229.バカンス、そしてバカンス
アペシュが目的地についたのは、出発してから二日目のことだ。
もともとアペシュの背中の島でバカンスをしよう、くらいの旅行だったのだが、折角だから海のきれいな島に行こうということになった。
ギリア近海の名も無き島。
主要航路から外れているため、大陸の国々からは存在も知られていないらしい。
島自体も白い砂浜にわずかばかりの陸地がくっついているような形なので泳いだりはできるが、島で暮らすのは不可能だ。
今回は、その島にアペシュが隣接することで、食料、真水、宿泊場所を確保できる。
上陸した俺たちは、白い砂浜とその向こうに広がるエメラルドグリーンの海にしばらくの間言葉をなくした。
透き通るような海が水平線まで続いている。
「わたしたちの見たことのないものなんて、たくさんあるんですね」
リヴィの呟きに頷く。
魔界の赤い海も哀愁をさそう海だが、この青い海は神秘性すら感じられる。
昨年、ギリアでも海を見たが、あれはあれで良い景色だった。
だが、この景色はそれを超えているかもしれない。
「悔しいですけど、ギリアよりキレイですわ」
ギリア出身のナギが言うくらいなのだから、そうなのだろう。
いつまでも眺めていたかったが、着いた時間も遅かったため、日が暮れようとしている。
西の海にゆっくりと太陽が沈んでいくのが見える。
日の入りとともに、海も空も赤く、そして橙に染まっていく。
眩しさは上天にある時よりも抑えられ、その輪郭がわかる。
色づいた空は、やがて紫色に変わっていき、ゆっくりと闇色の夜が空を支配していく。
それは毎日起こっている夕暮れの一幕に過ぎないのかもしれない。
けれど、今日ここで見たことはある種特別なことだ。
俺は忘れないだろう。
仲間たちとともに見たこの夕焼けを。
さて、問題はここからだ。
今日の食事当番は男子である。
朝食は女子が作ってくれたし、昼食はアペシュの木の実とフルーツでまかなった。
だが、夕食は作らねばなるまい。
昨夜のカレーで大幅に上がっているハードルをなんとか超えなくてはリーダーとしての沽券にかかわる。
「料理に関してのスキルを確認したい。バルカーは何かできるか?」
バルカーは力強く親指をあげた。
何の意思表示なのか。
「俺の料理の才能はみんな、ニコに行ったぜ」
それはあまりにもはっきりと、そして納得できる理由だった。
バルカーは、料理をしない、できない。
なぜなら、料理に関して天才的な知識と技術をすべてニコが持っているからだ。
無理に作らなくても、妹が毎日美味しい料理を作ってくれるのだ。
それで料理スキルが上がることはあり得ない。
ホイールの方を見る。
「サンラスヴェーティアの修行の時は、清貧が基本でした。パン、豆のスープ、そういえば、たまに玉子の茹でたものが出ましたね。塩をかけて食べると美味しかったのを覚えています」
「そうか……」
もうはっきりとホイールにも料理スキルが無いことがはっきりした。
となると、俺の知識の中から上手いものを作り出さねばならない。
戦場食や籠城戦の備蓄食料についてなら、なんとかなるのだが。
ちなみにアペシュに聞いたところ(彼も男子だ。一応)、丸呑みという答えが返ってきた。
「そういや、冒険の旅の途中で野営するとさ。そのへんの川から捕ってきた川魚を焼いて塩で味付けしただけのが美味しかったりするんだよな」
と、バルカー。
「確かにな。内臓だけとって、塩塗り込んで串焼きで焼くだけなのにな」
話を聞いていたホイールが何かを閃いたような顔をした。
「それですよ。それにしましょう!」
「あん?」
「海鮮網焼きです」
ホイールが口にした単語を俺は知らなかった。
そして、夕食時。
焚き火に簡易な炉を作り、網を敷いただけの焼き台が作られていた。
網の上では、殻のまま焼かれた貝がじゅーじゅーと音をたてる。
炉の中では串に刺した魚が焼かれていて、焼き上がるたびに配る。
「美味しいですね、ギアさん」
「だろ。これぞ冒険者って感じだよな」
焼き魚を頬張りながら、リヴィが隣に座る。
「網焼きとは考えましたね」
「料理スキルの無い俺たちがまともな食事を作れるはずないからな。少しでも楽しようと思ってな」
「自分で焼いたものを食べるのもいいですよね」
俺たちがやったのは下ごしらえだけだ。
調理は網焼きと串焼きであり、それはみんなで楽しみながらやる。
楽しい食事になってよかった。
と胸を撫で下ろす。
「わたし、もっと貝とか魚取ってきますね」
「俺の分も頼む」
そんな風に今夜も過ぎていった。
たくさん食べて、たくさん寝る。
それだけが楽しくて、贅沢なものに感じる。
朝が来た。
快晴で、暑い。
そして、起きてきて準備のすんだ全員に向けてリヴィが宣言した。
「皆さん、海であそびましょう!」
若者を中心に(俺以外)歓声があがる。
既に全員が水着を着ている。
夏の旅の醍醐味である海。
今回の旅行の目玉であるため、みんな楽しみにしていた。
そして、目の前に広がるエメラルドグリーンの海。
みんな、海へ突撃していった。
リヴィとナギが波打ち際で水をかけあっている。
海のそばのギリア出身のナギが波にのって、水をうまくかけている。
リヴィも避けながら、ナギの頭から水をかける。
なんか知らないが、二人とも本気になっている。
本気と言えばホイールである。
波をきりながら沖まで泳いでいく。
「兄さま、待ってください!」
と猛追するのはフォルトナである。
地下湖では泳いだことはありますよ、というホイールは初めての海で泳ぐのを楽しみにしていたらしい。
静かな湖と波のある海では泳ぐ感覚が違うだろうから、少し心配になる。
まあ、兄妹二人仲良く泳いでいるようでよかった。
砂浜に目を戻すと、バルカーとポーザが遊んでいる。
二人で砂の城を作っている。
なんだか微笑ましい。
「隊長は、泳がないんですか?」
傘の下で海を見ている俺に、アペシュ(幼体)が話しかけてきた。
本体の大亀はこの島にくっついて休んでいる。
「お前も知っているだろうが、魔界の海は泳ぐものではないだろ?」
「ああ、なるほど」
魔界の海は赤い。
ぬらぬらとした真っ赤な水が波打つ、それが魔界の海だ。
二つの海の違いは世界の違い、なのかもしれないが水という物質にそれほど違いはあるのか、という疑問から一度アペシュに聞いてみた。
答えは、よくわからないですけど魔界の方が栄養豊富だった気がします、だった。
続けてアペシュは、魔力の無い生物はその海では生きられないらしいです、とも言った。
赤い海は透明度も低いし、泳ぐものではないし、普通の魚もいない、のでどうも俺は海に入る気がしないのだった。
「色とか違うのはわかっているがな」
「人間界の海は見た目通りキレイですよ」
それは知っている。
海に落ちたこともあるし、流されたこともある。
「でもなあ」
「隊長もふんぎりがつかない人ですねー」
「ギアさんとアペシュちゃんも海に入りましょう!」
リヴィがやってきて、俺とアペシュを誘う。
アペシュは、はーい、と答えて海に走っていった。
ずぶ濡れのナギへ突撃して、二人で海に転がっていく。
「元気だな」
「楽しそうですよね」
リヴィもナギに水をかけられたせいか、髪も濡れている。
いつものリヴィと違って、どこかなまめかしくて俺はドキッとした。
「髪、拭くか?」
「まだ、いいです。先にギアさんを濡らさなければなりません」
「なんでそんな力強く言うんだ?」
「いいから、行きましょう」
リヴィは俺の腕を掴んで引っ張る。
逆らうのもあれなので、俺は引っ張られるまま海に足を踏み入れる。
ちゃぷん、と水音。
冷たい感触。
「冷たいな」
「すぐ慣れますよ」
寄せては返す波に足を取られそうになる。
「波が」
「ギアさん、こっちを」
俺を呼ぶリヴィの声にそちらを見る。
その俺の顔に思い切り水がぶちまけられた。
「……」
「引っ掛かりましたね」
「リヴィ……やったな」
俺もリヴィに水をかける。
「冷たいですよ」
「すぐ慣れる」
リヴィも反撃してくる。
俺も、水をかけたりかけられたりする中で、なんだか楽しくなってきた。




