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219.料理人ニコが行く その3

 マルツフェルに帰還した俺たちは、タリッサに招待されて夕食に招かれることになった。

 なんでも、父親に誘われたが一対一での食事は気が重い、とのことだった。


 宿にはニコはいなかった。

 どうやら、例の商人との会合に出かけたらしい。


 夕暮れの商業都市は、フェルリア湖の照り返しを受けてゆらゆらと橙色に輝いている。

 店を開店し始めた酒場、食堂の灯り、道行く人々のランタンが薄暗い路地を灯していく。

 路地を横目に中心部への大通りを俺たちは歩いていく。

 目指すメルキドーレ商会は、中心からやや外れた場所にあった。

 とは言っても、タリッサの父親はマルツフェルでも有数の商人であるらしい。

 英雄の娘を持つ大商人というのはどうなのだろう。


「さあ入ってや」


 今日の営業は終了したらしく客はいなかったが、従業員が忙しそうに掃除をしたり、帳簿をつけている。

 閉店してからも商人とは忙しいものなのだなあ、と俺は感心した。


「お嬢様、お帰りなさいませ」


 という声があちこちからあがる。


「本当にお嬢様なんだな」


「やめてえな」


 タリッサはちょっとだけ恥ずかしそうで、ちょっとだけ誇らしげだった。


 案内されて、商会のあるじであるターボーン・メルキドーレはちょっと気弱そうな男性だった。


「娘が世話になっているようで」


「いえ、こちらの方が世話になっています。今日は押しかけてしまい、失礼をしております」


「なんでも、一級冒険者だとか?」


「ええ、一応」


「ぜひ、冒険譚を聞かせていただきたい」


 ダイニングルームというか、いわゆる貴族風の会食室がメルキドーレ家には備わっていた。

 貴族を招いて食事をすることも、商人には多いのだろう。

 俺たちも席に着き、ターボーンと話をする。


 ただ、その会話はどこかぎこちない。

 俺とターボーン、俺とタリッサの会話は弾む。

 だが、ターボーンとタリッサの間にはあまり会話は無かった。

 父親との会話、がどういうものなのか俺にはわからない。


 俺と父親の関係は、彼の本音はどうであれ、奴隷と主人だった。

 バルカーも四年前に父を亡くしている。

 ポーザも詳しくは語らないが、若くして冒険者をやってるくらいだ親との縁は薄いのだろう。

 ホイールも、神官という役柄ゆえか、家族の話はあまりしない。

 いや、妹の話はよくするな。


 というような背景を持つ俺ですら、タリッサとターボーンの関係はちょっともやもやする。


 そうこうしているうちに食前酒が出てきた。

 透明なガラスの杯に、白い飲み物。

 飲み物も気になるが、このガラスの杯もかなりのシロモノだ。

 ガラス自体は昔からあるものだが、混じりもののない透明なガラスの製法は秘匿され、一般には出回らない。

 そのため、希少性と価格が上昇しており、持っているだけでステータス、らしい。

 と以前、リオニア王国騎士団のレインディアから聞いたことがある。

 それを惜しげもなく出してくるとは、ターボーンもなかなか豪気な御仁である。

 と思ったのだが、ターボーン本人の顔色が変わっている。

 え、なんでこれ使ってるの?

 みたいな顔だ。

 どうやら、彼も知らされていなかったらしい。

 ちょっと気になるな。


「失礼だが、今夜の食事会はどういう趣向なんだ?」


「何の話や?」


「さすが一級冒険者というところですかな」


「だから何の話やねん」


「今夜の食事会には、私の商会と取引をしたいという人物のテストを兼ねている」


「おとん!ウチの友人を商売に巻き込むなっていうたやんか!」


「私と娘が出席していればいいのだが、食べる人数が多い方が判定はより正確になるだろう、と思ってな」


「美味いものが食べられるなら俺たちは構わんが、判定とやらは?」


「うむ。私や君たちに供す食事は美味くて当たり前だ。それ以上の何かがあるのなら合格というところだろう。もちろん、君たちは食事を楽しんでくれればそれでいい」


「ふうむ。まあ、いいが」


 もしも仮に、俺たちに毒を盛るつもりだとしても(毒を盛るメリットはあるとは思えないが)そもそも俺には効かんし(完全毒耐性)、ホイールなら解毒できる。


「すまない。では気を取り直して乾杯と行こうではないか」


 白い食前酒の杯を掲げ乾杯する。

 口に含めば、甘みと酸味の調和した液体が喉に流れ込んでいく。

 しゅわしゅわとした喉ごしは炭酸だろうか。


「なんやろ?草原の遊牧民の乳酒みたいやけど」


「乳酒の炭酸割りらしい」


 続けて出されたのは前菜だ。

 トマーの身をスライスしたものとチーズを交互に挟んだものだ。

 見た目は美しい。

 そして、味も素晴らしい。

 爽やかなトマーの酸味とチーズの豊潤な酸味、二つの異なる酸味が調和して口の中でとろけていく。


「イルディシュの港町のサラダに似ている」


「だが、あそこのサラダはオイルをどばどばとかけるだろう。あのしつこさは閉口するが、これはすっきりとしている」


「おとん、よおイルディシュのこと知ってたなあ」


「昔、商売で訪れたことがある」


 気付けば、タリッサとターボーンは会話をしていた。

 ごくごく自然に、だ。


 それが試験を受けている商人とやらの狙い、なのか?

 取引にそれがどう関係しているのか。


 次に出てきたのは暖かく良い香りのスープだった。

 白い見た目は動物の乳のようだが、口に含めば乳の風味だけでなく肉や野菜のエキスが感じられる。


「乳のスープやね」


「芋や玉蜀黍をすったものを乳で溶いたスープはよく宮廷料理で出てくる」


「へえ、そうなんやあ」


 親子の溝が少しずつ埋まり始めるのがわかる。


 しかし。


 次に出てきた料理に、にこやかだったターボーンの顔色が変わる。

 驚き、恐怖、困惑、そして怒り。


「どういうことだ」


「おとん、どうしたん……?……これは!」


「どうした、タリッサ。まさか」


 毒か?

 ターボーンの異変に俺は最悪を予期する。


「あ、ちゃうちゃう。危険なことやないねん。……ないねんけど」


 震える手をテーブルに押さえつけ、ターボーンはしめられたような声をあげる。


「昔、魚の料理で殺されかけたことがあってね。それ以来、魚介類はとらないようにしている。それは伝えていたのだがな」


 それは、魚を嫌いになるのには充分な理由だろう。

 いったい何を思ってこの料理を出したのか。


「下げさせようか?」


 心配そうな娘に、ターボーンは首を振る。


「何を思ったかは知らんが……これも、君の狙いなのかね」


 とターボーンは厨房の方を向いた。


 白身魚を調理したそれは、シンプルな味付けながら旨い。

 スパイスが舌を刺激する。

 口に入れる手が止まらない。


 が、やはりターボーンの手は動かない。


「ウチが食べようか?」


 とタリッサが言って、ようやくターボーンは魚料理を口に入れた。

 何度か確かめるようにもぐもぐしていたが。


「いや、思ったよりは、大丈夫だ」


 と感想をもらした。

 その後は食べる手と口は止まらなかった。


 特にそれ以上の問題は起きることなく、次の料理へと続く。

 しかし、提供によどみがないな。

 待たせられる時間がない。

 食べたあと、余韻を楽しんで丁度いいタイミングで次の皿が出される。

 まるで、見ているかのように。


 カタン、と卓に新たな料理が置かれた。


「また使うか」


 とターボーンが出てきたそれにため息をつく。

 ガラスの杯に盛られた氷菓子だ。

 デザートか、と思ったが口直しだという。

 なんでも、脂の味を氷菓子で洗い流し、次の料理も新鮮に味を楽しむための一品、だそうだ。


 と同時に、めちゃくちゃいい香りがしてきた。

 肉のような、何か香辛料のような、食欲をそそる匂い。

 次の料理がもう控えているのだ。


 氷菓子は口に含むと、口の中のしつこさを洗い流して一瞬で消える。

 空になった氷菓子の器が下げられると、肉が出てきた。


「これは」


「“タンドリーチキンと言っても伝わらないでしょう。ですのでお召し上がりください”だそうだ」


 料理人のつけた奇妙な料理名。

 しかし、口に含んだ瞬間。


 肉が溶けた。


 比喩ではなく。

 また牛肉などの脂が溶けるようなものでもなく。


 口の中で、鶏肉がほどけ、豊かな味わいと香りを放ちながら消えていく。

 全員が食べ終わるまで無言だった。


 あまりにも美味すぎるために。



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