247.勝敗、破刃と剣魔
午後の日差しが会場へ差し込んでいた。
燃え盛る真夏の陽光を防いでいた氷河鳥は戦闘の余波で消滅して久しい。
つまり、真夏の太陽ほ容赦なく戦う二人にも、観客にも降り注いでいる。
しかし、観客の誰も立ち上がって帰ろうとはしなかった。
二人の英雄による極限の戦闘を見逃すことはしない。
むしろ、観客は増えていた。
あらかじめ用意されていた座席の外に立ち見する者は増え続けていく。
リオニアスの有力者はだいたい揃っている。
ニューリオニアからは、王国騎士団の副団長であるリギルードが来ていた。
たまたま非番だった彼は、朝にその知らせを受けとると馬に飛び乗り、リオニアスまでやってきた。
戦闘開始には間に合わなかったし、席に座ることもできなかったが、彼は戦闘を見ることはできた。
そして、あんなのと戦って生きていたことに冷や汗をかいた。
去年の春のことだ。
対立していたニューリオニアとリオニアスの争いに乗じた騎士団の作戦でリギルードは、ギアと戦った。
人質をとったことは、彼の逆鱗に触れる行為だったが、そのおかげで問答無用に倒されることが無かったのは本当に幸運だったのだ、と気付いた。
去年の秋に、ニューリオニアに攻め寄せたニブラスの亡霊騎士なんかより、はるかに恐ろしい相手だ。
なにせ、人類の英雄である勇者と互角に戦っている。
「なかなかに面白き試合よ。そう思わんかね?」
隣に立つフードを目深にかぶった男が、リギルードにそう言った。
この暑さだ。
直射日光を避けて、フードをかぶるのはなんら不思議なことではない。
だが、そのフードの中で輝いている瞳だけが、その人物のただ者ではない感を漂わせていた。
「面白いもなにも、怖さしか感じません」
「あの戦いを見て、恐怖かね?」
「ええ」
「うむ。うむうむ。なかなか見所がある」
「……そうでしょうか?」
「普通のものは、あの戦いでどれだけの技術と駆け引きが詰まっているか。理解できぬ。理解する目を持たぬのだなあ」
この戦いを見に来るくらいだ。
このフードの男も、相当の強者なのだろう。
「貴殿はどう見ますか?」
フードの男は、そうさなあと呟きながら戦闘の様子を見る。
「相討ち、かのう」
「両者は互角、と?」
「お互いに相手を殺さぬように気をつかっておるようじゃしな」
「そう、なのですか?」
「剣と剣ではいつか相手を殺してしまう。だが拳と拳の殴りあいなら、不慮の事態を避ければいつまでも戦い続けられる」
戦闘大好きな人種がいることは知っている。
たとえば、うちの団長レインディアは、厳密に言うと戦闘大好きではない。
極みに至りつつある抜刀術を試すために、戦いたいのだという。
まあ、彼女を含めても、奴らは戦いで何を得るかより、戦いそのものが目的となっている。
ちょうど、目の前で戦う二人のように。
「底なしだ」
「そう。戦闘の底なし沼よのう。だが」
「だが?」
「そういう奴らに限って、剣と剣、拳と拳のぶつかり合いこそが言葉を越えた意志疎通がなせると言いおる」
「ああ」
とリギルードは思い当たることが山ほどある、とでも言うような声をもらした。
特に、団長のレインディアである。
暗黒騎士と戦った、から奴の真意がわかるとか、ドラゴンに教えを請うたとかわけのわからないことを言っていた。
「それはたまに真実なんじゃのう」
「そうなのですか」
リギルードにそんな経験はない。
戦いとはどうやって相手を打ちのめすかが全てだ。
ガンガンと考えなしに剣と剣をぶつけあってもなんにもならない、と思ってきた。
それが意志疎通の方法などとは信じられない。
「お主も間違ってはおらぬよ。言葉を介さぬ意志疎通など特異な才がなければなしえぬことよ」
「はあ」
「あるものを全て使って勝つ方が現実的よ」
「あなたは……いったい」
リギルードのことを見透かしたように語り、ギアと勇者の戦いをながめるフードの男。
しゃべり方と声から、かなりの年かさだということはわかる。
それしかわからない。
「シフォス・ガルダイア、といってもわかるまい?」
知らない名だ。
リギルードも団長にならって、周辺諸国の著名人や軍人の名を覚えているが、その中にはシフォスとかいう人物の名は入っていなかった。
「え、ええ。失礼とは思いますが」
「なに、わしも引退していたようなもの。知らずともよい」
「はあ」
シフォスと名乗った老人はフードをかぶったまま、戦闘を見続ける。
「修行をさぼっていたわけでないようじゃの、うむ。よいぞ」
時折、嬉しそうに笑う。
まるで自慢の弟子が師を越えていったことを喜んでいるかのように。
それを不思議な気分でリギルードは見ていた。
「おう、そろそろか?」
「あ?うん、そうだね」
戦いはじめてからどのくらいたったか。
お互いの体力も限界がきていた。
だから、そろそろ決着のとき。
「楽しかった」
「そうだね。しがらみも使命もない戦い。命もかけなくていい。そして全力がだせる。最高だよ」
「だが、どんなに楽しい祭りでも終わりがくる」
「今日最高の一撃を君にあげよう」
「それはこちらのセリフだ」
勇者は半身に構える。
俺も同じ構えだ。
左手左足を前に、右手右足を引く。
同じタイミングで二人は動く。
左足を踏み込み、体を前に。
踏みしめた足から膝へ、力が伝わり、各関節で回転を加えながら、力は総量を増しながら右手へ集まっていく。
「ルナノーヴ流“四崩拳”」
全身の力を一点に集め、放つルナノーヴ流の一撃必殺技。
勇者が繰り出してきたのはそれだ。
その使い手たちがそれを放つ時は、相手を倒すことを決意したときのみ。
対して俺が突き出す拳に、つけるべき技の名はない。
俺は格闘技なぞ習ったことはないからだ。
もちろん、戦場で生き残る術として身に付けてはいる。
剣の師匠、剣魔が伝授してくれた剣と格闘技を組み合わせた戦場剣術だ。
四崩拳と名もなき拳は吸い寄せられるように近付き、そして交差した。
次の瞬間、顔が爆発するような衝撃。
鎧をつけていてもこれである。
生身なら首から上が吹っ飛ぶんじゃないか?
俺の拳も勇者に打撃を与えている。
見ることはできないが、拳に伝わる感触がそれを教えてくれる。
ぐらりと視界が揺れる。
これは、倒れるやつ。
しかし、俺はなんとか踏ん張る。
なにせ、この戦いはリヴィが見ている。
彼女の前で情けない姿は見せたくない。
ゆっくりと音が戻ってくる。
ずいぶん前から、俺は勇者以外の声や音を認識していなかった。
何か騒がしい。
超集中とでもいう状態が抜けていくと、音が明瞭に聞こえてきた。
「勇者ダウン!!起き上がれない!!勝ったのは、勝ったのは、リオニアスのギア!!!!!!」
実況をしていた奴の声、か?
視界のぐらつきがおさまった俺は、下を見下ろした。
闘技場の床に大の字になって勇者が寝ていた。
ニヤニヤと笑っているから、死んだわけではないだろう。
「俺の勝ち、らしいな」
「ああ、僕の負けだ」
バクバクする鼓動を抑えるようにリギルードは闘技場を見ていた。
人類最強の英雄が敗れた。
リギルードの知る中で最強の男、ギアによって。
ふと、相討ちを予想していたシフォスにギアの勝利してことにどう思うか聞きたくなったリギルードは横を向く。
「シフォス殿、ギアが勝った……?」
横にはフードをかぶった男はいなかった。
いつの間に消えたのか。
リギルードにはわからなかった。
リオニアスの冒険者ギルドを後にした“剣魔”シフォス・ガルダイアはフードの中で笑う。
「俺の予想を越えてきたか、ギア。俺の願いが叶うときも近い」
その声は風にかきけされた。
その風が吹き抜けたあと、そこには誰もいなかった。




