260.魔王と魔王
「貴様は」
「余がなんだというのだ?」
「誰だ?」
第一印象は威丈夫、しかし細面の優男ではなく、獰猛な獣をイメージさせる美しさと強さを兼ね備えているように見える。
「余は魔王だ」
その言葉とともに、震える衝撃が俺を襲う。
意志を強く保ち、それに耐える。
「魔王」
「よく今の言霊に耐えたな。誉めてつかわす」
「言葉だけで衝撃を与えるだと」
「くくく。なにせ、ここはお前の心中、すなわち魂から直に接続された世界。余の言葉に込められた言霊が、お前の魂に衝撃となって届いているのだ」
「俺こそが魔王だ」
ありったけの思いを込めて、俺もその言葉を魔王を名乗る青年に放つ。
その言霊は、魔王の髪をわずかに揺らした、だけだ。
だが、魔王はその顔を驚きに変えた。
「余に届く言霊とは……資格を持たずして継承戦に参加し、勝ち残っただけはある」
「俺は魔王。魔王ギアだ」
「お前たちの世界の魔王とはな。余の企みの一つだ」
「企み?」
「魔界という一つの世界で、様々な能力をばらまき、それを重ね合わせ、まったく別の可能性を開かせたもの。それがお前たちの言う魔王だ」
今の言葉は聞いたことがあった。
どこかで。
どこで、だ?
記憶の底から思い出す。
そうだ。
あれも、一つの夢の中で。
だから見たかったんだと思うよ。生き物の可能性と自分の見たことのないものを。
進化の可能性、か。魔界はその実験場で魔王はその管理人ということか?
「深淵の夢の使者……」
そうだ。
奴が魔王を測るとかいって、俺に語った言葉だ。
「そうか。奴に会ったか」
だが、けれど。
その時、奴が言っていたのは違う人物の話ではなかったか。
そう、あれは確か。
「ラスヴェート」
その名を口にした時、俺は心臓をわしづかみにされたような衝撃を受けた。
魂ごと持っていかれそうな、そのまま屈服すればどれほど気分が良くなるかわかるほどの衝撃。
しかし、それはまずい気がした。
このまま、これに飲み込まれてしまえば俺は俺で無くなってしまう。
胸元に揺れる銀の蝶の髪飾りを俺は握りしめた。
これは、俺が俺であるためのよすがだ。
決して、解けることのない絆だ。
リヴィ。
「は、ははははは。面白い、面白いぞ。余の名を口にして、余のしもべとなるのを拒むか。良い、良いぞ」
「名を口にすると……どうにかなるのか」
「余の名を唱えると、余に心を捧げることになる。それを逃れるには、余より強くあるしかない」
お前の意志は、余より強いようだな、とラスヴェートは笑う。
しかし、ラスヴェートか。
「あんたの名前を、俺は人間の神として記憶しているが?」
「然り、はるか昔。余は魔王であり、かつ天に住まう神々も、次なる創造の神すら討ち果たし、神の主となったのだ。ゆえに、余は暁の主であり、魔王である」
ということは、俺の目の前にいるのは世界の最高神ということになる。
なんで、そんなのが。
「余を呼んだのはお前だ」
「俺が呼んだのは、魔界そのものたる何かだ」
「だから、余だ」
「あんたが、魔界そのもの……?」
「その通り。余が魔界を造り、そこに住まう生物を造り、数多の能力を造ったのだ。そして、その能力を十全に使えるように強さを求める本能を植え付けた。魔界の全ては余の一部なのだ」
「俺には資格がない、と言ったな。それは魔界の生き物として、俺が相応しくないからか?」
「かも、知れぬな。お前には強さを求める本能が無い。ゆえに継承者の能力を受け継がなかった。そのために魔王になる資格はない」
「そうか」
強さを求める魔界の本能。
俺にはそれはなく、強くあれという母親からの呪縛だけがあった。
「ということは、だ。お前の存在によって、余の企みは一つ潰えたことになる」
魔界という実験場で、様々な能力を持ったものが競いあい、最強の魔王となって、魔界の主になる。
こいつは、それが見たかった、のだという。
「だったらどうする」
「数千年の歳月と、一億種の能力、十七の種族の創造。それらが全て無駄に終わった、がそれはまあどうでもよい」
どうでもよい、ことはないと思うが。
「くくく、なにせ、その余の全てを超えて、お前が魔王としてここに来た。それだけで、余にとっては成果だ」
「あんたの成果はどうでもいい。つまりは、俺は魔王にはなれないんだな?」
「いや……そうだな。よかろう、お前に一つ試練を課してやる」
「試練?」
「それを達成したら、お前に余の魔王位をやろう」
「は?」
「魔界という迷宮の主という紛い物ではなく、本当の意味での魔王の位だ」
「なんで、だ?」
「一つには、余はすでに神の主であるゆえ、これ以上の箔付けは必要ないこと。そして、余はお前を気に入ったのだ。どうやら、余はただ従うものより、余に意見するほど気概のある者のほうが好みらしい」
「まあ、くれるというなら貰っておこう」
「ただではやらんぞ?試練を……そうよなあ、現時点でのこの企みの最高傑作と自負する存在を倒してみよ」
「企みの最高傑作……?」
「さあ、見せてみよ」
ラスヴェートは闇に溶けた。
そして、その虚空から何かが歩いてくる。
俺は、その相手を知っていた。
「魔王、様……」
そう、神であり魔王であるラスヴェートの、最高傑作。
それは、かつての主君であった約定の烈王トールズ。
ラスヴェートの企み、それは魔界を舞台にした最強の創造だ。
ばらまいた星の数ほどの能力を得て、他の種族の代表を全て蹴散らした存在。
つまりは、魔王だ。
「久しいな、ギアよ」
「ええ……本当に」
「では、やるか」
まったく準備動作なしに、トールズは魔法を放った。
「鳳凰」
翼を広げた鳥のような炎が俺に向かってくる。
だが、呪文の詠唱もない魔法など奇襲以外の使い道などない。
俺は気合いを発しながら、“暗黒鱗鎧”を発動する。
気合いで完全に打ち消せるわけはないが、暗黒鱗鎧の魔法防御なら弱まったそれをほぼ無効化できる。
その勢いのまま、俺は突っ込む。
早氷咲一刀流の移動技“霜踏”によって加速、トールズ様の裏をとり抜刀、“氷柱斬”で胴体を薙ぐ。
神速の抜刀術は、しかしトールズ様を斬ることはできなかった。
俺の刀は、トールズ様の周囲に張り巡らされた反射壁とでもいう魔法の効果で弾かれた。
「反射!」
「なかなかに早い。そして“蚩尤”が発動する威力」
俺は距離をとり、納刀した。
「さすがは魔王を名乗るだけはある、か」
「いや、今のは私が悪かった。あのころのお前の強さを元に対応したつもりだったが、さらに強くなっている」
こちらも本気でやらねばならんな、とトールズ様は言った。
それを示すように、トールズ様の周囲には発動待機している魔法が浮かび上がる。
その数は十。
一つ一つが人間には発動できない威力と範囲の超攻撃型の魔法だ。
これが、魔王トールズだ。
矢継ぎ早に繰り出される超攻撃型魔法、そして攻撃反射自動魔法“蚩尤”。
不落の攻撃要塞とでもいうべき、トールズ様に、しかし俺は恐れを抱いてはいなかった。
十程度の連続攻撃は、大多頭蛇のナンダと戦った時に慣れた。
それに、俺はもっと死ぬほどキツイ魔法を放つ魔法使いを知っている。
ドラゴンも焼き尽くせる魔法をリヴィが使えることを。
それに比べたら“鳳凰”など火花と同じだ。
十の連続攻撃魔法を、気合いと暗黒鱗鎧と体術を駆使して回避し、防ぎ、受け流す。
全ての魔法が効果を発揮しなかったことを知ったトールズ様に、“霜踏”で接近。
無防備なその首もとに切っ先を突きつける。
「俺の勝ちです。魔王様」




