224.月がきれいな夜
「暗黒騎士ギアか。ふっふっふ。おおかたイラロッジが言うことを聞かないので、シフォスに頼み込んだというところだろう?」
元、暗黒騎士団団長であるゼルマンは、今は四天王の一人として知られている。
俺も暗黒騎士として、彼の部下だった時期がある。
まさか、名前を覚えていてもらえていたとは思わなかったが。
彼の居城があるルボレルク領は魔王軍本営に程近い場所にあるため、俺もすぐに訪れることができた。
驚くべきことに、暗黒騎士団長を退いた後すぐに直轄兵団であるゼルマン軍団を編成し、訓練していた。
それを見ながら訪れた俺は、その練度に驚くことになる。
後にそのゼルマン軍団は突如消えてしまうことになるが、それは別の話である。
「概ね、その通りです」
「あれも頑固な奴だ」
「イラロッジ殿は強いのですか?」
ふと気になったことを聞いてみる。
「気になるのならば己で剣を交えてみればよい。シフォスもそう言うてたであろう?」
言葉を放つたびに、ゼルマンは激烈な気を発してくる。
師匠の剣魔が一挙手一投足に斬撃を繰り出すような男なら、このゼルマンは一言一句に刺突を放ってくるような男だった。
隠居した老爺のような風貌に騙されるとあっという間に殺される。
彼の異名である屍天血海が、その戦いの果ての光景から名付けられたものである、と忘れてはならないのだ。
「ご助言感謝いたします」
剣気を跳ね返しながら、俺はゼルマンに礼を言った。
なんのことはない、わからないのならわかるまで付き合うしかないのだ。
一番隊には入れず、二番隊には居場所がない。
そんな思いからふらふらとさ迷うイラロッジ。
その夜も、二番隊の訓練に参加せずに本営近くの河原にやってきていた。
本営の堀から分かれた名も無き河だ。
ゆったりと流れる水は、剣に通じる気がしてイラロッジは好きだった。
ゆえに、いつもと違う感覚にすぐに気付いた。
「夜討ちですか、隊長」
暗黒騎士は魔法の鎧が支給されているため、普段は制服で過ごしている。
それはすなわち、戦う態勢にないと見るか。
逆に、常に戦う態勢でいると見るか。
イラロッジも、新隊長も後者だ。
「いや、ナイトパーティに誘おうと思ってな」
訳のわからないことを言う。
この新隊長のギアという男のことを、イラロッジはよく知らない。
暗黒騎士になったのも最近だ。
そもそも、混血の魔人が騎士になれるのもおかしいとすら思っていた。
しかし、ギアは騎士になった。
ならばそれは圧倒的な実力を持つか、大きなコネがあるか、どちらかだ。
軽く調べただけで、ギアは四天王の剣魔の弟子であり、とある大貴族の私生児であるという。
コネで騎士になって、コネで隊長になる。
それは、イラロッジが抱く騎士のありかたとは違う。
気持ち悪い、と思う。
まだバルドルバの方がマシだ。
口だけのおべっか野郎だが、ちゃんと騎士としての最低レベルの実力はある。
副団長というには力不足だろうとは思ってはいたが。
「私が気に入らないから粛清するというわけですか」
「いや、剣と剣のぶつかりあいが言葉よりもわかりあう、という説が好みでな」
そのセリフはちょっと意外だった。
こんな脳筋みたいなセリフをはくとは思わなかった。
「私はこれでも“雷震”と呼ばれた剣士。電撃のように貴方を斬ります」
「楽しみだ」
するり、とギアは剣を抜く。
かなり濃度の高い魔力が蓄積された魔鉄鋼の剣だ。
黒い刀身はどれほどの魔力が詰まっているのか。
これは、もしかしたら見立てが間違っていたか、とイラロッジは剣を抜きながら思った。
イラロッジは純血の魔人特有の膨大な魔力を他の魔人のように強力な魔法として使うのではなく、電撃に変換し、身体駆動と攻撃力強化に使っている。
それはまるで本当の稲妻のようだ、というゼルマンの言葉から“雷震”という異名が生まれた。
剣を抜くだけでイラロッジはスイッチが切り替わる。
やりたいのならやってやる。
稲妻のごとく斬りかかり、一刀両断せんとしたイラロッジの剣は、しかしギアによって止められた。
「!?」
「軽い剣だ」
ギアはイラロッジの剣を弾くと普通の速度の斬撃を放つ。
こちらの剣が軽いと言ったわりには、鈍い剣だ。
イラロッジはそれを余裕で回避し、次の剣を放とうとした。
その目の前に、黒い何かが現れた。
ギアの剣!?
行く手を遮るそれは、まるで置いていたかのようなギアの攻撃だった。
さっきののろのろとしたように見えた攻撃は、イラロッジの回避する場所を予測して、そこに届くように振られたものだったのだ。
イラロッジは驚きつつも、次の剣を振るうために距離をとるが、そこにギアが詰めてくる。
さっきの鈍い攻撃が嘘のような早さの突き、虚をつかれた形のイラロッジは思わず大きく退く。
だが、ギアはまたも距離を詰めてくる。
「く!」
「電撃の剣術がどれほどのものかわからなかったのでな。研究はしていた」
振られたギアの剣を受け止めるが、その重さに驚愕する。
ドラゴンの拳に殴られたかのような衝撃。
イラロッジはふわりと浮き、次の瞬間に吹き飛ばされていた。
だが、彼もまた誉れある暗黒騎士である空中で態勢を立て直し、隙をさらすことなく着地する。
「研究、だと?」
「おうよ」
静かに、よどみなくギアはまっすぐイラロッジの方に歩いてくる。
相手が攻撃の態勢に入る前に、イラロッジは電撃の脚力で間合いを詰める。
電撃剣と漆黒の剣が激突し、しのぎを削る。
「この剣のどこにつけいると!」
「電撃は通常の魔人を超えた機動力と攻撃力を与えることはわかっていた。“暗黒鎧”の強化能力を使わずにそこまでの強さを得ることができるのは脅威だ」
ギリギリと剣同士がぶつかりあう。
「わかっているじゃないか!」
「ならば対応は二つだ。一つは機動力を潰すこと。爆発的な移動を封じるために超接近戦を仕掛けることだ」
それは確かにそうだろう。
瞬間的に間合いを詰められるとなると、距離をとって戦うことができなくなる。
詰められるのを前提に、接近戦をする、しかない。
「だが、そのための攻撃力だ!」
イラロッジもそれは理解している。
だからこそ、攻撃力も強化している。
相手の防御を突破しうる一撃必殺の剣をイラロッジは持っている。
「わかってるさ。思ったよりは耐えられるが、お前の攻撃力は高い」
「思ったより?」
「暗黒」
イラロッジの五感が消えた。
視界はもとより、血と鉄の臭いも、剣撃の音も、剣を持つ手の感覚も、口の中の興奮の味も、消えた。
魔法を使われたことはすぐにわかった。
五感を消失させる魔法は弱い魔法だともわかった。
業火で燃やし尽くすとか、凍結させるとか、暴風で吹き飛ばすとかいう魔法は対抗することは困難だ。
しかし、こんな低位の妨害魔法などは暗黒騎士なら気合いで無効化できる。
気合いを入れて、“暗黒”を無効化したイラロッジはいくつかの戦局予想ができていた。
例えば、ギアが死角に移動して不意打ちをしようとしている。
もしくはもう攻撃態勢に入って斬りかかっている最中、とか。
五感を取り戻したイラロッジが見たのは、その予想とはまったく違う光景だった。
「月?」
見えたのは夜空に輝く月だった。
そして、五感を取り戻したにも関わらず動けなかった。
痺れのようなものが手足を縛り付けているような感覚にイラロッジは不快感を覚えた。




