211.主天使降臨
「止めろッ『我は天使だ。神の使いなるぞ』!!」
ヴァーチャーは、エッケハルトは叫ぶ。
「知るか!」
俺は大太刀を振りかぶって、ヴァーチャーを斬る。
「かかったな。“神力障壁”」
それは、さっき俺たちを領域内から弾いた障壁だ。
詠唱も無しにそんなことができるのは正直ずるい。
「障壁ごと斬ったらあ!」
大太刀に力を込めるが、障壁に押し負けそうになる。
「ふははは、拘束も外れたぞ」
拘束していたバルカーたちも障壁の外に吹き飛ばされている。
その障壁が、突然割れた。
水溜まりにはった薄い氷が踏まれて割れるように、軽くパリンと。
「な!?」
「“藍水”特製、障壁無効魔弾や」
弾頭に障壁無効がエンチャントされた特製の弾丸だ。
あまりの製作の難度から、タリッサが一発しか作らなかった。
倉庫の肥やしだったものだが、みんなには内緒である。
「まだだ、私は動け……ない!?」
ヴァーチャーは硬直していた。
それは、ヴァーチャーの中にいる。
その器の持ち主。
「やって!」
ポメラニアの意志。
彼女の意志がヴァーチャーの動きを止めていた。
俺は力を込めて、彼女を袈裟斬りにした。
斬られた場所から、血の代わりに光があふれる。
これが天使の力か。
「マルチ!」
『いま!』
光によってポメラニアの体が修復されていく。
それに紛れて、幽体であるマルチがポメラニアに入っていく。
『よくもやってくれたな』
憎悪の声を漏らすのは彼女ではない。
取り憑いているエッケハルトだ。
ギュンターの亡くなった兄の怨霊が、ポメラニアを操っているままなのだ。
『我が怨念と宿願を果たすまで消えるわけにはいかない!』
「私が兄上の怨念を切断して差し上げます」
ルーン剣の“切断上昇”をオンにしたギュンターが俺の前に出た。
『私は諦めないぃ、世界を滅ぼすのだぁ』
「もう、兄上ではないのだな」
切断上昇をオンにしたルーン剣に青白い魔力の光が走る。
この状態のルーン剣は、ただ切れ味が増すだけではない。
魔力が通ることで、実体を持たないものも斬ることができる。
ポメラニアの頭上、10センチほど上をギュンターは斬った。
魔力の澱みみたいなものがそこに留まっているのを斬ったようだ。
『あ、あああ。私が消える』
「ブランツマークは私が守ります」
『ギュンター!?』
ふっとポメラニアの顔に浮かんでいた憎悪の表情が消えた。
「……ギュンター」
「ギア殿。……兄は……消えたよ」
「あれは怨念が澱んだものだ。本人はもう昇天してる」
「で、あればいいのう……」
ギュンターは上を見上げた。
そこには洞窟の天井しかないが、ギュンターには亡くなった兄上エッケハルトの顔が見えているのかもしれない。
「マルチ!」
ポメラニアの中に入っていったマルチはどうなったのか。
「……マルチは、いない」
ポメラニアの顔には表情が戻っている。
「マルチがいない?」
「ああ。私からエッケハルトが抜けるときに守ってくれた。そして、そのまま……」
「ぽめらにあ……」
「ブルドク……?……ずいぶんと男前になったねえ」
死しても、彼女を救おうとした凶犬のメンバー。
マミーになったブルドクは彼女の手を取る。
「ブジカ?」
「ああ、あんたらのおかげでね……私だけ、生き残っちまった」
「オマエガイキテイル。ナラバソレデイイ」
「昔からあんたは優しいね」
『愚かなる人間どもよ。もはや、猶予はない。神の裁きはくだされる』
「ヴァーチャー!」
祭壇の上の青白い渦巻きはまだ動きを止めていない。
その渦巻きの前にヴァーチャーがいた。
その姿は、プリンシパリティやパワーズと同じく、白い有翼の立像だ。
だが、さっきの戦いで消耗しきったのか、圧力はない。
『もはや、我は戦えぬ、だが、我が魂を持って上位天使“有翼聖魔人”を招きたもう』
ヴァーチャーはゆっくりと渦巻きに、近付いていく。
そして、そのまま飲み込まれる。
「ポメラニア、急ぎ地上へ行き、ラッジ殿に避難命令を出すよう頼んでくれ。私の依頼だと言えばすぐに行ってくれるだろう」
ギュンターは焦ったようにポメラニアに頼んだ。
復活したてで戦力にならないポメラニアは頷く。
ブルドクが彼女を支え、遺跡への坂道を走り始めた。
「おい、爺さん。どうしたんだよ。出てきたらまた倒せばいいだろ?」
「能天気な小僧じゃのう。忘れたか。危険度4じゃ」
確かにバルカーは能天気だ。
ルーンの棺に刻まれた危険度。
その一番ヤバい奴は、早く終息することを願うのみ、だった。
その表現が大げさだとしても、できることはしておいたほうがいい。
それにもし、ヴァーチャークラスの敵であっても危険なことに変わりはない。
やがて、祭壇の上の渦巻きは広がり始めた。
ズズズズと渦巻きの中から何かが出てきた。
それは真っ白い繭のような卵型の何かだ。
高さは三メートルほど。
その繭を覆うのは翼。
それがほどけるように広がっていく。
繭の中から顔が覗いた。
ぞわり、と俺の背筋に冷たいものが走った。
俺は仲間たちを振り向く。
「師匠?」
「バルカーとポーザ、タリッサはわかるな」
「?」
「あれはガルグイユよりも強い」
それはギリアで戦った魔将の一人で、魚人帝という海の魔物を統べていた男だ。
ギリアで関わった俺たちが散々な目にあわせられたのは、去年の夏ころの話である。
「な!?」
「え!?」
「嘘やろ?」
「ホイールだと……そうだな。アヴァグドゥよりも強い」
その魔物は、サンラスヴェーティアの騒動の最終幕で、俺やナギ、現地の関係者が戦った夢の魔物だ。
毒のブレスを使う強敵で、ホイールは火炎全体攻撃でやられてしまい、戦線離脱した。
「うわ、アレよりですか」
「ギュンターは……そうだな。蟲魔将は見たことあるか?」
蟲魔将フュリファイ。
雑多な虫で構成されていた虫翅軍団を統率していた魔界大蜂の女王だ。
テルエナなどの都市国家群侵攻を担当していたため、もしかしたらギュンターも見たことがあるかもしれない。
「遠目には、な。それでも物凄い圧力を感じたのは記憶にある」
「あれよりも強い」
「それは嫌だのう」
魔将よりも強い。
それはつまり、四天王、もしくは魔王様に匹敵する可能性がある、ということだ。
「俺も本気でやらなきゃならんが……」
「まだ力を温存していたか」
「ギュンター。後で説明をする。今は見逃してくれ」
「見逃す?何を」
この中で、俺の正体を知らないのはギュンターだけだ。
簡単に明かすわけにはいかない俺の素性だが、そうも言ってられない。
「“暗黒鱗鎧”、“暗黒刀”」
俺の体を包む漆黒の鎧、そして大太刀“朧偃月”に暗黒の加護がかかる。
俺の全力だ。
「その姿は……なるほど、貴殿の力の一端がわかった気がするぞ」
意外なことにギュンターは、恐れたり、怒りを見せたりはしなかった。
強敵を前に争うことになるのは避けたかったので、これはありがたい。
俺たちの準備ができたころ。
渦巻きの中から現れた繭は、その姿を変えていた。
四対八枚の翼を拡げた白い衣の天使。
美しい立像のような容姿は今までの天使と同じだが、どちらかといえば女性的な造形だ。
だが、その閉じられた目、冷たい表情の奥にある人間への蔑みの感情が透けて見える。
「これが、有翼聖魔人か」
ギュンターの声が洞窟に響いた。




