271.魔王様は細身の貞淑な女性が好み、と聞いてます。閨に忍びいるような者は切り捨てると仰せです
魔王軍本営は平和です。
嘘です。
大混乱です。
本営に、吸血鬼の渇きの長であるエリザベーシアが来てからほどなく、女っ気の無かった本営に女性の姿が増えはじめていたのだ。
「魔界と人間界で何度も何度も起こった戦争で、魔界には多くの寡婦と孤児がいるのですよ?」
女官募集を勝手にしていたエリザベーシアに、なぜかと聞いた俺に彼女が言った言葉だ。
「それは……」
「魔界の長たる人物であるならば、困窮している彼女たちに仕事を与えねばなりますまい?」
「そう、だな……」
盲点だった。
人間界に攻めこんで帰って来られなかった兵士は万単位でいる。
吸血鬼やエルフの継承者軍の死者も多い。
剣魔の組織した真魔王軍にいたっては四十万以上の死者を出している。
死んだ者には、それぞれ家族がいただろう。
父や母、兄弟姉妹、恋人や妻、子供。
嘆き悲しむその人たちの中には、収入を死んだ兵士に頼っていた者も多かったに違いない。
俺は魔王と自負していながら、そういった境遇の人に対する気配りが足りなかったのだ。
俺自身が似たような境遇であったのに、だ。
エリザベーシアの行いは、数えきれないほどいるそういう境遇の人々の中のわずかな割合の人しか救えないだろう。
けれど、何もしないよりはマシなのだ。
結局、俺はエリザベーシアの行いを追認し、また女性や孤児が働ける施設の設置を推進することになる。
というわけで、本営に女官が増えることになったのだ。
と、ともに俺を誘惑する視線も増えた。
俺の容姿は凡庸だと思うのだが、魔王として考えれば親しみやすい顔に見えるのかもしれない。
視線はやがて、さりげないボディタッチに変わり、偶然を装った抱きつきをされるまでになった。
夜に寝室にまで若い女官が忍び込んでいた時には、ゾッとした。
襲われることは、一応武人ではあるから、ないだろうが。
アユーシあたりに護衛をしてもらおうかと思ったが、毎晩だと彼女が辛いだろう。
しかし、俺も毎晩こんな忍び込まれるような生活されると困る。
「そのようなことがあったのなら、さっさと相談してください」
目の下に隈をつくった俺に、エリザベーシアがその理由を聞いてきた時に彼女はこう言った。
心底呆れている、という顔だ。
「個人の行動に歯止めはかけられんだろ」
「悪いことは悪いと知らしめないと」
「寝室に忍び込んできた者をいちいち切り捨てるわけにもいかん」
まあ野蛮、とエリザベーシアが言った。
「殿方はすぐ血を見たがりますのね」
「そういう生き方しかできん」
「まあ、私にお任せください」
「なんだ?添い寝でもしてくれるのか?」
「それがお望みでしたら、添い寝でも夜とぎでもいたしますわ」
妖艶な笑みをエリザベーシアは見せた。
あ、これはちょっと怒ってるな。
なんとなくわかってきた。
「……遠慮しておく」
「そうですか?残念です」
「それ、絶対本心じゃないだろ?」
「とりあえず、夜の件は私がなんとかいたしますわ」
「血を見ないで、か?」
「もちろん」
「頼む」
正直、寝不足でキツイ。
そして、その夜から忍び込む女官はいなくなった。
いったい何をしたのだろうか。
その日から、女官の俺を見る目に険が入ったのは気のせいか。
まだ、よくわからない。
そんな風に今までの魔王軍にはない出来事による混乱が続くなか、エルフ族からの使者がやってきた。
それはどうやら、エルフ族を救援しに行った時に確約した十人の若者のことらしかった。
俺は玉座に座り、左右には“明けの丞相”ボルルーム、“宵の丞相”ツェルゲートが立っている。
理知的、という魔王軍にあまりいなかった属性を持つツェルゲートとボルルームの仲は意外といいらしい。
意外と言えば、ツェルゲートとエリザベーシアの仲は良くないようだ。
俺にエリザベーシアを推挙してきたのはツェルゲートなのだが、この二人にはいろいろあるらしい。
俺とエリザベーシアには因縁があるが、ツェルゲートとエリザベーシアにもなにかしらの因縁がある。
ツェルゲートが以前に、渇きの長を謀殺したようなので、それが何かの遠因になっているのかもしれないな。
そのエリザベーシアがなぜかここにいるのはなぜだ?
ボルルームも、ツェルゲートもスルーしている。
なぜだ?
やってきたエルフの若者たちは男女それぞれ五人ずつの十人だった。
全員が世間の基準で見れば、美男美女ぞろいだ。
この顔を見た時点で、エルフ族の考えが俺とずれていることはわかった。
エルフ的には、この十人は生け贄なのだろう。
俺の慰みものになるならよし、鬱憤晴らしに命を奪われても仕方ない、とか思っているのだろう。
俺としてはエルフとの交流を深めて、文官だろうが武官だろうが、その他だろうが才能がある人物を見出だしたいと思っているのだ。
「恐ろしいか、俺が」
その第一声に、エルフの若者たちはビクリと震えた。
よほど長老たちに脅されたのだろう。
命は無いと思え、程度のことは言われたかもな。
「……」
どう答えればいいのか、わからない、という顔だ。
自分たちの長老も恐れる魔王の前に来て、どう答えるのが正解なのか、わからずにフリーズしている。
「魔王様のお言葉である。返答なさい」
と、いつまでも答えないエルフの若者たちにエリザベーシアがきつく言った。
確かに、俺がもう一度何か聞いたら、答えを懇願しているようで情けない。
魔王としての威厳が落ちる。
それを防ごうとエリザベーシアが、それも強めに口を開いたのだ。
「た、大変失礼だと存じますが、我々は魔王様のことを恐ろしいと思っております」
一番、先頭にいたエルフの若者がガタガタになりながら答えた。
「命を奪われる、と?」
「ば、場合によっては……」
「俺はお前たちに、苦痛を与えるかもしれん。怒りを覚えさせるかもしれない。精神に異変をきたすようなことをするし、させるかもしれない」
「……」
「だが、お前たちがここから逃げようなどと考えたら、お前たちの故郷がどうなるか……楽しみだな」
エルフの若者たちは本気で引いた顔をした。
まあ上位者にひどい目に合わせられる状況で、さらに逃げたら故郷が襲われると脅されたらそうもなろう。
若者たちを退出させる。
「まあまあですね」
ボルルームが呟く。
「脅しの台詞はもっと楽しそうに言った方が、相手は恐怖を覚えるぞ」
ツェルゲートもニヤニヤと笑いながら言った。
「魔王の謁見、として考えたら及第点ですね」
エリザベーシアが静かに言った。
「お前ら……何の評価だ」
「魔王様の魔王としての態度ですよ」
ボルルームが楽しそうに言った。
なんでそんなに楽しそうなんだ。
「それで、魔王殿。あのエルフたちはどうするのだ」
「適性検査を受けさせて、武官か文官、どちらが相応しいか見極めろ。武官に向いた奴はヴォルカンに預けろ」
「ヴォルカン殿、ですか?」
と、ボルルームが聞いた。
「なんだ?」
「いえ、ヴォルカン殿が優秀なのはわかっておりますが」
「あれは武の才もありながら、指揮官として最優秀な男だ」
「なるほど、あのエルフの若者をただの兵士ではなく、指揮官として育てようと?」
納得いったようにツェルゲートが言った。
せっかく預けられたのだ、ただの強い兵士を五人つくるより、強い指揮官を育成する方が将来を考えたら良い。
「では、文官に向いた者はいかがしますか?」
「左右の丞相府のどちらが、より優秀な文官を育て上げられるか見てみたい、と俺は思っている」
「え?」
「それは……」
二人の丞相が何かに気付いた。
「頼むぞ、ボルルーム、ツェルゲート」
育成を丸投げされたことに絶句した二人を前に俺は笑った。
「ホント、殿方は」
と、ぼそりとエリザベーシアが言った。




