238.妖鬼反乱軍始末
「見たか、トールズ」
魔王は久しぶりに、名を呼ばれたことに気付いた。
横に立つ剣魔シフォス・ガルダイアの申し出のままに、妖鬼反乱軍との戦いにギアを送り出した。
消耗しても問題ない百人隊を任せ、わざと指揮系統を外し、反乱軍の主力の前に置いた。
完全に餌である。
一人の実力を見るために、こうまでするか、と魔王はじいであり、仲間であり、剣の師である男の顔を見る。
シフォスの表情は凪いでおり、不安も興奮も見えない。
「見た」
となんとか答える。
見た。
見てしまった。
常道が覆るところを。
魔人と妖鬼はどちらも魔界では強者の種族だ。
どちらかというと魔法に偏りがちな魔人に比べると妖鬼は力に偏る傾向がある。
肉弾戦や両手武器を振り回すのが得意だ。
ギアの対峙した先駆け部隊はまさしく、その妖鬼の特長を集めたような集団だった。
圧倒的な武力で敵集団に亀裂を入れ、陣形を崩す部隊。
それが先駆けだ。
戦闘開始すぐに、先駆けはあっという間にギアの隊を切り崩した。
他の隊でも戦端が開かれているため、救援に向かえるところはない。
そういうふうに仕組まれた、とも言う。
隊の崩壊。
そこから魔王は信じられぬものを見た。
鬼の集団に単騎で突っ込んでいく男の姿を。
「トールズ、あれは良い手だと思わんか」
「どこが」
隊が壊滅したのなら潔く死ね、と?
「ほれ、頭を狩ったぞ」
「え?」
一人、敵集団に突撃したギアは先頭にいた敵将を倒した。
「数の多い隊なれば、あのような往生際の悪い者など放っておけばよい。だが、頭を取られればその隊は敵討ちに動くしかなくなる。この時点で、足止めの役割を十二分に成し遂げている」
「それはそうだが」
遠くから見ている二人のことを、ギアは知らないだろう。
ただひたすら前を向いて、目の前の敵へ攻撃していく。
倒した敵の武器を奪って、時にはその亡骸すら使ってギアは少しずつ敵を屠っていく。
五百が、四百に、それが三百二百と減っていく。
そのころには、敵する鬼たちの方が恐慌を起こしていた。
勝っていたはずだ。
五百で百を蹴散らして、それで終わりのはずだった。
それが、隊長をいきなり殺されて、ようわからないうちに四百が殺されてしまった。
そうなった時、一人が背を向けた。
それで隊列は崩れ、残った百人が逃走に移った。
戦場に立っていたギアは、満身創痍だった。
逃げていく鬼たちを追うこともできないほどだ。
左腕は複雑骨折。
右腕は肘の部分から先が無くなっている。
左足はボロ雑巾のようになっていて、右足だけで立っている。
右腕を失った時に巻き込まれて、右の脇腹から出血。
顔面は半分青あざ、もう半分は腫れている。
歯も何本か無くなっているし、左目から血涙が流れている。
妖鬼の陣営で動きがあった。
逃げていった先駆けの残党百人が、同族の鬼に槍で突かれ、大斧で頭をかち割られ、両手剣で両断されていく。
そして、他の鬼より一回り体格のいい妖鬼が歩を進める。
真っ白な髪をざんばらに、真っ黒な角が二本、額から生えている。
はち切れそうな巨体、それを古びた甲冑で包み、肩に担ぐのは魔鉄鋼の金棒。
この妖鬼反乱軍の首領、アクラである。
「魔人にも面白き強者がおる。それに挑むこともせず逃げかえるなどと、妖鬼の風上にも置けぬ奴らよ」
ギアに興味をひかれたアクラ。
そして、魔王軍の陣容の隙間ともいうべき場所を狙わないわけにはいかない、という戦術眼。
誘いとはわかっていても、戦果を挙げねばならない反乱軍の内情も絡んで、アクラはその場所へ兵を向けた。
反乱軍主力アクラ隊五千。
それがたった一人、ギアの守る場所へ進軍する。
「あー、まだ来んの……ふう……もうひと働きするか」
片足をひきずりながら、口に拾った蛮刀をくわえて、ギアは鬼の大軍の前に立つ。
視界一面、妖鬼。
覚悟はとうに出来している。
四百を倒したのだ。
残り千や二千、道連れだ。
その思いで、ギアが足を踏み出したとき、その前に人影が現れた。
ギアはその人物を知っていた。
魔王軍にいるなら、誰でも彼のことは知っている。
「魔王様……?」
「すまぬな。そなた一人に押し付けてしまった」
「……いえ、ここは俺の戦場です」
「いや、ここからは余の戦場だ」
敵の主力が動き出した時、魔王は思わず動き出してしまった。
シフォスには甘い、と言われるだろう。
部下が一人、死ぬだけだ。
こちらは腹心を、友人を一人犠牲にしたのだ。
だから、そんな損失など無視すればいい。
そもそも、あれはじいの、シフォスのものだ。
魔王が自ら、救うべきではない。
だがいかように理屈を並べ立てても、魔王は動き出さずにいられなかった。
「契約魔法“盤古”」
地属性の超強力な魔法が魔王の手から放たれた。
効果は戦場となった場所、全てに及び、そこにいた妖鬼反乱軍の足もとに地割れが走った。
次々に、反乱軍の妖鬼は地割れに飲み込まれていく。
大半の妖鬼が地割れに落ちていくのを確認すると、魔王は魔法の発動を停止した。
すると、広がった地割れが閉じていく。
中に落ちた妖鬼ごと。
反乱軍主力五千、戦場に展開していた妖鬼部隊二千。
計七千の妖鬼のほとんどが一気に大地の中で命を落とした。
いや、首領のアクラは類まれなる状況判断力で難を逃れている。
ただそれが本当に幸運だったかは、判断がわかれるだろう。
アクラの前には、この事態を引き起こした魔王がいる。
「これはこれは魔王様自ら、このような老いぼれ妖鬼のお相手をしていただけるとは、反乱軍を興したかいもあったというもの」
金棒を手に持ちながら、会話によって時間を稼ごうとするアクラ。
二人ともわかっている。
魔法一つでほぼ壊滅した反乱軍は、もう手がない。
だが非常に低い可能性ではあるが、目の前に現れた魔王を討てば逆転勝利だ。
アクラはそのわずかな可能性にかけて、行動していた。
「本当ならば、余自ら出ることは無かった」
「ほう。ではその異変を起こしたのはなんでしょう?」
「こいつだ」
と魔王はギアを指した。
「ああ。そうですな、気骨の塊のような男ですな」
「それには同意する」
「彼には感謝せねばなりますまい」
「なにを、だ?」
アクラは目をカッと見開いた。
「この千載一遇の好機、魔王と直接相対できるという起死回生の一手を授けてくれたことに関して、だ!」
アクラは隠し持っていた短刀を取り出し、魔王に刃を向けて吶喊した。
「そうか。そうだな」
「命はいただいたぞ、魔王!」
「だが、それくらいは考えている」
「取った!」
次の瞬間、アクラの巨体が宙を舞った。
悲しげに魔王は呟いた。
「余のもう一つの魔法“蚩尤”。これによって余は敵意を持ってきた相手をはじき返すことができる。貴様のように命を狙う相手など幾人も見てきたゆえにな」
地面に叩きつけられたアクラはその衝撃に息が止まった。
「まだ、まだだ。妖鬼の長となるべきはわしだ」
どん、という衝撃を左胸に感じてアクラは喉元にせりあがってきた熱い液体をはきだした。
真っ赤なそれは、血だ。
「たとえ、最後の一人であろうとも敵は倒す」
今にも死にそうなギアがどこからか拾ってきた槍で、アクラの心臓を一突きしたのだ。
「わしは死なぬ。わしは!」
と叫んで、アクラは血の塊を吐き出して、ゴロゴロと転がり、そして動かなくなった。
「78点、というところか」
「師匠」
ギアと魔王の前に、シフォスがやってきた。
どうやら、その点数は今回のギアの戦いぶりへの評価らしい。




