257.四天王はいまだ滅びず
「とはいえ、私が聞かされたのはここまでです」
鍵だけを渡して、スッキリしたようにボルルームは言った。
お前だけがスッキリしても、俺は課題が増えてゲンナリしているのだが?
「後はどうすればいいのだ?」
「それを知るはずの先代魔王様や宰相様はもう亡くなってますからね」
「先代や宰相“は”?」
“は”を強調したボルルームの言葉には続きがあった。
「存命の先代四天王の方々なら、何かご存知かもしれませんね」
「……やはりか」
四天王。
それは、魔王の側近にして魔王軍とは別に独自の私兵や領地を持つことを許された大貴族、軍閥とでも呼べる存在だ。
魔王に絶対の忠誠を誓っている、と言われている。
魔王トールズの治世において設置された四天王は。
“剣魔”シフォス・ガルダイア。
“豪華業火”オルディ・ベヘスト。
“屍天血界”ゼルマン。
“水魔の神官”レトレス。
の四名だ。
つい最近まで、俺は四天王の方々も魔王城ネガパレスの戦いに参加し、命を落としたと思っていた。
だが、勇者の話によって、彼らはネガパレスにおらず生きている可能性があることを知っていた。
「ただ確実ではありません。既にお亡くなりになっているかもしれませんし、何も知らないかもしれません」
「亡くなっている可能性がある、と?」
「ええ。ご存知かと思いますが“屍天血界”ゼルマン様はあの戦いの前に」
「ああ、その軍団ごと消滅したのだったな」
人間界侵攻作戦の直前、領地の視察に行ったゼルマン卿は“何か”に襲われ、その精鋭軍団ごと消えた。
魔王トールズ様が自ら調査に行き、問題はないと結論を出されたのを覚えている。
だが、よく考えれば妙な事件だ。
一大作戦の直前に、四天王の一角が無くなるなどと。
口さがないものなどは、ゼルマン卿が謀反を起こして魔王に討伐されたのでは、なんていう推測をしていた。
「それに、“豪華業火”殿も」
俺の父、アグネリート・サラマンディアの上司であった炎使いオルディ・ベヘストは人間界侵攻の最中に亡くなった。
病死と言われている。
彼の死によって、命令するもののいなくなったサラマンディア軍が機能不全に陥り、数年間活動を休止することになってしまった。
「そうだったな」
「そして、“剣魔”シフォス様は、唯一、あの戦いに参加しましたが魔王城陥落の後は行方が知れませぬ」
「殺しても殺せなさそうなのにな」
剣の師匠シフォスである。
勇者一行が攻めてくるまでは確かに存命だった。
そして、勇者は戦っていない、という。
ならば、“剣魔”は生きている可能性はかなり高い。
行方不明だが。
「なので、残っていらっしゃるのは“水魔の神官”レトレス様のみです」
「直接お会いしたことはないな」
「滅多に姿を見せませんでしたから」
魔王トールズ様の友人。
そして、水に関する魔法の達人と言われたレトレス様。
いつのころからか、トールズ様と仲が悪くなり、魔王城や本営に現れなくなったのだという。
「彼女は今どこに?」
「おそらくは、魔人領と海魔領の接する“水魔の神殿”かと」
行ったことはないが、場所はわかる。
「俺が留守の間は、本営のことは任せるぞ」
「ちょっと不安ですがなんとかします。護衛はいかがしますか?」
「いらん」
「いらんことはないでしょう?魔人はともかく、海魔族はいまだ魔王軍に戻ることを表明してはおりませんよ」
「大丈夫だ」
「しかし」
「大丈夫だ、と言っている」
「……わかりました」
不承不承、ボルルームは頷いた。
「俺が不在の間、外交はお前に任せる。軍事面はイラロッジとエクリプスに聞け」
「了解です……なんだか、懐かしいですね」
「懐かしい?」
「ええ。あなたが無茶苦茶を言って、私がそれに振り回されるんです」
「よくあったな」
「本当に。そして、そんな時は不思議と難題もうまく片付くことが多いんです」
「そうだな。きっと、そうなる」
魔法銀の鍵を持ち、俺は水魔の神殿に向かった。
魔王軍本営から北へ馬で三日あまり。
さらに北には真っ赤な魔界の海が広がっている。
その海面に浮かんだ島に、水魔の神殿がある。
神殿、というものの、ここに何が祀られているのか、俺は知らない。
赤い海の照り返しを受けて、白い壁も夕焼けのように赤く染まっている。
桟橋なのか参道なのかわからない木の橋の上を歩いて神殿へ渡る。
入口は閉まっているが、鍵はかかっていなかった。
扉を開けると礼拝室とでも言うのか、広い空間があり、その中心には人とも魚ともつかない何かの像が鎮座していた。
魚人、のように見える。
錆びかけた金属で造られたそれは、どこか禍々しさを残しつつ神聖さも垣間見える。
「海魔族に伝わる海の神レフィアラターの神像です」
かけられた声の方向を見ると、魔人の女性がいた。
魔人は年齢がわかりにくいが、白くなった髪が老齢だと教えてくれる。
師匠、“剣魔”シフォスと同じくらいの年だろう。
「あまり物を知らないので、初めて聞きました。レトレス様」
「あなたが来るのを待っていました。こちらへ魔王ギア」
水魔の神官は、俺を奥の部屋へ案内した。
応接間らしきその部屋の椅子を勧められる。
温かいお茶を出されたので口をつける。
良い香りがする。
「良い匂いですね」
「人間界のハマリウム産のお茶を生のまま持ってきた緑茶です」
「ハマリウム……紅茶は聞いたことがありますが」
「紅茶は緑茶を発酵させたものなのですよ。あの香りも良いものですが、私は緑茶の方が好みですね」
「……ボルルームがドーマ・アシャから預かった鍵を受け取りました」
レトレスは頷いた。
「魔王は全ての継承者を倒すだけではなれない。その鍵をもって魔王の座を探しだし、そこにつく必要があります」
「魔王の座、それはどこにあるのです?」
「私はそれを知りません」
「?」
レトレス様は、先代のトールズ様が魔王になる時にその場にいたはず。
その彼女が、魔王になる条件である魔王の座の場所を知らない、とはどういうことか。
「魔王の座は、あなたが集めた魔王の力が集まる場所。即ち、その魂の中にある」
「心の中に、ですか」
「あなたはどんな王になろうとしているのですか?」
不意に聞かれた問いに、俺はいつも思っていることを答えた。
「最愛の女性がいます。彼女がいつも笑える世界を、俺は望みます」
レトレス様は眉をひそめた。
「それだけ、ですか?」
「それだけ、なのです。しかし、それがなかなかに難しい」
「難しい、とは?」
「彼女が笑って過ごすためには、彼女の周りも同じように笑っている必要があります。その彼ら彼女らが笑うためにはその周りの人々も。どこまでを笑顔にすれば良いのか、皆目見当もつかない有り様です」
「……あなたは、ひどく強欲なのですね」
レトレス様はようやく笑った。
「強欲、でしょうか?」
「トールズは、魔人が虐げられることのない世の中を願っていました」
「はい」
「しかし、彼はいつのころからか、魔界を出て人間界をその領地に加えんとしていました。そして、ルシフェゴの死。私はその時にトールズを見限りました」
「……聞いています」
「あなたが、その強欲な望みを叶えることを願います」
「ええ、必ず」
「二つ、伝えることがあります」
「はい」
「一つは、魔王の継承について。かつてトールズは魔王となる時にこの神殿で長く瞑想しました」
「そうなのですか?」
「それは彼が水の気質を持っていたからです」
「なるほど」
己の気質に近い場所での瞑想が、心の中にある魔王の座に近付く術だ、ということか。
「そして、もう一つ。“剣魔”シフォス・ガルダイアは生きています」
その声に感情が込められていないことに、俺は気付いた。




