265.世界の表と裏
神の主ラスヴェートは、俺との戯れあいにどうやら満足したようだった。
先に戦った三人の元魔王が見守る中、行われたそれは終始ラスヴェートが攻撃し、俺がそれを防ぎ、かわし、受け流し、見切る、といった状態だった。
まあ、俺も防御しっぱなしでもなく、二度か三度、良いタイミングで攻撃を当てることができた。
が、ラスヴェートの動きを見るに大したダメージは与えてられなかったようだ。
「久しぶりに運動をした」
「あれで運動かよ」
「約束通り、余の“魔王”の称号をお前にやろう」
「その“魔王”と今までの魔王は何が違うんだ?」
「オーナーと雇われ店長くらいは違うよのう」
「は?」
よくわからない比較をされて混乱する。
「ハヤトの知り合いの確か……ネコだかニコとかいう者がおるだろう?」
ネコという人名は知らないが、ニコなら知っている。
記憶が曖昧だが、ニコは神の祝福があるだとか、転生者だとか聞いた覚えがある。
そのつながりか。
「ニコがなんだ?」
「あれは己で建物を買い取って、自分の店を開いておる」
「うむ」
「それがオーナーだ。それであの店にはニューリオニアから来た料理人がいて、オーナー不在時に店を任せられるが店自体をどうこうできる権限は持っておらぬ、はずだな?」
「そういや、聞いたことがあるな」
ニコとマルツフェルに行った時に店を任せていたという人物だ。
名はなんだったか。
「それが雇われ店長だ」
ニコズキッチンを魔界に置き換える。
今までの魔王が雇われ店長、魔界の権力を握っているが、魔界そのものをどうこうできるわけではない。
で、ラスヴェートから譲られた“魔王”は魔界を自由にできる。
「それは……おい、権限がでかすぎるぞ」
「当然よ。神の権能を一部とはいえ譲られたのだ。楽しかろう?」
「楽しいか?」
「魔界に関して、お前の力は神と同等だ。地形を自由にいじったり、種族の生息地を増やしたり減らしたり、魔力の流通もコントロールできる」
「なんでも?」
「欲が出てきたか?」
興味深そうにラスヴェートは俺を見ている。
「魔界の迷宮化を止めることも、か?」
「できる。今の魔界は主がいない状態でもあるし、余の企ても完成したと言うてもよい。止めてもよいぞ」
だが、とラスヴェートは続けた。
「魔界の楔として封印してある滅茶苦茶強い者らを解き放つことでもある」
「それはスツィイルソンや深淵の夢の使者たちのことか?」
「そうだ。余の魔界平定の際に抵抗し、そして余に降り生き長らえた者たち。彼奴らも長く隠遁しておるであろうし、動きたい者もおるだろう」
魔王より強い猛者たち。
それらが、解放されたら大変なことになる。
しかし、いつ終わるともわからぬ封印をされ続けるのも苦痛ではないだろうか。
「やり方は?」
「くくく。臆せぬか、面白い。そこまでは余からの餞別だ。やってやろう」
ラスヴェートが手を振った。
すると周囲の暗黒が薄れていく。
そこはまるで夜の星空の真ん中に立っているかのような、煌めく瞬きの空間だった。
「ここは」
「宇宙……いや、星の海だ。あの瞬き一つが一つの星、一つの世界だ」
俺の視線の先はどこまでも見通せない空間だ。
そこに無数の星が見える。
あの一つ一つに世界があるというのか?
「どれだけあるんだ……」
「さてな。余も全てを見通したわけではない。さあ、そこに目を向けよ」
ラスヴェートの指差す先には円盤が一つ見える。
全体的に青く、茶色や緑の部分が三割を占めている。
「あれは」
「あれがお前たちの世界だ」
「は?」
「宇宙的にも類を見ない平面世界、天動の世界よ」
「こうなっていたのか」
そう言われれば、大陸の形などが地図などで見たことのあるものと一致する。
リオニアスはどのあたりだろうか。
「しかと見ておれよ」
ラスヴェートは右手を緩く、動かした。
すると円盤の世界がぐるりと一回転した。
裏側が見えるようになったのだ。
表面の青い世界、青い海とまったく違った様相。
そこは真っ赤に染まった真紅の世界。
表と同じように三割ほどが緑や茶色、つまり陸地だ。
真っ赤な海に覆われた世界。
俺は、その海の色を知っていた。
「魔界……」
「そうだ。不思議と思わなかったか?違う世界の違う進化をたどった二つの人間種の、言葉が通じあうことを、似たような神の物語があることを」
「人間界と魔界は同じ世界の表と裏!?」
「魔界という一つの世界の支配者たるお前には、世界の真実を一つ教えておかねばと思ったのでな」
違う世界だから、魔王軍は人間界を襲うことができた。
だが、本当は同じ祖先を持つ一つの世界の別たれた存在だった。
同じ親を持つ兄弟で争っていたようなものだ。
そんな俺の表情を見てか、それとも心を読んだか、ラスヴェートが口を開いた。
「お前を選んだのは、お前に呼ばれたからというのもあるが、お前なら、お前たちなら別たれた世界の架け橋となれるやもしれぬ、と思ったからだ」
「俺、たち?」
「余の妻も人間だ」
ラスヴェートの妻。
確か、十二の眷族神の一柱とも、別格の神とも言われる“障壁”、あるいは“恐妻”女神。
「メルティリア神、でしたか?」
「お前、微妙に失礼なことを考えていたのではないか?」
「心を読まないで下さい」
「……まあ、よい。愛は無敵ゆえな、世界の表とか裏とか関係なしに突っ走っていけばよい」
「俺に、できるのか……」
「できる」
「簡単に言う」
「お前の野望をかなえていくうちに、それはなる。できるまでやるのだ。諦めなければ全てはかなう」
それは俺たちの可能性を信じているような、穏やかな笑顔だった。
愚かさも、卑小さも、こずるさも、何もかもを許容して面白がる。
そんな楽しさが垣間見えた。
「ずいぶんと楽しそうですね」
「余は魔王として生まれた。数千年負ってきた重荷をようやく委ねたのだ。楽しくもなろう?」
「嫌だったのですか、魔王は?」
「そうでもないがな。余は可能性を信じるだけのこと」
「可能性?」
「魔王という地位を余は手放したぞ。それはつまり、なんでもできる。魔王でなくなることも、勇者になることも、なんでもだ」
「それでその荷を俺が負うわけですか」
「一度譲ったものだ。誰かに委ねてもよいぞ」
「嫌ですよ。こんな重いもの、そこらの奴なら潰れてしまうでしょう」
「一理ある」
ラスヴェートは口を開けて笑った。
そして。
「お前への権限委譲は終わった。ついでに魔界の迷宮化も終わった」
「見た目は変わりませんが」
「しばらく前から、迷宮としての寿命がつきかけていたようだな」
「雇われ店長がいなかったから、ですか」
「そうだ」
「俺自身も特に変わりはないみたいですが」
「そのようだな。さて、余は行くぞ。ここは余の故郷ゆえ、長く手をかけたが、もう独り立ちできるであろう」
「もう、この世界に関わらないと?」
「心配するな。余はお前たちすべての親のようなもの。いつでも見守っている」
ゆっくりと円盤世界や星の海の光景が薄れていく。
控えていたメリジェーヌやガオーディン、トールズ様の幻影も消えていく。
「親、か」
全てが再び、暗黒に包まれていく。
だが、それはけして寒々とはしていない。
赤子をくるむ毛布のようにぬくもりに満ちている。
そして、俺はゆっくりと目を開……。
「一つ忘れていた。魔界に満ちていた魔力のほとんどが、オーナーのお前に与えられるから、存分に力を振るうがいい“魔王”よ」
最後に重要なことをラスヴェートが言ってきた。
質問する前に、彼の気配は消え去り、俺は闇魔城跡地の玉座に腰かけた状態で目覚めた。




