269.吸血鬼の僣主、あるいは悩める男
「我ら吸血鬼族を取り込もうと、か?悪くない手だが、それなりの条件は出させてもらうぞ」
ツェルゲートは実質的に、吸血鬼の支配者である。
それを魔王軍の幕下に組み入れようというのだから、簡単にいかないのはわかる。
だが、支配階級でないのに権力を握るに至った頭脳と行動力は、今の魔王軍の欲するところだ。
俺は破格の条件を提示することにした。
「宰相が一人居てな。バランスを取るために丞相職を新設し、組織を変更しようと思っている。左右二つの丞相府を造ることにしたから、お前にはどちらかの丞相になってもらおうと思う」
「な」
ツェルゲートは絶句した。
魔王軍の丞相、それは魔界の歴史において一度も置かれたことのない役職である。
それに推挙されたのだ、驚かないほうがおかしい。
「魔王軍には優秀な文官が必要だ。それにいつまでも本営を本拠地にするわけにもいくまい?」
本営はあくまで軍事拠点。
軍事の中心ではあるが、政治の中心たりえない。
俺はもっと魔界の中心たりえる都市を欲していた。
「遷都をお考えで?」
「そうだ。そこで、貴公の経験が生きるわけだ」
「遷都を私に担当させる、と?」
ツェルゲートは、遮光の影の都“蝙蝠都”を造り上げた実績がある。
「面白そうだろう?」
「場所はどこを想定しておいでですか?」
なぜか口調が変わりはじめていたツェルゲート。
最初は居丈高な態度だったのだがなあ。
俺は魔界全土の地図を取り出す。
そして、本営に程近い平野を指差す。
「ここだ」
「静かの平野、ですか。悪くない場所ですが、魔人領の端ですな。統治には向いていないのでは?」
「魔人領は関係ない。ここは魔界の中心たる場所だ」
「魔界の……確かに」
地理的な意味ではそうではないが、各種族との交流を考えた場合、そこは魔界の中心地だった。
北にある山岳地帯には飛天族、そのさらに奥には竜族が住んでいる。
魔界を流れる大河である紅河に面しており、船を使えば東西が繋がる。
つまり陸の種族と海魔族が繋がるということだ。
魔人領のはずれということは、その他の種族の領地が近いということ、例えば獣人であり、巨人族だ。
それらの種族とも交流し、交易ができるだろう。
その中にはエルフや吸血鬼、ドワーフや樹人、蜥蜴人なども加わるだろう。
「戦乱は終わる。俺が終わらせる。その象徴たる新しき都を“宵の丞相”に造り上げてほしいのだ」
「宵の丞相……ふふふ、魔王様は私の本性を知らないためにそのようなことを仰せになる。吸血鬼は、私が力で抑えている状態です。その手を離せば新たな騒乱の火種となりましょう」
「吸血鬼の王は渇きの長、というのだったか」
「そうですが」
「新たに渇きの長を即位させようか。その者はなるべく魔王軍への忠誠が高いほうが望ましいな。そのうえでお前を吸血鬼の権威から切り離し、丞相に任命するのがスマートか」
「吸血鬼の支配を手放せ、と?」
「聞くが、お前が吸血鬼の支配を渇望するのはなぜだ?」
「それは……旧来のままだと吸血鬼は滅びると危惧したゆえ」
ツェルゲートの言うには、夜しか活動できず、血を主食とする吸血鬼は他種族に忌避される傾向が強い。
誇り高き吸血鬼の渇きの長たちは、それに対しへりくだるのを良しとせず、それならば逆に他種族を害する方を選んだ。
しかし、生物全部の敵となるとしたら、そんな種族はすぐに滅ぼされてしまう。
ツェルゲートは強行手段で渇きの長を排除し、吸血鬼の誇りを失わせずに穏便にそれを解決しようとしていた。
そしてそれはまだ道半ばだったのだが。
「お前が嫌われ者になれば問題は解決する、と」
ツェルゲートが渇きの長を廃す暴力という恐怖政治で、今の吸血鬼族は暴発を防いでいる。
「今のところは、ですが」
「要は食糧である血の確保、問題はこれだな」
生き血。
それこそが吸血鬼の吸血鬼たる由縁であり、その問題の全てだ。
それが解決しない限り、ツェルゲートの施策もその場しのぎだ。
吸血鬼たちがもっと強かったら、力で魔界を支配することで問題を解決できる。
だが、それができない今、他種族の反感や恐怖を買わずに栄養を確保できる手段はほぼ無い。
ほぼ。
俺にはある。
吸血鬼もまたラスヴェートの被造物である以上、その特性を操作することは可能だ。
すなわち吸血鬼から吸血衝動を取り除き、他の食物から充分な栄養が摂取できるように改良することはできる。
しかし、それはもう吸血鬼ではないのだろう。
それに、この問題はなまじ血であるためにショッキングではあるが、命と食べ物を考えるとしたらどの生き物にも当てはまることだ。
肉を食うために命を奪う。
パンを食べるために麦を刈る。
吸血鬼の方が命を奪わないことを考えたらそっちのほうが、良心的ですらある。
人間のように牧畜をする、とか代替品を見つけるとか。
考えられる手段はいくらかあるが。
「本気で血の確保のことを考えているのか?」
「そうだ。お前は違うのか?」
ツェルゲートは苦い顔をした。
他種族に嫌われないために同族殺しをした彼も、結局は吸血奴隷を飼っている。
むやみやたらに血を求めて旅人などを襲うことはないが、吸血衝動に抗えなくなったら、といつも不安に思っている。
「いつも、いつも考えている」
「例えば、だ。希望者に金品を払い、血を吸わせてもらうとか」
「そんな物好きいるものか」
「生きる糧に困っているものはいくらでもいる」
労働の対価に金品をもらう。
血の対価に金品をもらう。
それは同じものだ。
「充分な量を確保できるとは思えん」
「確かにな。そうだな、犯罪者の労役の代わりに血を提供させるとか……いや、すまん。罪人の血を好んで飲むわけないな」
すまん、と手を合わせる俺にツェルゲートはなぜか、笑った。
「本当に本気なのだな」
「だからそう言っているだろう」
「私たちが一朝一夕に成せなかったことを、簡単にできるわけはなかろう」
「かもな。このくらいのことはお前たちも考えているだろうな」
「しかし、今の魔王なら従う価値はあるかもしれん」
「ツェルゲート公……?」
「私の座る椅子をなるべく早く用意してくれ。新しい渇きの長に近いうちに挨拶に向かわせよう」
「俺の招きに答えてくれると?」
「街を造る時にな。一番楽しいのは何か知っているか?」
「……いや、経験無くてな」
「そこに住む者がどうすれば笑顔になれるか考える時だ。そして、実際に笑顔を見られればなお重畳。……もう一度それができるなら、面白そうだ」
「笑顔、か」
リヴィを笑顔でいさせる。
それが俺の望みだ。
彼女を笑顔にするためには、彼女の周りも笑顔でなければならない。
だが、こう考えることもできる。
笑顔のあふれる場所にいれば、彼女もいつも笑顔で居られるのではないか。
ツェルゲートの造る街がそういう場所になればよい。
「ああ、それと」
「ん?」
「罪人のであろうと聖職者のものであろうと、血は血だ。変わりはない」
「そうなのか?」
「水分にヘモグロビン、タンパク質に脂質、その他様々なものの混合液だ。犯罪歴や職種で大きく違いがあろうはずがないだろうが」
「お、おう」
急に詳しく説明されて、俺は戸惑う。
「違いが出るとすれば、食生活、それに病気の有無だな」
「食生活は確かに影響しそうだな」
「血液を媒介とする病もある」
「血を吸うのにもいろいろあるんだな?」
「何をいまさら。我らからすればお前たちの食べ物ほど奇怪なものはないぞ。肉に野菜に穀物、乳を飲み、草を食み、あるいは固め、発酵させ、煮たり焼いたり。そちらの方がよほど手間がかかる」
「そう言われたらそうだな」
食事についてあまり考えてこなかったが、いつもこんな大変なことをしていたのだな、と俺はついおかしくなった。
「ではな、魔王殿。また、会おう」
「椅子は早めに用意しておこう」
「はは、頼んだぞ」
笑いながら、ツェルゲートは霧に姿を変えて去っていった。




