284.関門平野の戦い・妖鬼軍の焦燥
妖鬼軍の司令官アクロスは焦っていた。
魔王軍なにするものぞ、と兵を挙げ、そして地の利がある妖鬼の領内に引き込み撃滅する。
それが今回の策だ。
その思惑は八割がた上手くいっていたように思えた。
決戦の地であるこの地は、妖鬼にとって必殺の狩場である。
平野を囲う山に兵を置けば、平野にのこのことやってきた魔王軍を高所から包囲し、すりつぶすことができる。
もし予想外に相手が強ければ一点を開けておいて、そこから逃げだした敵を隠し拠点から動かした伏兵で挟撃できる。
どう転んでも勝てる立地だ。
だが。
寝返りが起こった。
南の山“魔角山”を預けていたホーソが突然、友軍を襲い始めたのだ。
一進一退の攻防を続けていた両軍の均衡は簡単に崩れ去り、妖鬼軍はぼろぼろになった。
指揮をするアクロスの側にまで敵の歓声が聞こえるほど、追い詰められていた。
「真魔王軍はまだ動かんのか!」
と副官に怒鳴るが、副官も有効な手を打てるわけではない。
そう。
開戦から、真魔王軍七万はまったく動かなかった。
妖鬼軍全軍の二倍以上の戦力を持つ彼らが動かなければ、いかに地の利を得ていようと、人の和を失った妖鬼が勝てる見込みは薄い。
アクロスは開戦と同時に狼煙、伝令、などの合図を送っているがいまだに動かない。
この策の肝は同時侵攻による包囲、殲滅だ。
一方が動かなければ相手を追い込むなどできようはずもない。
「我らは全軍を動かしているのだぞ!?ここで負けたら終わりなのをわかっているのかッ!?」
アクロスの絶叫は伝えたい相手に届くことはない。
その頻繁にあげた狼煙は、異変を妖鬼の別動隊に伝えていた。
本陣に変事あり、の判断した隠し拠点のそれぞれの将はほぼ同時に出陣し、関門平野へ向かった。
平野に入る前に合流した四隊は、部隊を分散させずにそのまま平野へ突撃させることに決めた。
「関門包囲策は完璧な策です。それを破るほど魔王軍は強いのでしょうか?」
スズカの森砦の主将であったエボシが不思議そうに尋ねる。
女性の青鬼である彼女は細身だが、その長い背と同じ長さの薙刀を持っている。
「いや、そうとも限らん。どこかの方面が動かねば包囲はならぬからな」
オーエの山砦の主将であるシュテンが豪快に笑いながら答えた。
屈強な赤鬼であり、鬼のイメージにふさわしい極太の鉄棒を背負う。
「真魔王軍は信用できません」
ヤセ洞窟砦の主将のクズールが言った。
緑鬼であり、細剣の使い手である。
「友軍のことを悪く言うものではない。なに、アクロスは実戦経験が少ない。我々ベテランが補助してやらねばならぬ」
と、まとめたのはキビの谷砦の主将であり、かつての妖鬼軍の中でもガラルディンに継ぐと言われた老将イソラである。
この四将に率いられた妖鬼別動隊は、決戦の地、関門平野に進入した。
そして、そこで絶望的な戦況に遭遇してしまった。
平野の入り口で街道を塞ぐように布陣していたヴォルカン率いる業火軍団は兵数では同格の妖鬼別動隊に向けて突撃した。
開戦以前の布陣の時から、ヴォルカンたちは伏兵として潜んでいた。
魔王いわく。
「別動隊は必ず来る。そこを抑えることができるのは、俺の最も信頼しているお前らだ」
だ、そうだ。
「我らの主君であり、主人である御方の信頼を裏切ることはできぬ。サラマンディアの武勇見せてくれる!」
もともとが、四天王“豪華業火”の主力であったサラマンディア軍である。
経験、実績とも今の魔王軍随一の軍団である。
イソラ率いる妖鬼別動隊は確かに、実戦経験のある強い部隊だ。
それでも、ヴォルカンたちの方が上だ。
少なくとも、ヴォルカンはそう信じている。
業火軍団は一気に妖鬼別動隊の間を駆け抜けた。
倒すことに主眼を置かずに、敵を混乱させ分断させることを目的とした突撃だった。
そして、駆け抜けた業火軍団は最後方に集結し、分断した一部隊を攻撃し始めた。
「くっ、なかなかに手練れのようだな」
と部隊の取り纏めをしつつ、防御の指示を出すのはスズカ部隊のエボシだ。
他の三部隊と離れてしまったが、弱腰な魔人どもなら数倍の差くらいなんとかなる。
そう思ってエボシは、業火軍団と対峙した。
他の三部隊と離されたのはオーエ部隊のシュテンも同じだ。
「こうも見事に分断されるとはな」
「本当にそうですね」
シュテンの前に現れたのは、白い甲冑の細面の騎士だ。
頭部に角のような飾りがついている。
「貴様が魔王軍からの交渉役かな?」
たった一人で四千人の前に出てくるのだ。
戦うなんてわけはないだろう。
であれば交渉役だ。
停戦、あるいは寝返りの取引か?
「交渉……?……いえ、あなたの命乞いなら聞きますが」
「なんだと?」
豪傑の風貌をしていても、シュテンは自身を知恵者と自負していた。
だが、それは妖鬼の中ではであり、相対した聖竜騎士ヴェインの基準では愚か、としか言えなかった。
「まさか、竜族だけ従わなくてもいいと言われて、従わないわけにもいかずに面識のある私が出向かされることになるとは、不条理」
目の前の白いのが何を言っているかわからないが、シュテンは本能的に敵、それも強力なものと判断した。
「チェストおおおおお!」
と叫び、鉄棒を振る。
が、その攻撃は空を切った。
「この程度とは、まったく私は竜族最強の騎士なのですよ」
と、笑うヴェインにシュテンは恐怖を覚えた。
緑鬼クズールは、いち早く戦場である関門平野から撤退しようと試みていた。
「だって無理じゃん」
と口にする彼は、彼我の戦力差を正しく判別できていた。
脳筋のエボシや、頭のいい振りをしているシュテンなどは妖鬼の方が魔人より数倍強いのだから、全体の戦力も妖鬼の方が上、などと思っているにちがいない。
「そんなわけあるか」
とクズールは思う。
ただの魔人とただの鬼なら、力比べなら鬼の方が勝つだろう。
だが、相手は軍人出身の魔王が率いる魔王軍で一番最初に軍団となった奴らだ。
敵の突撃の時のかけ声に、サラマンディアとかあったのをクズールは聞き覚えていた。
旧四天王の古参の部隊だとはっきりと気付いた。
そんなのを相手に、しかも単純な数で負けてる状態で勝負になるはずがない。
だから、逃げだのだ。
そんな彼の周囲が暗くなった。
まだ昼前のはず、なんでこんなに暗く。
プチ。
頭上から降りてきた大質量によって、緑の鬼は潰された。
「クルクルクルー?(ギア様の話ではこのへんに逃げてくる奴がいるって聞いていたけど誰もいないなあ)」
と、目標を潰したことに気付いていない魔界大王亀のアペシュは途方に暮れた。
分断されてなお、前進しようとしたのはイソラだ。
ただならぬことが起こっていることはわかった。
妖鬼は負ける。
そう直感した。
ならば、その敗北を壊滅的な大敗にしないために、己のような老将が体を張るべきだ、と思った。
だが、その覚悟があってなお。
イソラは足を止めた。
「ば……馬鹿な」
目の前にあるものが信じられない。
それは、巨人。
いや、普通の巨人のサイズをはるかに超えたそれは巨神と呼んでも差し支えないだろう。
「貴殿に恨みはないが、我らの魔王の覇道を成すために、私もその一助となることにした」
「巨人の帝が、魔王の配下に……!?」
もう、それだけで妖鬼の勝ち目はゼロになるのが確定するほどのインパクトだった。
巨人の帝などはそれくらい伝説的な存在なのだ。
「大人しく敗れるがいい」
妖鬼別動隊が壊滅したのは、イソラがイアペトスに倒されてすぐだった。




