225.ただただ月がきれいだった夜
「おう、起きたか」
隣に座っていたギアが声をかけてくる。
そこで、イラロッジは自分が倒れていることに気付いた。
「何が、あった?」
まったく訳がわからない。
対峙していた。
五感を奪われた。
無効化したら、倒れていた。
「答えは電撃魔法だ」
「私の、か?」
「“暗黒”で消したのは五感だけじゃない。魔法のコントロールもだ」
「あ?」
訳がわからないまま、わからないことが増えていく。
「“暗黒”は精神に作用する。その結果、発動中の魔法のコントロールを失わせることができる」
「そんな簡単に?」
「簡単にはいかん。なので俺は暗黒騎士なら必ずすることを利用することにした」
「必ずすること……?」
なんだ、私は何をした?
「低位魔法は気合いで吹き飛ばす、だろ?」
「!?」
それは確かに、暗黒騎士が経験的に知っていることだ。
低位の簡単な魔法は、無駄な魔力を使わず気合いで突破する。
その時、何が起こるか。
イラロッジの起こした気合いは、失われかけていた電撃魔法のコントロールを完全に失わせたのだ。
気合いは魔法による効果を力ずくで消し飛ばす。
普段なら、電撃魔法まで消し飛ばすことはない。
しかし、暗黒によってコントロールを失いかけていた現状では電撃魔法は気合いで完全に解き放たれてしまった。
その結果、電撃魔法は最も近くにいた人物に襲いかかった。
イラロッジに。
暗黒によって五感を奪われていたイラロッジは、瞬間的に麻痺し、倒れた。
「己の魔法にやられたのか……」
「次はどうする?」
「次?」
「俺とお前の戦いだ。次のルールを決めよう。魔法は使うか?剣だけの勝負にするか?」
楽しそうに、子供が遊びを楽しむようにギアは言った。
イラロッジは体を起こし、ギアを見た。
なんだか、この隊長についていたくなっている自分に気付いた。
とりあえずもう一戦してみよう、とイラロッジは思った。
「剣だけの勝負にしよう」
「うし」
の痺れが抜けたイラロッジは立ち上がり、剣を構える。
それからギアとイラロッジの戦いとはいえない、子供がしまいて遊戯にも似た闘いは夜明けまで続いたのだった。
翌日から、二番隊の訓練にイラロッジも参加するようになった。
年若い新入りの騎士たちに的確な指導をするイラロッジはやがて二番隊の副隊長になることになる。
「イラロッジさんって、ギアさんのことを尊敬しているみたいですけど、最初はそうだったんですね」
アペシュの背中で潮風をあびながら、リヴィは言った。
「暗黒騎士として、純血の魔人としてのプライドがあったんだろうな」
「ギアさんの隊の人たちってみんな混血でしたっけ?」
「イラロッジとスツィイルソン以外は、そうだな」
白黒の年齢不詳の暗黒騎士スツィイルソンのことをリヴィは思い出した。
ギアの配下の人物でも謎多き男である。
「スツィイルソンさんはどうやって仲間になったんです?」
あまりに癖が強そうな彼が暗黒騎士の枠組みの中でちゃんとできたとは思えない。
「あいつはなあ……」
ギアの口調が鈍る。
「問題児だった、とか?」
「そういうのではないんだがな。……あいつは適性検査で入団してきたんだ」
「それって、元団長のゼルマンさんの提案でしたよね?」
イラロッジとの交流を深めるために相談しに行ったときにぜルマンから提案されたことだ。
そもそも、暗黒騎士の二番隊は正暗黒騎士が少ない上に所属団員も少ない。
これは団長とバルドルバ、そして俺しか知らないことだが、一番隊は前身の暗黒騎士団の人数をほぼ維持している。
バルドルバは、俺が知っていたということを知らない。
だが、ちょっと内部の人員のことを知っていたら気付くだろう。
バルドルバは暗黒騎士を独占し、己に都合のいい騎士団を造ろうとした。
そういうところが、他の魔将たちに一段低く見られている原因だったのだろう。
おかげで二番隊は人員不足、練度不足、連携不足だった。
その解消のために、適性検査を行うことにしたのだった。
たくさんの応募者の中で、一人異彩を放つ人物がいた。
それがスツィイルソンだった。
他の参加者がドン引きするほど大量の魔力を垂れ流している。
髪が白と黒で、年齢不詳の顔をしていて、あらゆることに興味ない様子だ。
そういうのが、検査でバンバン高得点とっていくのでみんなのやる気が削がれているのがわかった。
「私が止めてきますか?」
イラロッジが具申する。
参加者のやる気がなくなって実力をちゃんと見ることができないと困る。
それを考慮して、あの白黒を止めてこようというわけだ。
「いや、俺がやろう」
俺は剣を手に、歩き出した。
「無茶はしないでくださいよ」
という副隊長の言葉を背に受けて歩く。
近づくと、こちらを視認したスツィイルソンはスウッと目を細めた。
「あなたが隊長さんかな?」
「だったらどうする?」
「俺様の剣の錆になれ」
スツィイルソンの姿が掻き消えた。
あまりにも早く動いたために視界に映らない。
苛烈な攻撃が次の瞬間、直撃した。
「それで、どうなったんですか?」
リヴィが興味津々の顔で聞いてくる。
「なんか途中で、何かを悟ったらしくてな。俺に服従すると言ってきた」
「やはりギアさんの威光にひれ伏したんですね」
「いや、違うだろ」
「そのまま仲間に?」
「実力は申し分無かったしな」
本人が服従すると言ってきたので適性検査は終わり、警戒はするが人材不足の二番隊に彼が入ることになった。
彼が有名人だということは、魔人族なら知っていて当然だった。
それも高位の貴族なら特に。
様々な引き抜き、勧誘があったらしいがスツィイルソンは一切取り合わなかったようだ。
それは、逆に彼が仕えるギアという暗黒騎士が興味を示される一因となった。
二番隊はその後も、剣魔の弟子であるアユーシ、カレザノフなどの混血ながら強力な新人が加入し、実力は一番隊にも引けを取らないものとなっていった。
そのころには、二番隊隊長のギアの力量は魔王軍の幹部にも認められ、軍団長、魔将身分でも無いにもかかわらず、魔王と直接会話ができる御前会議への出席も許可されるようになっていた。
「魔王というのはどういう人だったんですか?」
リヴィにとってその質問をするのは勇気のいるものだった。
想い人の心の中に今でも大きなウェイトを占める人物についての問いだ。
と同時に、大きな意味で彼女の両親の仇でもある存在だ。
「……魔王トールズ。“約定の烈王”トールズ。それが魔界の統治者、覇王であり、その威を人間界まで広めようとした男の名だ」
「トールズ……」
「前の魔王の死後、魔界は十七種族の継承者が種族を率いて戦う大乱の時代となった」
「ウラジュニシカさんのような、ですか?」
「ああ」
とギアは頷いた。
ギアとリヴィと彼の三人で魔界を訪れたことを、リヴィは忘れない。
彼もまた、魔王の継承者たる力を持つ猛者だった。
「その大乱を制して魔王となったのが」
「魔王様だ。……俺が、俺としてここにいるのは魔王様のおかげだ」
「何が……あったんですか?」
「俺が、両親の思惑はあったにしても奴隷として生まれ育ち、やがて魔王軍の少年兵になったのは知っているだろ」
リヴィは頷く。
彼の故郷である魔界サラマンディア領を訪ねてから半年ほどしかたっていない。
「師匠である剣魔シフォス・ガルダイアに剣を習っていても、俺はまだ自分が何者でもない、と思っていた。その日の餓えずに済み、屋根のあるところで眠れて、生き残る生活を、それ以上を望まない暮らしを続けていた」
そんな時、俺は魔王様に出会った。
と遠く海の果てを見ながらギアは言った。




