267.久しぶりの出番に実は彼は興奮していた
魔王軍本営に救援要請が来たのは、真魔王軍の包囲を撃滅し、そこに魔王である俺が帰還した数日後だった。
「エルフ族からの救援要請だと?」
「はい」
エルフ族は継承者マシロによって組織されたエルフ軍が吸血鬼軍によって撃滅されたあと、マシロの所在を魔王軍に知らせる、つまり売ったことでエルフの地位と領地を安堵されていた。
マシロ一人の責任であり、罪も彼女にあったとし、魔王軍もそれを認めたのだ。
といっても、魔王軍も遠征し、エルフたちを討伐したりする余裕などなかったのが本音だったが。
そのエルフたちからの助けを求める声。
「魔王軍を襲うならともかく、誰がエルフたちを襲うと?」
「真魔王軍です。いえ、正確に言うなら“剣魔”が、です」
「宣言通り、というわけか」
“剣魔”シフォス・ガルダイアは魔界の全てを斬ると言った。
その手始めとして、エルフたちを襲っているのだ。
「救援はいかがしますか?」
「……妙だな」
いくら絶望したとはいえ、師匠の行動パターンから考えると奇妙な点がある。
エルフは弱い種族なのだ。
肉体的には人間より華奢だ。
魔法は得意だが、攻撃魔法は苦手で、マシロの使った“封印”のように搦め手の魔法を使うことが多い。
だが魔法を気合いで吹っ飛ばせる師匠にとって、それは優位になりえない。
エルフでは師匠の相手にならない。
だから妙なのだ。
「妙、ですか?」
「師匠……いや、剣魔はな。強い相手と戦いたいんだ。逆に言えば弱い相手と戦うのは死ぬほど嫌がる」
「エルフを相手にしないはずだ、と?」
「俺を誘い出そうとしているのか、いや違うな」
絶望のあまり師匠は魔界を全て切り裂いて、全部を無に帰そうとしている。
魔王軍本営を襲った時は、俺の拠り所を奪って戦うしかない状況に追い込むためだった。
だが、俺が魔王になれなかったと思っている師匠はもう俺の相手はしないだろう。
「恐れながら具申します」
スツィイルソンが前に出た。
「なんだ?」
「エルフにはその別たれた種族が存在しております。もしかしたら、その種族の行方を調べているのではないか、と」
「エルフから別れた種族?」
「はい。ダークエルフです」
「ダークエルフ……聞いたことがあるな。武に優れた種族でオークを使役していたが何処かへと去ったとか」
「そうです。少なくともメリジェーヌの治世では魔界にはおりませんでした」
「剣魔もそれは知っているはずだな?」
「ええ。なのでエルフの長老から直接問い質そうとしているのではないか、と」
「殲滅が目的ではない、か」
「陛下?」
考え込んだ俺にボルルームが声をかけた。
「ちょうどいい。エクリプス、ヴォルカン、アユーシに命じる、エルフの森へ遠征するぞ」
控えていた三人が頭を下げる。
「では救援に?」
「救援もあるが、魔王軍が動くことで復活を魔界に見せつける」
「なるほど、雌伏の時は終わった、ということですね!」
「ああ、魔王軍完全復活を示す」
いまだに魔人しか配下にいないが、そろそろ復活したことを見せつけないとおとなしくなっている諸種族が怪しい動きをし始めそうな気がする。
「ですが、日蝕騎士団、サラマンディア軍団、暗黒騎士隊を動かすとなると本営の防備に不安がありますが?」
「心配はいらない。俺に考えがある」
「ならばよいのですが」
「ああ、それとボルルーム」
「はい、なんですか?」
「吸血鬼の当主に手紙を送ってほしい」
「はい?」
俺の指示に怪訝な顔をするボルルームだった。
ほとんどの戦力を遠征軍に費やした魔王軍は、エルフ領である森へ出陣した。
その中核は、ヴォルカン率いるサラマンディア軍団だ。
もともとサラマンディア家の私兵団であったが、魔王軍の一軍団として再編成された。
サラマンディア領やベヘスト領から募兵し、新兵一万を組み入れ、総勢二万にまで増強した。
魔王の出身地の軍団ということで士気は高い。
日蝕騎士団は団長であるエクリプスを入れて八人。
暗黒騎士隊は五百名。
俺も含めると総勢二万五百九名の魔王軍は進軍を続ける。
「いいのかい?本営ががら空きだけど」
俺の横についてきたエクリプスが興味深そうに俺に話しかけてきた。
「魔王軍が不在の間に本営を襲うようなこずるい奴はいない」
「魔界のルールという奴かい?」
「ああ。空き家を襲って乗っ取っても、そいつに従うようなものなどいない。強さを示さなければ魔界はついてこない」
「万が一ということはあるよ」
「備えはある」
「なんか変わった?」
「いや、別に何も……お前は俺が変わったと思うのか?」
「そうだなあ、責任感が出てきたとは思うよ」
「責任感か。まあな、二万以上の命を俺の命令一つで左右できるってことには責任を感じているさ」
俺の一言で何千、何万もの命が失われる。
それに対する責任は常に持っていなければならない。
「本営に問題はないと言うんだね」
「ああ、そうだ」
「そうしたなら、僕たちは次は何をすればいいのかな?」
「今回はエルフの救援、剣魔の討伐、魔王軍の威を示すという三点が達成されなければならない」
「ふむふむ」
「魔王軍本隊はこのまま、堂々と行軍を続ける。お前たち日蝕騎士団はエルフ領に先行し、救援しろ」
「それはつまり、僕たちが君の師匠と戦うということかい」
「いや、まともに相手をしなくていいさ」
「ん?」
「どうやら剣魔殿はお前が嫌いらしいからな。確実に退くだろう」
「退かせるんだ?」
「逃すわけではないぞ?」
「了解です。魔王様のお心のままに」
先行します、と言ってエクリプスは配下を率いて、森へ向かった。
ギアは魔王軍本営を襲うような者はいない、と予測した。
強さこそ全てな魔界の住人が、強者のいない本営を襲うなどといった不名誉なことをするはずがないからだ。
だが、切羽詰まった者は時に賢者でも思い付かないような愚行を働くことがある。
真魔王軍の残党を率いるゲリッシュはそういう意味では愚者だった。
もともと“死天血界”ゼルマンの配下だった彼は“剣魔”によってゼルマンが殺されると、ゼルマンの手勢をまるまる渡された。
ゲリッシュはそれを、彼の実力を見抜いた剣魔の深謀だと思ったが、実際は剣魔がどうでもいいと思っていただけだったりする。
そして、真魔王軍が敗れ、剣魔が彼らを捨てたのち、残党は本営を落とすことを至上とした。
魔王軍に逆らった彼らにはもはや安息など望めず、敗北した彼らは強者にはなれない。
ならばせめて華々しく散ってやろうと、魔王軍の大軍が出ていった時ゲリッシュは決断した。
「我らに退路は無い。ほんの一瞬であろうと、我らは真の魔王の軍隊である。落とすべきは偽りの居城である、魔王軍本営だ」
真魔王軍残党はゲリッシュによって糾合され、総勢一万となって魔王軍本営に攻め寄せた。
本営は不気味なほどに静まり返っていた。
これまでの二度の攻撃のいずれも反撃の怒号が鳴り響いていたが、今やここには沈黙しかない。
ここには少なくとも魔人の部隊がいたはずだが、とゲリッシュは思った。
真魔王軍残党の前に一つの人影がゆっくりと歩み出た。
「これはこれはようこそお出でくださいました」
黒いローブに姿を隠したそれはゲリッシュたちに頭を下げた。
「何者だッ!」
「それはまあこちらの台詞でございましょうが……聞かれたからにはお答えしましょう」
黒いローブは頭のフードをはねあげて、頭部を見せた。
「ひッ」
という押し殺した悲鳴がゲリッシュの後ろから聞こえた。
あるいはゲリッシュが無意識であげた声だったかもしれない。
黒いローブの中身はドクロだった。
黒い眼窩には青白い炎が灯り、ゆらゆらとうごめいている。
「小生はロイヤルスケルトンと申します。このたび、魔王陛下にスカウトされまして、リオン遺跡の主から屍軍団の軍団長に抜擢された骸にございます」
ロイヤルスケルトンは慇懃に頭を下げた。




