233.もう覚悟を決めちまったんだよ
「ギアさん……いちおう女の子ですよ?」
という呆れたリヴィの声。
「とはいうがな。相手は人の姿をしたドラゴンだ。遠慮していてはこちらがやられる」
ドラゴンは危険な相手だ。
魔法、物理攻撃、そのスケールさえも危険だ。
熾烈な戦いを制して、なんとか相手を倒すことができたとしても死に際に呪いをかけてくることもあって、死んでからも油断はできない。
砂浜がボンッと吹き飛んで、怒りに顔を歪ませたフェイルが立ち上がる。
「手を抜いてやればいい気になりやがって、いいよ。本気でやってやらぁ!」
フェイルの全身が輝く。
武道服に見えていたのは白銀の鱗だ。
角が肥大化、というよりは元のドラゴンのサイズにまで戻った。
少女の姿はそのままに、狂暴そうな本性が透けて見える。
「ドラゴンだな」
「死ねよ、魔王!」
ドラゴンの脚力に加えて、魔法による加速が地上のあらゆる生物の突進を凌駕する。
だが、あくまでそれは直線的な加速だ。
暴力的な速さより、精緻な遅さの方が、俺には恐ろしい。
それにドラゴンの突進は以前に喰らったことがある。
その時はまともに喰らったが、これは避けられる。
ドラゴンの全力を出していないのかもしれないし、俺があの時より強くなっているのかもしれない。
相手の突進のルートを読み切って、一歩だけ避ける。
すぐ横をフェイルが通り過ぎていく。
その背中を軽く押してバランスを崩す。
その勢いのまま、フェイルは再び砂浜に突っ込んだ。
「あちゃあー」
とリヴィ。
砂浜のフェイルのいるあたりから爆発。
フェイルが目を爛々と輝かせて現れる。
「もう殺す」
足をたわませて、突進体勢を取るフェイルに、白い騎士ヴェインがゆっくりと近づき、手刀でフェイルの首筋を叩いた。
気の流れを遮断され、フェイルが気絶する。
「これ以上は殺しあいになりますから」
ニコニコと笑顔でヴェインは俺を見た。
別に俺は何度突っかかられようがいなす自信はあるのだが。
「で、お前もやるのか?」
「どうしますかね。実際のところ、私が戦うまでもなく貴方の強さは把握できました。素の状態でもフェイル様をあしらえるほどは強く、二、三枚手札を隠している」
「こいつを当て馬にして、俺の力を測っていた、と?」
「最近、フェイル様は強さに自信を持ちすぎていましたからね。お灸をすえるのにちょうどよいか、と」
「お前らの力関係がわからん」
「私は聖竜騎士ヴェイン。ドラゴン最強の戦士です」
バンッ、とヴェインは抑えていた力を解き放った。
その気当たりで立ち向かう実力のない者は動けなくなる。
リヴィがなんとか立っているくらいで、他の者は腰が抜けている。
「驚いたな。デルルカナフ殿と同じくらいは強いぞ」
俺はそれを褒め言葉として言った。
竜魔将であるデルルカナフ殿と同じくらい強いというのなら、魔界でもトップクラスに強いというのと同じだ。
だが、ヴェインはその褒め言葉にカチンと来たようだ。
「私の、力が、デルルカナフに劣るとは到底思えないのだがね」
おかしいな。
デルルカナフ殿は竜族の英雄のはずで、どの竜も恐れおののき、敬愛する偉大なドラゴン、だったはずだが。
「ずいぶん、デルルカナフ殿のことを嫌っているようだな」
「それは当然でしょう。奴は人間に負けた挙げ句、竜の誇りたる名前をその人間に譲ったというのですから」
そのエピソードは聞いたことがあった。
デルルカナフ殿は、ある時勇者一行と戦うことになり、その中の戦士と激戦を繰り広げた。
竜魔将と戦士の戦いは最終的に戦士の勝利となり、その強さを称えてデルルカナフ殿はその名の一部を戦士に与えたという。
その戦士タリオスは、やがて“黒土”デルタリオスと呼ばれることになる。
名前関連のエピソードは、種族ごとに違うがだいたい誇りとか言霊的なことに関連することが多い。
デルルカナフ殿とデルタリオスも、本人たちは満足しているが竜族にとって屈辱的な事件となっているのだろう。
「立場はフェイル様の方が上。実力は私が上、といったところですか」
「俺はよ。魔王になりたくてなるわけじゃねえんだ。勇者たちに負けて、魔界が混乱して、その結果として魔王に担ぎ上げられているだけだ」
「なら、大人しく弱い魔王のままでいればよいものを」
「ただな。もう覚悟を決めちまったんだよ」
リヴィが楽しく笑える世界を。
俺は“霜踏”でヴェインに接近する。
そして、殴る。
ヴェインの端正な顔が歪み、砕ける。
「ぶべっ!?」
と情けない声をあげてヴェインは砂浜に転がった。
「どいつもこいつも勝手なんだよな。ただ、俺はその勝手な思いを継いだり、託されたりしてしまった。だから俺はやらねばならん」
「き、貴様は」
わなわなとヴェインは震えた。
生まれて初めて、竜族以外から恐怖を感じているのだろう。
それもいい経験になる、かもしれない。
「帰ってお前らの長老に伝えろ。俺は勝手にやらせてもらう。嫌ならかかってこい、とな」
本気の言葉に、ヴェインは言葉で返すことができなかった。
そのタイミングで空から、俺のよく知る声が降ってきた。
「くっくっく、貴様らの負けぞ。フェイルが力で負け、ヴェインが気迫で負けたゆえにな」
リオニアスの学園にいるはずのメリジェーヌがゆっくりと空から降りてきた。
「なんだ?仕事はいいのか?」
バカンスに誘ったのに仕事がある、と断った彼女がやってきて、俺は少しばかり混乱している。
「うむ。実はのう、こやつらここに来る前にリオニアスの魔導学園にやってきたのじゃ」
なんでも、学園の施設を破壊し、たまたまそこにいたレインディアを打ちのめして、行ってしまったらしい。
それをメリジェーヌは追ってきたのだという。
「レインディアか」
「あの娘はなかなかやるのう。ドラゴンの拳になんとか届くくらいの剣の速さを持っておった」
「修行を欠かしていないようで何よりだ」
あのリオニア騎士団の団長と最後に会ったのはいつだったか。
国王に会いにニューリオニアに行った時か?
「しかし、リーダー殿はますます強くなっておるのう」
「そんなことはない。たまたまだ」
「たまたまで、竜族の実力者を次々に倒されては古竜殿も困るであろうな」
「そういえば、竜族の追手が来るとか言ってたのはこいつらのことか?」
メリジェーヌの手下であったゴウエンを倒した者を調べに来るとか言っていたような。
「そのようじゃの。持っている手札の二番目くらいに強い札を出してくるくらいにはお主を警戒しておるようじゃ」
竜族の長老である古竜。
その目が俺に向いている。
はるか遠くにいるはずなのに、怖い。
そうこうしていると、昏倒していたフェイルが目を覚ました。
「むう。私はいったい何を?」
「フェイル様。目を覚まされましたか、こやつがやりました」
とヴェインはしれっと俺を指した。
さりげなく事実をねじ曲げて捏造する力はさすがである。
確かにフェイルをボコボコにはしたが、気絶させたのはヴェインだ。
「ふう。私らの負けか」
さっぱりした顔でフェイルは言った。
「負けてホッとしたか」
「うん。そうだな。ホッとした」
年齢相応の笑顔でフェイルは俺に笑った。
竜族の中では若い娘である。
いろいろ無理していたというのはあるだろう。
おもいっきり戦って、その鬱憤が解消された、のでさっぱりした、ようだ。
こっちは友人を傷つけられて、休暇を邪魔されているのだが、なんだか気が抜けてしまった。
「魔王殿、色々と不躾なことをした。許してほしい」
急にフェイルが殊勝なことを言い出す。
「なんだ、いきなり」
「我々は全権を委任されている。竜族は再び、魔王軍に種族全体で協力することを誓おう」
「いらん」
「そうかそうか。頼もしき竜族の助力を得られて魔王殿も感謝感激雨あられといったところ……え?いらないって言った?」
俺はフェイルに頷いた。




