282.いろいろあって忘れていた。
「お初にお目にかかる。一応、巨人を統べておる帝、あるいは巨神のイアペトスだ」
巨大な体をその場に残し、人間サイズで俺の前に現れた巨人の帝はなんとも親しみやすい笑顔でそう挨拶した。
さすがは伝説の存在、分身程度の芸当はなんなくこなせるらしい。
行軍一日目の夜の野営地での出来事だ。
まだ魔人の領土であるため、襲われる心配は少ない。
「魔王をやっています。ギアです」
「ラス様と会ったのだろう?ご様子はいかがだった?」
やはり、ラスヴェートの関係者なのだ。
「お元気でしたよ。色々されました」
「で、あろうな」
笑いながらイアペトスは言った。
「子供のころからおとぎ話のように聞かされていた方と会って、暁の主と会った時より緊張しているのですが」
「そうかね?実際は山の奥に引きこもっていただけなのだが」
「もう接してくる態度が軽すぎて、どう対応すればよいのか」
「安心してくれ。お前だけだ」
「は?」
「ラス様の魔王の力を受け継いだのだろう?単なる管理者の魔王なら従う気もないが、真の魔王なら頭を屈するのもやぶさかではないよ」
「てことは、俺が正規の手続きで魔王になったら会いに来てはくれなかった、と?」
「ふふふ。巨人の臣従を止めたやも知れぬぞ」
冗談めかして言っているが、冗談ではないのだろうな。
比較的強い種族の巨人が従ってくれないとなると、魔界統一は大きく遠ざかっていたのは間違いない。
「それで何の用でしょう」
「魔王の顔を見て挨拶をしておきたかっただけだが?」
「それではるばる巨人の領土からここまで?」
「魔界のルールを変えた男の顔だ。見ておく価値はある。それに」
「それに?」
「古強者として新しい魔王軍の陣容を見ておこうとも、な」
「それで評価はいかがです?」
「急造の混成軍にしては満点をやってもいい。整然としており秩序だっている」
魔王軍が秩序だっているという評価はなかなかに矛盾のある言葉だ。
「有能な部下がたくさんいてくれてますので」
「武人はなかなかのものだな。暗黒騎士はどれもよいし、日蝕の騎士とやらは頭抜けている。だが真に有能なのは文官の方のようだな」
「二人、有能な奴らがついてきてくれましてね。どっちも丞相にしてます」
「なるほど、管仲や蕭何の類いか。そういうのは貴重な人財だ。大切にしてやるといい」
どうやら名前のようだが、俺の知らない人名だ。
東方系の名前のようだが。
「ご助言ありがたく」
「ふふふ。帝と名乗っても、所詮は魔王殿の臣下の一人に過ぎない。丁重にあつかってくれるのは嬉しいが、やり過ぎると他の者に示しがつかなくなるぞ」
「伝説の英雄が従ってくれるのは想定外なんですよ」
「まあ、それは確かにな」
巨人の帝に、白黒の邪悪、勇者。
名だたる英傑の集う魔王軍。
それを俺が率いているということが、ちょっと信じられない。
巨人の帝が帰っていった後、天幕の外に出ると白いものが降りてきた。
「雪か……もう、そんな季節なのだな…………あ…………」
雪を見て大事なことを思い出した。
魔王からの緊急の連絡を受けて、ボルルームは寝床から叩き起こされた。
まさか、変事が起こったのか?
謀反?
奇襲?
「何が起こったのですか!?」
ギアが人間界から持ってきた伝声筒に、ボルルームは焦りを隠しきれずに話しかける。
遠くでも声のやり取りができる便利道具だ。
これを量産すれば、伝令の代わりになって便利じゃねえ?とギアは言っていた。
「悪ぃ、忘れてたことがあったわ」
「忘れていたこと、ですか?」
「元々、休暇だった日、明日だったろ?」
「え?あー、そうでしたね」
言われている意味はわかるが、言われている意味がわからない。
今さら、休暇を気にするのはなぜ?
「俺の代わりに誰か迎えに行けるか?」
「迎えに?……………………あ……………………」
そうだ。
ギアは奥方様を迎えに行くはずだったのだ。
「頼む」
「あなたに頼むと言われてはしょうがないですね。手配します」
通信を終えて、ボルルームはイラロッジを呼んだ。
宰相府から丞相府へと組織の名前が変わっても、イラロッジがボルルーム付きの武官であることに変わりはない。
ボルルームが本営に残るのならば、イラロッジも決戦には参加せずに残ることになる。
もう寝る時間だというのに、イラロッジは暗黒騎士の制式鎧である“暗黒鎧”を着用している。
何があってもいいように。
まあ、魔法で呼び出す鎧だから着脱に時間がかからないから、外してても問題はない。
それでも、鎧をつけているのはこの男の武人としての矜持なのだろう。
「参上しました」
「すいません。もう遅いのに」
「いえ。急用と聞いております。すぐに動きますか?」
「用があるのは明日なのです」
「明日?妖鬼族との決戦の日取りですな」
「頼みたいのは、それではないのです」
「では?」
「人間界に出向き、魔王様の奥方様を護衛し、魔界に連れてきてください」
「それは……私が出向いてもおかしなことになるのでは?」
イラロッジも、もちろん奥方様に会ったことはある。
そして、その魔法の威力も知っている。
先代のトールズ様には劣るが、純血の魔人に迫るほどの魔法の才に驚いた記憶がある。
「元々、魔王様がお迎えにいく予定だったのですが」
「それは……お怒りでしょうね」
「それが妙に平静な声だったんですよ」
「あー、それは間違いなくキレてますね」
「キレてますか?」
「ブチン、とキレる前に笑顔になります。覚えはないですか?」
「あー、あります」
魔将相手にも、まったく怯まずに意見をする暗黒騎士隊長時代のギアのことをボルルームは覚えている。
竜魔将デルルカナフという魔王軍でも屈指の強者に、ギアは作戦について意見を述べたことがあったのだ。
「竜族は高速で移動できるのですから、もっと臨機応変に動くべきです」
「我々、竜族は誰の命令も聞かんよ。たとえ、魔王殿でもな」
「魔王軍の一員でしょう?」
「どちらかといえば同盟者という感じに我らは捉えているがな」
作戦に参加してるだけでも感謝してほしい、みたいな態度をとられてギアが笑顔になったのをボルルームは見た。
「ふざけんな」
と静かに言って、ギアはデルルカナフをぶん殴った。
虚を突かれてデルルカナフはまったく防御せずに、まともに食らった。
ぐらり、と揺れて「やったな?」と竜魔将は笑った。
そこからは強烈な打撃戦だったな。
ギアという人物は問題を殴りあいで解決することがある、とボルルームが知った瞬間だった。
結局、取っ組み合いになり、暗黒騎士二番隊総出で止めるはめになった。
ちなみに本人は、あれは試合だと言っていた。
そして、ギアのことを気に入ったデルルカナフは、魔王軍の指令にある程度応えるようになった。
「竜魔将を殴った時のことはよく覚えています」
イラロッジも思い出したようで苦笑いをする。
「あのときは酷かったですね。私も巻き添えをくって竜魔将に殴られましたな」
「今、笑顔ということは……妖鬼族のみなさんに同情しますね」
「ええ、まったくです」
八つ当たりをされるのが敵で本当に良かったと、ボルルームもイラロッジも思った。
「それで人間界へ派遣できる者はいますか?」
「私の手勢は暗黒騎士として出陣してしまいましたので、実は人手不足なんですよ」
「みんな連れていきましたもんね。どうしましょうか」
「こちらから送るのは無理ですが、向こうにはカレザノフがおりますので、彼も一度帰還させるついでに護衛もさせる、というのはどうでしょうか?」
そうだった。
極秘裏に人間界と魔界は連絡を取り合っている。
さまざまな作戦が展開されているが、人材交流の一環として暗黒騎士のカレザノフがリオニアスの魔導学園に派遣されている。
そのカレザノフを使えばよいのか。
とりあえず、魔王の希望は叶えられそうだ。
気が緩んだら、強烈な睡魔に襲われた。
ボルルームは布団がとても恋しくなった。




