが早い」
「だって待ってましたもん」
「待たせたか?」
「忙しいのはわかってましたよ。だから、この休みに魔界に誘ってくれて嬉しかったのは確かです。そして、これはチャンスなのでは!と思ったのも確かです」
「かなわんな」
「わたしの望みはかなったからいいじゃないですか」
空から白いものがゆっくりと落ちてきた。
「あ……」
「魔界にも雪は降るんですね」
「そうだな。ここらでは珍しいが」
「ね、ギアさん。奥さんが寒そうならどうします?」
俺はそう言うリヴィがひどく愛しくなって、無言で抱き閉めた。
雪は、ゆっくりと降り続けている。




