240.兄さんは放っておいて年下のお姉さんになってください(混乱)
楽しかった往路と違って、帰路は陰鬱だった。
快適なアペシュの上での船旅(亀だが)、青い空、白い雲、エメラルドグリーンの海、吹き抜ける爽やかな風。
それらは何一つ変わらないのに、俺たちはどこかギクシャクとしたままだ。
だった一人、バルカーがいないだけで。
表面上は、ポーザもリヴィも笑うようになっていた。
奴がいなくなったことを気にしていない、とでも言うように。
ナギも、ホイールも、フォルトナもどこか気をつかって、奴の話題に触れないようにしている。
その、よそよそしさがなんだか嫌だ。
一人になる時間も多くなって、思い出すのは若かったころの記憶だ。
四十代の、妖鬼と激戦を繰り広げたり、士官学校に入った時の。
あの頃は、命令に従うことで精一杯で、何かを考える余裕もなかった。
魔王様に顔と名前を覚えてもらったのもそのあたりだったはずだ。
リオニアスにつくと、俺たちは静かに解散した。
ホイールとフォルトナの兄妹は、ホイールの住んでいる神官の寮へ。
ナギは、学園に入る前に住んでいた宿屋に部屋をとっているらしい。
アペシュは、ナギを見送ると海へ帰っていった。
また、呼んでくださいと言い残して。
俺とリヴィとポーザは、おそらくまだ店にいるだろうニコのもとへ向かった。
唯一の家族に、伝えないわけにはいかなかった。
ニコズキッチンの本店に行くと、昼休憩のようですぐニコは出てきてくれた。
話がある、と言うと店のなかに案内された。
夏期休暇に入った時に、リヴィとその友人と食事をした席だ。
ニコは聡い娘だから、俺たちの面子と表情で何かを察したのだろう。
「兄さんが……なにかしたんですか?」
「実はな」
と、旅行先であったことを話した。
ドラゴンの武道家であるフェイルに、武術の教えを受けんとついていったことを、だ。
字面だけみるとたいしたことのないように見えるのに、実際の喪失感はとてつもない。
ニコもショックを受けたのか、しばらく無言だった。
そして、口を開く。
「兄さんはやっぱり馬鹿だなー」
「ニコ……」
「あ、気にしないでください。私はそんなにショックじゃないです」
「?」
「兄さんがそんなに思慮深いわけじゃないのは知ってます。だから何にも考えないで決めたんだと思います。残される人たちがどれほど辛いかなんて……」
ホントに馬鹿だ、と小さくニコは呟いた。
「あ、あのさ。ボク、家出るね。バルには、そのフラれたみたいだし……」
ポーザのその言葉に、ニコはさっきより驚いたようだった。
「なに、言ってるんですか!?ポーザ義姉さんはもう私の家族ですよ。ずっといていいんです」
「でも」
「でももへちまもない!あの家で一人で過ごせるわけないじゃないですか」
「え、ええ?」
「なんなら、兄さんは放っておいて、私の姉さんになってください。お願いします」
「ごめん、ニコちゃんの言っている意味がちょっとわからない」
「俺もだ」
「わたしも」
「だって、年下のお姉さんですよ?」
「それがなに?」
「うーん。伝わらないかあ。よし、わかりました。ポーザ義姉さんが嫌じゃなきゃいていいって路線で行きます」
「ニコちゃんって、変わってる」
「感性が独特なんだよな」
「確かに、それはわたしも思ってた」
「なんか、悪口言ってる?」
「いや……とにかく、伝えたからな」
「わかりました。あ、そうだ。義姉さん、今夜のごはんは何がいいですか?久しぶりにごはん一緒ですもんね」
屈託がないのは才能かもしれない。
ニコの笑顔で、暗かったポーザにもちょっとだけ明るさが戻った。
「ボクはそうだな。ニコちゃんの冷たい麺料理がいいかな。暑いしね」
仕事をしないで避暑地に行きたいほどの暑さは、相変わらずでそのポーザの提案にニコは大きく頷いた。
「いいですね。それでいきましょう!よければ、リヴィエールちゃんとギアさんもどうですか?」
「いいの?」
「俺たちは構わんぞ」
どうせ家は隣同士だ。
それに、夕食を作るのも億劫になるくらいは疲れていた。
ニコの提案に俺たちは快く応じた。
ニコの家は涼しかった。
ポーザの呼び出した氷ウサギがそのへんを跳ね回って、冷気を振り撒いているためだ。
こういうふうに魔物を自由に使えるのは、魔物操士であるポーザの才能とアイデアだ。
「いらっしゃいませー」
ニコとポーザが一緒になって、夕食の準備をしていた。
「わたしも手伝いますね」
とリヴィも加わる。
「ギアさんは座っててください」
と言われてたので素直に応じる。
俺の椅子の場所は決まっている。
隣はリヴィだ。
向かいにはポーザがいつも座って、その左にニコ、右にはバルカーがいた。
その席は、今日は、これからは空席になる。
一人になって思う。
なんだかんだいって、俺は仲間に恵まれていた。
暗黒騎士の二番隊の部下たちはほとんど生き残っている。
本当に大切な人で亡くなってしまったと言うのは、魔王様と師匠ぐらいのものだ。
問題はどちらも、いなくなる瞬間を見ていないからか、その死の実感がないことだ。
それも含めて、いなくなるのがショックな人物にバルカーはなっていたのだな、と思う。
そんなことを考えていたら、夕食が出来上がってきた。
「今夜はええと冷麺です」
「冷たい麺?」
「北の方でとれる芋の仲間のデンプンを練り込んだ歯ごたえのある麺を、燃えるほど辛いスープでいただく冷麺です」
ニコの説明を聞きながら一口すする。
冷たい感触が口の中に入り込み、すぐあとに辛味が襲ってくる。
麺を噛めば、固いのとはまた違う弾力のある歯ごたえだ。
「これは」
「辛味が足りなかったら、この唐辛子ベースのタレでつけたピクルスもありますよ」
といいながら、ニコはどっさりピクルスをぶちこむ。
彼女のスープが真っ赤に染まった。
あれを、食うのか?
まったく止まらずにニコは麺をすすった。
「うんうん、これこれ!」
一気に麺を食すニコ。
まるで火を吐くかのごとき口内を気にも止めず、彼女は冷麺をすすった。
「ニコちゃん、大丈夫?」
「なかなかの再現度。環境的に近いからかな。ターボーンさんに頼んだかいがあった」
ぶつぶつと呟きながら、もぐもぐするニコ。
「そういや、今夜は夕食を出してもらったが、店の方はいいのか?」
ふと気になったので聞いてみた。
「大丈夫ですよ。副店長のミルドラルさんにお願いしてきましたから」
「副店長」
「ええ。マルツフェルに行った時も問題なかったんで」
「ああ、なるほど」
「もともとニューリオニアの貴族の家のお抱え料理人だった人なんで腕は極上です」
「なんか聞いたことのある話だな」
実はリオニア王国騎士団団長のレインディアの実家で料理人をしていた人物である。
ニューリオニアを訪れたギアたちに嫌がらせのような本格フルコースを提供したが、普通と言われたのにショックを受けてハインヒート家を辞した。
その後は、リオニアスでニコに料理勝負を申し込み、敗退。
ニコズキッチンに雇われ、その革新的な料理を学ぶうちに料理の楽しさを思いだし、副店長になるほど腕を上げたのだった。
ということを、ギアたちはまったく気にしなかった。




