242.そは仇敵にして、英雄。名も知らぬ彼は勇者
目が覚めると朝だった。
カルザック家の客間の寝台だ。
昨夜は深酒をし過ぎたようだ。
相手は……ニコか?
何か妙なことを口走ってはいなかっただろうか。
「ギアさん、起きたんですか?」
身支度を整えていたリヴィが声をかけてきた。
「おう」
「昨夜はえらくご機嫌でしたね。ニコちゃんも楽しそうで良かったです」
「あー、騒いだなら謝る」
「大丈夫でしたよ」
寝台の上で伸びをする。
飲み過ぎたとは思うが、二日酔いにはなってなかった。
あの、頭が重くて、胸焼けがする感じはあまりおすすめできない。
朝食を食べてカルザック家を出た。
ニコはこれから店に行くらしい。
ポーザは冒険者ギルドに行ってみるとのことだ。
すぐ隣の我が家に戻る。
「もう夏休みも終わりですね」
「あっという間だったな」
「本当ですよ」
「リヴィが学園に戻ったら、俺は魔界に行く」
「わたしもなにかお手伝いできたらいいんですけど」
リヴィにはわかっている。
俺が魔王になるために、魔界に戻ることを。
「ちょっと遠くなるが、会おうと思えば会える」
「会いたくなったら会いにいきますよ」
「そういえば、それができるんだものな」
俺が知るなかで唯一、空間転移魔法を使える人間がリヴィである。
その魔法は、彼女いわく限定的で俺とリヴィの間、もしくは元の位置に戻る時しか使えない、らしい。
それでも、その魔法がとんでもないものだということは変わらない。
「となると、この家どうしますかね」
「住む者がいないとちと心配だな」
リヴィは柱に手を当てる。
そこにはいくつか刻み目がある。
それはリヴィの成長の証。
彼女の伸びていく背丈を彼女の両親が刻んだものだ。
そういった思い出が、この家にはいくつもある。
売ったり、人に貸すわけにはいかないだろう。
「ニコちゃんに頼むのもなあ」
「あれはあれで忙しいからな」
悩んで、答えが出ないうちに来客があった。
困ったような顔のユグと、一人の青年だった。
「すまぬ」
と、友人であり、冒険者ギルドの長である老人は頭を下げた。
「ギアさん?ギルド長?お知り合いですか」
青年は口を開いた。
「事前に連絡を入れておけばよかったのですが、昨日帰ってきたと聞いてすぐに来てしまいまして」
背は威圧感のない程度には長身。
顔は嫌みのない程度には整っている。
うっすらと筋肉ののった体躯、その挙動にかいまみえる武の達人の動き。
よく通る低めの声。
俺はこの人物を知っていた。
「昨年の秋にニューリオニアに来てくれたらしいな。応じてくれて感謝する」
「いやいや、なんてことはないよ。それにしても、もっと不穏な展開になると思ったのだけれどね」
「まあ、立ち話もなんだ。中に入って休んでくれ。勇者」
その呼び掛けに、勇者は口許に笑みを浮かべ、ユグドーラスは苦笑し、リヴィは驚いた。
ユグドーラスは案内しただけらしく、すぐに帰った。
勇者。
魔王軍の侵攻に苦しむ大陸に現れた神の化身たる伝説の戦士の再来。
いくつかの戦いで功績をあげた彼は、ユグドーラスら仲間とともに大陸各地の魔王軍に戦いを挑み、次々に撃退した。
そして、旧ニブラス領を接収して生まれた魔王軍の領地に潜入、魔王城ネガパレスとそこに待ち構えていた魔将と四天王を倒し、ついには魔王を倒した。
魔王軍は撤退し、人間側はなんとか勝利をつかむことになる。
その立役者が勇者である。
「もう一度、君に会いたいと思っていた」
座って、出された冷たいお茶を飲みながら、勇者は言った。
「俺は正直、会いたくなかったな」
リヴィは気を使ったのか、ユグドーラスとともにギルドへ向かった。
ポーザと合流して、日帰りでできる依頼をするとのことだ。
「魔王城ネガパレス以来か。お互い健康なようでなによりだね」
「俺はたいして傷は無かったからな」
「僕の攻撃を受けて、たいした傷がない、か」
「まあ、傷を受けて戦闘不能になったら時間稼ぎもできなかったからな」
魔王城で俺と勇者は戦った。
魔将はほぼ倒され、四天王も倒されたという情報が入った中で、俺は魔王様の動く時間を稼ぐために、この勇者と戦った。
結果としては魔王様が討たれてしまったために、魔王軍は敗北してしまった。
「今日ここに来たのは、お願いがあるからなんだけど」
「その前に、お前本当に人間か?」
思わず口に出た問い。
それに勇者はフッと笑った。
「気が付いた?」
「まあな」
人間の限界は、魔界の住人と比べもののにならないほど低い。
ユグドーラスやデルタリオスといった英雄ですら、魔界の強者にはかなわないだろう。
そんな中で、勇者一人が異常に強かった。
まるで人間でないかのように。
「僕、実は人間じゃないんだよね」
さらっと真実を述べる勇者。
「ではなんなのだ?」
「次の神アルザトルスの化身」
「光の神、でなく?」
「そう。光の力はこの世界に顕現したときの余波みたいなものでね」
「だが、おかしいぞ」
「何が?」
「ユグから、お前が学者としてのユグの生徒の一人だったと聞いたことがある」
悲しげに勇者は笑った。
「それもまた勇者の一部、かな」
「まるで、お前がいくつかの勇者の集合体みたいなことを言っているように聞こえるな」
「僕は言うなれば、強い力にたくさんの希望がくっついてきた、ような存在なんだよ」
「ああん?」
言っている意味がわからない。
「ちょっと前にブランツマーク近くの遺跡で変なのと戦わなかった?」
ブランツマーク近くの遺跡。
それはおそらくザドキ大墳墓のことだろう。
変なの、とはその遺跡の奥の次元門から出てきた者である天使のことであろう。
「戦った」
「本質的にはあれと一緒だよ」
俺は勇者をよく見る。
勇者の表情はよく動き、天使どものような仮面のような微笑みは見受けられなかった。
「あれらは人間を滅ぼそうとしていた」
「僕らは次の世界に生まれるはずだったからね。壊すのは使命のような、本能のようなものだよ」
「強さから推測するに、主天使クラスか?」
「よく知ってるね。ああ、あそこにはザドキエルがいたんだっけ。あれは第四位だね」
「その口振りだと、お前はもっと上だと言うように聞こえるな」
「座天使。第三位。もちろん、主天使程度なら秒で倒せる」
「あの遺跡は封印されてたはずだぞ」
「実を言えば、次の神であるアルザトルスの世界との連結点はこの星の至るところにある。君たちは見たかな、七色の金属でできた祭壇」
「向こう側への門を制御していたやつだな」
「そう。あれが次の世界の基となる物質だよ。僕はね、送り込まれたというよりは偶然、こちらへ堕ちてしまったんだ」
「世界を滅ぼせる存在が偶然、ね」
なんともいいようがない。
「で、こちらに来た時に情報収集をしようと、付近で亡くなっていた旅の一行の野営地に足を踏み入れた」
「お前がその時、世界を滅ぼそうとしなくて良かったぜ」
「僕はどちらかというと、神を運ぶ天使だったからね。神に仕えようとする気はあっても、その世界を造ろうとか、古い世界を献上しようとかは思わなかったね」
その偶然で堕ちてきたのが、たまたま天使の本能である破壊意思を持っていなかったコイツだったのはなにかの意志なのだろうか。
「で、堕ちてきた天使がなんで勇者に?」
「結論としては、人間を知ってしまったから。これに尽きるね」
と勇者は笑った。




