250.齟齬
「はぁ、天使だと?」
呆れた声を出したのはデルタリオスだ。
(レアアイテム以外には)現実的で、見たことのあるものしか信じない彼は、見たこともない天使などという存在が前提となることを受け入れられない。
しかし。
「いや、ウチは見たことがある」
タリッサは、恐怖と共にそれを思い出した。
ザドキ大墳墓で、遭遇した翼持つ魔物だ。
上位になるほどはっきりとした意志を持ち、戦いが厄介になっていく。
出会った中で最上位の主天使には、暗黒騎士であるギア以外まるで歯が立たなかった。
もし、空間転移でリヴィエールが来てくれなかったら、普通に全滅していた、とタリッサは考えている。
それを説明すると、仲間たちの半分は信じ、もう半分はそんなこともあるだろう、という顔をしていた。
とりあえず、天使のことを否定する者はいなかった。
デルタリオスも、タリッサの話の中にギュンター・フォン・ブランツマークが出てきたことから、信じるという気持ちに傾いたようだ。
どうやら、彼とギュンターという老人は知り合いらしく、ギュンターが冒険者になるのを後押ししていたらしい。
「天使とやらの存在は認めよう。しかし、お前がそれだというのはどういうことだ?」
「せや、あいつらはどれもこれも世界を一度滅ぼすって言うとったんやで?」
デルタリオスとタリッサの言葉に勇者は頷く。
「そう。我ら天使は次なる神アルザトルスの使徒として、一度この世界を滅ぼし、新たなる世界を創造するのを使命としている」
「次なる神アルザトルス……」
自身もアルザトルスの神官、(のフリ)をしていたモモチはおののく。
そんなものを信仰していたのか、と。
「その是非はまあいいんだ。かの御方の大望は、この世界の神であるラスヴェートによって阻止された。それに主天使によるザドキ大墳墓からの侵攻も、彼らによって防がれたからね」
もうしばらく、数千年は侵攻はないだろうと勇者は言った。
「お前は違うのか?」
瞑目していた武道家ラウシンハイが尋ねる。
「いろいろ理由はあるけど違う。僕はこの世界を滅ぼすことを是としていない」
「そうか」
とラウシンハイは口を閉じた。
「我々の知る七人と、お前の関係はなんだ?」
吟遊詩人フランフルートが聞いた。
確かに、勇者を知り合いと誤認していたのはそれぞれ理解したようだが、なぜ誤認するようなことになったかはわからないだろう。
「ある事故で僕は、僕のいた世界から滑り落ちてしまった。そして、この世界に堕ちてきた。あてどなくさ迷ううちに僕はあるパーティの全滅した現場に遭遇した」
「それがトネリコたちか……」
フランフルートは失われた友の名を呼んだ。
「彼らの魂はその場に留まっていた。それを天使だった僕は取り込んだ」
魂を取り込む、その行為に一人の男が激怒し、叫んだ。
「我が存念に応えよ“審判”」
堪えきれなくなったティオリールが、神聖高位魔法を発動したのだ。
暗黒面に落ちた敵対者に超高威力のダメージを与える魔法だ、が、ティオリールの怒りとは裏腹にそれは勇者に一点もダメージを与えなかった。
むしろ、俺の方にピリピリとした余波がきたくらいだ。
「僕は君を敵に思ったことはないし、騙したと思ったこともないよ、ティオリール」
勇者が聖なる存在であることを理解したのか、ティオリールは魔法を解いて、ガクリと座り込んだ。
「私は、お前を愛していたのだ。いや、お前でなくタルドリーアを……どちらを?」
いつも冷静沈着で自信満々なティオリールが、子供が駄々をこねるようにイヤイヤしていた。
タリッサが気の毒そうな顔をしている。
俺は、立ち上がりティオリールの前まで歩いていった。
「おい、ティオリール」
「……」
俺はティオリールの頬をゴリっと殴った。
うわあ、とモモチが呟く。
あれは痛い、とラウシンハイがぼそりと呟く。
「お前は誰だ」
「わ、私はティオリールだ」
「じゃあ、あれは誰だ」
勇者の方を指す。
「あれは……タルドリーア……いや、違う」
「ティオリールも、タリッサも、モモチもそうだ。他の奴らも、誰かあいつの名を呼んだことがあるのか?」
俺の言葉にみなハッとした顔になって、そして俺から目をそらした。
「ギア……?」
勇者が不思議そうな顔をした。
「こいつが紛らわしいことをしたせいもあるが、お前ら全員が、こいつのことを見ないで、別の誰かを重ねていた」
「何が言いたいのだ、ギア」
ユグが俺に聞いた。
「こいつは他の誰でもない。お前らの知る誰でもない。勇者だ。お前ら自身の目でしっかり見てみろ」
どこにでもいるような青年。
短く切った髪、中肉中背。
「……思ったより整った顔しとったんやね……」
タリッサがポツリと呟いた。
彼女の幼なじみレッカと、勇者は違う顔だろう。
それは他の仲間たちもそうだったようだ。
「……あのさ」
全員が勇者をしっかりと勇者として認識して、はじめて勇者は口を開いた。
「なんや?」
「今度、みんなでお墓参りに行こう」
「墓参り……?」
「彼らの、七人の」
「ああ、せやな。いかなあかん」
タリッサは仲間たちを見た。
志半ばで命を落とし七人の、死を、今まで悼んでこなかったから。
ユグドーラスも、フランフルートも、ラウシンハイも、ティオリールも、デルタリオスも、モモチも頷いた。
それからしばらく、彼らは話をして病室を去っていった。
「わたしたちも帰りますね。ギアさん、今夜はちゃんと休んでくださいよ」
とリヴィが言って、ドアーズの面々も帰っていった。
十数人がみっしりといた病室も、急に二人だけになってしんみりとした雰囲気が漂っている。
「なんと言うか、助かったよ」
勇者が俺に頭を下げた。
「なにがだ?」
「僕だけだと、あそこからうまい具合に持ってけなかったと思う」
どうやら人の心がないらしいからね、と勇者は言った。
「俺が口を出さんでも、時間はかかっても同じようになったんじゃないか?」
「そうかな?」
「そうさ。たとえ別の誰かと錯覚していても、あいつらがお前と冒険した日々は偽物じゃない」
「そうだね。いろんなところに行ったなあ」
「そして、いろんなところで魔王軍を蹴散らして」
「まあね。僕は強いから」
「まったく、八魔将に、四天王に、魔王を倒すなんて、無茶苦茶だぞ?」
「え?」
勇者は驚いた顔をした。
「え?」
その反応に、俺も驚きで返す。
「確かに八魔将は倒した」
騎士魔将バルドルバ。
獣魔将ゼオン。
屍魔将ユスタフ。
海魔将ガルグイユ。
竜魔将デルルカナフ。
妖鬼将ガラルディン。
虫魔将フュリファイ。
霊魔将フォルテナアウール。
「八魔将は?」
「もちろん、君たちの王たる魔王も」
約定の烈王トールズ。
「四天王は……?」
「僕らは四天王には出会わなかった」
齟齬がある。
勇者一行によって魔王様が倒された、あの時。
八魔将が倒されたあと、誰が四天王たちまで倒されたと報告したのか。
よく考えれば、勇者たちの侵攻ルートにそって八魔将は防備を固めていた。
四天王の一人、剣魔シフォスに挨拶にいったアユーシが戻ってきたあと、すぐに勇者と暗黒騎士団二番隊は遭遇し、戦闘を開始した。
時間稼ぎに特化した遅滞戦闘によって、勇者たちが四天王方面に攻撃することはできなかったはずだ。
少なくとも、剣魔とは戦ってはいない、のか?
だが、魔王様が敗れ、その魔力によって存在していた魔王城ネガパレスが崩壊したあの日の朝。
魔界へ撤退していった中に、四天王の方々はいなかった。
そして、あの朝焼けの中、残っていたのは俺一人だったはずだ。
それなら、四天王は、魔王様の最側近にして、友人であったはずの彼らはどこへ行ったのだ?




