235.混乱のあとの静寂
いつの間にか、太陽は沈みかけていた。
不安な橙色の夕焼けが、あたりを包んでいく。
「ナギ。これじゃ帰れんだろう。アペシュが良ければもう一泊するぞ」
「あ、はい。そうですわね」
リヴィとポーザは砂浜に座り込んだままだ。
バルカーが、突然、行ってしまったから。
その事実を直視するには、まだ時間が足りない、から。
アペシュのロッジはそのまま使わせてもらう。
そこまでなんとか二人を歩かせて、軽く食事をとる。
二人は移動の最中も、食べている時も無言だった。
今朝まで隣にいた人の声も姿も今はない。
俺は別離の経験は、こういってはなんだが豊富だ。
こういうものだ、と平静を保っている振りはできる。
ナギもショックだろうが、それほどバルカーと長いわけではない。
ホイールもそうだし、フォルトナは話した回数も少ない。
落ち着いて過ごせる側、ということだ。
だが、幼なじみのリヴィや付き合っていたポーザにとって、それは喪失という言葉では説明できないほどの空虚だろう。
日が落ちて、焚き火だけが光源となる。
揺らめく炎が俺たちの影を後ろへ伸ばす。
「アイツが悩んでいたことは知ってた」
不意にポーザが口を開いた。
「そうだな」
「戦いのことも、生活のことも、ニコちゃんのことも。たくさん悩んでた」
「ああ」
俺もそれは知っていた。
知っていたし、お前は弱くない、俺はお前を認めているとメッセージを送っていたはずだった。
送っていた、と思っていた。
「アイツはあれでバカじゃないから、あ、ごめん、やっぱりバカだったけど、モノを考えることはちゃんと考えてた」
バルカーはバカの振りをしていた。
いや、何割かは素だったろうがな。
それはリオニアスという状況の中で培った処世術とでもいうべき素振りだ。
自分より幼いもの、弱いものが不安を抱かないようにバカをやっていたのだ。
誰よりも不安だったのは自分だったろうに。
「考えすぎた、ということか」
「うん。たぶん」
「師匠なんて呼ばせていたのにな。奴の支えに、俺はなれなかったか」
見上げた夜空にまばらに星が瞬いていた。
その並びは、俺に天啓をもたらしたりはしなかった。
「ボクなんか、彼女なのに。ボクよりも強いことを選んでさ……ボクのほうこそバカみたいだ」
「わたしなんか、バルカー君のために怒ったこともあるんですよ」
リヴィが自身の白い炎を見出したのは、バルカーが殺されたことがきっかけらしい。
「どうして、彼は強さを求めたんでしょう」
ホイールが誰に聞くでもなく呟いた。
「自分が弱いって思ってたからだよ」
ポーザが答えた。
「弱かった、ですか」
「昨夜、ちゃんと言ったんだ。弱いとか強いとかは相対的なもので、誰かと比べても意味ないって……わかったって言ってたのに……」
ポーザは顔を伏せた。
「ちょっとだけ、バルカーさんがうらやましかったりします」
炎を見つめながらフォルトナが言った。
「どういうことだい?」
兄のホイールに問われたことに嬉しそうにフォルトナは答えた。
「だって、そうでしょう?好きな人も、自分の居場所も、これまでの生活も、ぜーんぶ捨ててでも欲しいものがあるって、すごいですよね」
「確かに私もそう思いますわ。私も故郷を離れてますけど、今までを全部捨てることなんかできないですもの」
いろんな考えがある。
俺は、その色々をある意味楽しく聞いた。
心を閉ざしたポーザに、一人静かだったメリジェーヌが口を開いた。
「会いたいのなら、いつでも連れていくぞ」
ポーザは泣き腫らした目を向ける。
「あやつらの来た場所、竜世界ならわらわは連れていける」
ポーザは首を横に振った。
「ありがと。でもいい。ボク、行けないよ」
「そうか」
メリジェーヌはどこからか取り出したマグカップでお茶を飲んだ。
俺はその横に座る。
「向こうはいいのか?」
「学園のことなら問題ない……いや、問題だらけでわらわがいてもいなくても関係ないと言った方がよいかの」
「よっぽど派手に壊したらしいな」
「夏季休暇終わりまでには直すそうじゃ。それよりも、レインディアじゃ」
「あいつもいたんだっけか」
「そうじゃ。フェイルとの戦いで得物を壊されて落胆しておったぞ」
「そうか……なら、頼まれてくれるか?」
「なにをじゃ?」
「リオニアスに戻ったら、デンターに刀を一振り融通してほしいと」
「デンター……ああ、あの刀鍛冶か。よかろう。頼まれよう」
「助かる」
「ギアさん。どうして、レインディアさんにそんなに優しいんですか?」
俺のことを睨んでリヴィが言った。
その睨んだ目には、憎しみの色は見えない。
「優しい、か?」
「優しいですよ。どうして、それをバルカー君にしてあげなかったんですか」
どうして、と言ってリヴィも顔を伏せた。
彼女も俺に八つ当たりしているのを自覚しているのだろう。
どうしたらいいのか、どうすればよかったのか。
それが頭の中に渦巻いてる。
「世の人は我を何とも言わば言え、我が成す事は我のみぞ知る、という言葉があってな」
他人にどう言われても、自分がすべきことは自分だけがわかっている、という言葉だが、俺は師の“剣魔”シフォスにこれを聞いたことがあった。
北辰一刀流という剣術を収めながら、最終的に剣を頼らなかったある男の残した言葉だという。
最初聞いたときはなんのことかわからなかったが、今では好きな言葉の一つである。
「それがバルカー君に何の関係が?」
「誰が何を言っても、無駄な時があるってことさ」
「わがなすことはわれのみが知る……強い人の言葉なんですね」
「どういう男だったかは、俺も知らんのだ。ただ、その志の一端だけが残っている」
「ギアさんは慰めるのが下手です」
「自覚はある」
慰めるのがうまい奴は偉人の格言など持ち出さないだろう。
「ん……ちょっと落ち着いた。ボク、寝るね」
ポーザは立ち上がって、伸びをした。
「背、伸びたか?」
こちらが座っていたからかもしれないが、ポーザが大きく見える。
「あ、うーん、どうかな。でも、リオニアスに来てから栄養たくさん取れてるから、伸びたかも」
ようやくポーザは笑った。
作り笑いかもしれないし、空元気かもしれないが、落ち込んだまま寝ると暗闇で思考が悪い方へぐるぐるとなってしまう。
少しでも、元気になれるといいのだが。
「では、わらわも帰るとしよう」
メリジェーヌも立ち上がった。
「泊まっていかないのか?」
「わらわも仕事があるゆえな。ああそうじゃ、リヴィ。宿題は終わったか?」
ビクン、とリヴィの肩が震えた。
妙だな。
宿題のことなど一言も言ってなかったが?
「ちゃんとやります」
ぼそりとそう聞こえた。
「なればよい。では、皆また会おうぞ」
メリジェーヌは夜空へ舞い上がり、リオニアスの方へぶっ飛んでいった。
「では、私たちも寝ましょうか」
「はい。兄上」
「私も寝ますわ」
「ナギさん。一緒に寝よう」
さりげなくアペシュが距離を詰めに行く。
焚き火の側には俺とリヴィだけが残った。
「……ギアさん?」
「俺が言えば、アイツも行くのを止めたかもしれん」
「ギアさんも……?」
「あの時、ああしていたら。こうしていたら、とはよく考える」
けれど、結局のところ選ばなかった道は消えてなくなり、俺の選んだ道だけが残るのだ。
元には戻らない。
「わたしたちも寝ますか?」
「そうだな。もう遅い」
俺たちの長くて、いろいろあった日はこうして終わった。




